今年の5月3日で結成7周年を迎えたBULLET CLUB。新日本マットからやがて全世界を席巻する一大ムーブメントとなるこの悪の軍団。
そのオリジナルメンバーであり、中心メンバーである“悪漢将軍”バッドラック・ファレ選手にBULLET CLUBクロニクル~現在に至るロングインタビュー敢行! 後編はジェイ・ホワイト加入に至るまでを激白!
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※以下、バッドラック・ファレ選手インタビュー(後編)の序盤を無料公開!
■あの頃のBULLET CLUBは、俺たちが初期から築き上げてきたプロレスをしていなかった。
――2016年の1.5後楽園ホールで、AJスタイルズ選手に変わって今度はケニー・オメガ選手がBULLET CLUBのリーダーになりました。当初はケニー選手がリーダーになることに関してどう思いましたか?
ファレ まあ、最初はワクワクしてたな。
――そのあとBULLET CLUBはケニー・オメガ選手を中心にして、アメリカにも進出していきましたね。
ファレ そのとおりだ。俺たちがいままで築き上げてきたものを今度はアメリカに、世界に見せるいいチャンスだと思った。そして、たしかにBULLET CLUBは一気に有名なチームになった。ただし……。
――想像していたような結果にはならなかった?
ファレ ああ、俺の想像とはまったく違ったな。あの時期のBULLET CLUBは俺たちが築き上げてきたモノを世界に示していたんじゃない。単にケニーとTHE ELITEがやりたいビジョンを示していたんだ。
――なるほど。
ファレ あの頃のBULLET CLUBは、俺たちが初期から築き上げてきたプロレスをしていなかった。むしろTHE ELITEがやっていたプロレスを俺たちまでがやるようになった。BULLET CLUBという名前ではあったけど、あの時期の俺たちはアイデンティを失ってしまっていた。
■俺が“ローグジェネラル”になった瞬間を見ただろ? あの時期、俺はようやく自分自身が何者であるかを理解し始めたんだ。
――新日本がアメリカに進出している最中、2017年の5.3福岡大会でファレ選手はオカダ・カズチカ選手とIWGPヘビー級王座戦を闘いました。しばらくバウンサーとしての役割をまっとうしていたファレ選手ですが、ファンやオフィスの期待感も高まってきたというか。
ファレ フフフ。おまえも俺が“アンダーボス”という殻を破って、“ローグジェネラル”(悪党将軍)になった瞬間を見ただろ? あの時期、俺はようやく自分自身が何者であるかを理解し始めたんだ。
――ここ数年間でオカダ選手とは何回か勝利を収めていますが、オカダ選手との試合にはどのような気持ちで取り組んでいましたか?
ファレ いつもオカダに対しては「俺がどれだけタフか思い知らせてやる!」と思っていた。それは同時に「世界に俺のタフさを見せつけてやりたい」ということなのさ。そのオカダはアメリカンスタイル寄りのファイトで素晴らしいと言われる試合をしてきたようだったけど、俺はアイツと“ジャパニーズスタイル”で勝負したかったんだ。
――日本のプロレスの原点は、日本人レスラーが大きい外国人レスラーを相手に挑んでいくのが原型でしたけど、最近はそういうスタイルは少なくなってますよね。
ファレ はあ? おまえはそういう闘い方がなくなったと思うのか? この俺様がいるっていうのにか!?
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