今年の5月3日で結成7周年を迎えたBULLET CLUB。新日本マットからやがて全世界を席巻する一大ムーブメントとなるこの悪の軍団。
そのオリジナルメンバーであり、中心メンバーである“ローグ・ジェネラル”ことバッドラック・ファレ選手にBULLET CLUBの創世記~現在に至るまでロングインタビュー敢行! 今回は前編アップ!
プロフィール写真提供/バッドラック・ファレ選手
スマホサイト会員の方はコチラから!
※以下、バッドラック・ファレ選手インタビュー(前編)の序盤を無料公開!
■普通なら、こんなことはそれほど長続きしない。ところが、俺たちには他のユニットのヤツらにはない圧倒的なチームワークがあった。
――さて、バッドラック・ファレ選手。今回、オンラインでのインタビューにご参加いただきありがとうございます。
ファレ オイオイ。おまえ、ホントに感謝しろよ! この俺様に面倒ばかりかけやがって……。
――すみません。さきほど機械的なトラブルがあって、インタビューを始めるのに手間取ってしまいましたね……。
ファレ いいか? おまえはこの俺様にZOOMアプリをわざわざダウンロードさせたんだ。この俺がZOOMをダウンロードだって? ふざけんなよ! いいか? そもそも俺はこんなことやっているヒマはないんだよ。
――大変失礼しました。
ファレ 俺はもっと他にやらなきゃいけない大事なことがある! ……たとえばTikTokとかな? クククク!
――えーと……。それでは、BULLET CLUBに関してお話を聞かせてください。最近、BULLET CLUBの7周年記念をSNSでお祝いしていましたね。
ファレ ああ。やってたな。それがどうした?
――どうでしょう。2013年にユニットを結成した時は、BULLET CLUBが7年後も活動し続けていると思っていましたか?
ファレ いや、まったく思わなかった(ニヤリ)
――それは意外ですね。タマ・トンガ選手は「結成当初からユニットは存在し続けるとわかっていた」と言っていましたけど。
ファレ フフフ! まあ、ここまで俺たちが来れた理由は、ユニットがそれだけプロレス界に大きなインパクトを与え続けてきたってことだ。普通なら、こんなことはそれほど長続きしない。ところが、俺たちには他のユニットのヤツらにはない圧倒的なチームワークがあった。それこそ、俺たちがここまで続けてこられた大きな理由なんだ!
――そこで、個人のエゴが邪魔することはないんですね。
ファレ いいか? いつもワガママを言っているような自分勝手なヤツばかりでは生き残れない。チームとして一緒に団結して動けば、こうしたいい結果につながるし、物事はうまく運ぶってことだ。
■俺には先のことなんて、まったく見当もつかなかった。最初、俺とデヴィットだけのタッグだけで動くのかと思っていたんだ。
――BULLET CLUBの創世記にさかのぼります。2013年の4.3両国国技館で、ファレ選手は海外遠征から戻ってきてプリンス・デヴィット選手の“バウンサー”(用心棒)として改めて紹介されました。
ファレ ああ、そうだったな。
――そこから1カ月後、BULLET CLUBの活動は5.3福岡大会で始まりました。あの時点では、デヴィット選手とカール・アンダーソン選手がユニットを結成しようとしていたことを知っていましたか?
ファレ ノー。俺には先のことなんて、まったく見当もつかなかった。最初、俺とデヴィットだけのタッグだけで動くのかと思っていたんだ。グループの話なんて一切してなかった。俺はただデヴィットのボディガード役としてあの場所にいたし、シングルレスラーとしての心得を教わっていたんだ。
――じつはタマ選手も、当時のカール・アンダーソン選手との関係をファレ選手と同じような感じで語っていました。つまり、BULLET CLUB結成は5.3福岡大会までデヴィッド選手とアンダーソン選手の間のみで話されていたことだった?
ファレ ああ、その通りだ。俺とタマはその場のノリでなんとなく彼らに付き合っていただけだ。当時の俺は、まだ未熟者だったしな? ニュージャパンのドージョーでのトレーニングをなんとか生き抜いた後はカール、デヴィット、そしてマット(当時、新日本プロレスの常連外国人だったジャイアント・バーナードのこと/現在は、WWEパフォーマンスセンターのトレーナーとして知られている)が俺にとって大事な“センパイ”だった。だから、彼らの言うことは一生懸命聞こうとしていた。とにかく、あの頃の俺はまだまだ世間知らずだったってことさ。
――彼らがファレ選手に指示することをシッカリ守っていたんですね。
ファレ 100パーセント、彼らの指示に従っていたな。そのあと、彼らがニュージャパンを去るまで(デヴィットが2014年4月、アンダーソンは2016年2月に新日本マットを離れた)、俺は自分が何者なんてこれっぽっちもわかっちゃいなかったし、わかろうともしていなかった。彼らが去ってしばらく経った後、ようやく俺は自分のことを考え始めた。そうしなければならなくなったのさ。
――“師匠”である、デヴィット選手から教わったことで印象的なことは?
ファレ 印象的なこと? まあ、一番大切なのは自分の役割が何かを理解して、その役割をまっとうするってことだ。そうすればすべては正しい方向へ導かれる。ヘンに貪欲になったり自分勝手なエゴを優先したりしていれば、すべては間違った方向に行ってしまうんだ。
――そこで、チームワークが必要になってくるんですね。
ファレ そうだ。当時、カールとデヴィットはプロレスに関して未熟者の俺やタマよりもはるかに多くのことを知っていた。だから、彼らが「こういうことをやりたい」と言えば、何も聞かず俺たちはそれに忠実に従った。
■BULLET CLUBはリングに巨大な“変化”をもたらしたんだ。しかも、ニュージャパンの中だけじゃないぞ? この業界全体にだ!
――そのBULLET CLUBが結成されて最初の数か月で、4人は驚くほどの罵声をファンから浴びていましたね。
ファレ ククク! たしかに、あそこまでのクレイジーな反応はいままでなかったよな? あの頃の俺たちに対するファンの拒否反応や憎悪はマジでリアルだった……。
※無料公開はここまで! 続きは有料サイトでご覧ください。
★「本来なら、俺がナイトーに挑戦する一番最初のレスラーであるべきなんだ!」“逆襲”のジェイ・ホワイトに直撃インタビュー!!(前編)
★加入するなら今! 新日本プロレス・スマートフォンサイトの詳細はコチラ!!
★月額=330円(税込み)