総勢28名がエントリーした今年の『NEW JAPAN CUP 2024』。新世代が多く参戦する今回のトーナメント。その中でも、注目はUNITED EMPIREの“新鋭”カラム・ニューマンの参戦だろう。
ウィル・オスプレイが退団後、次代を担うポテンシャルを秘めた男、ニューマンに初の単独インタビュー!!
撮影/中原義史
■札止めになった後楽園ホールで、自分の名前が呼ばれて、あんなふうに拍手喝采を浴びて……。胸がいっぱいになったよ。
――さて、カラム・ニューマン選手。『NEW JAPAN CUP 2024』への参戦、おめでとうございます。今回のトーナメント戦への参戦がニューマン選手の新日本でのキャリアの中で最大のビッグマッチですよね。
ニューマン ありがとう。そして、君の言う通りさ。以前闘ったビッグマッチは、12.22後楽園ホール大会でのトモヒロ・イシイ(石井智宏)とのシングルマッチだったな。あの試合の後、裏に行って静かな場所を見つけて泣いていたんだ。
――そうなんですか……。
ニューマン 俺は15歳の時からここ(後楽園ホール)で闘いたいと思っていた。札止めになった後楽園ホールで、自分の名前が呼ばれて、あんなふうに拍手喝采を浴びて……。胸がいっぱいになったよ。
■1回戦の相手はゲイブか……。アイツは7回くらい俺のPKを顔面に食らうことになるだろうね(笑)。
――3月8日(金)山梨大会での『NEW JAPAN CUP 2024』1回戦では、ゲイブ・キッド選手と対戦します。ニューマン選手の脳内では、どのように試合を進めるかビジョンはありますか?
ニューマン ゲイブか……。アイツは7回くらい俺のPKを顔面に食らうことになるだろうね(笑)。
――ゲイブ選手はニューマン選手と似たようなバックグラウンドを持っています。11歳からプロレスを始め、イギリスで名立たるレスラー達と闘い、BULLET CLUB WAR DOGSに加入する前に新日本の道場でプロレスを学びなおしました。どちらかが来日する前に、ゲイブ選手と会ったことはありましたか?
ニューマン 来日前にはないな。けど、俺たちは昨年、Revolution Pro Wrestling(イギリスのプロレス団体)がシェフィールドで開催した大会で10分1本勝負のシングルマッチを闘って、お互いボコボコにやり合ったよ。『NEW JAPAN CUP 2024』での試合は、もっと荒々しい闘いになるだろうね。だって、俺はあの頃から体重がかなり増えているし、ゲイブはいつも通りのクソ野郎だろうからな(ニヤリ)。
――1回戦以降のことは考えていますか?今年のトーナメント戦には鷹木信悟選手、上村優也選手、ヒクレオ選手やボルチン・オレッグ選手などいて、非常に興味深いトーナメント表だと思います。
ニューマン 俺はジュニアヘビー級からプロレスを始めたから、今より若い頃はヘビー級のプロレスって好きじゃなかったんだ。けど、ここに来てからヘビー級プロレスには俺が知っていた以上のものがあることが分かったんだ。そして俺は、ジュニアヘビー級レスラーたちよりも素早く動けるヘビー級レスラーだ。ジュニアヘビー級レスラーで、俺と同じくらい素早く動けるヤツはいないよ。俺はアイツらより10㎏近く重いのにだぞ!? カモン、ボーイズ! ついてこいよ! ハハハ!
――自分以外で、最終戦まで戦い抜いて欲しい4人のレスラーを挙げるとしたら?
ニューマン もちろん、ジェフ(・コブ)。TJPもいいな……。あとは、YOSHI……、いや違うかも。俺が一生涯YOSHI-HASHIのファンでありつづけるとしても、俺はKENTAが(決勝戦まで)残ると思うな。
■えっと……。じつは本当のこと言うと、俺のおじいちゃんって元レスラーなんだ。
――さきほど、体重増加について少し話が出ましたが、体重を増加させるまでのプロレスはどのような感じでしたか?ここ数か月で、私たちはニューマン選手が成長していく姿を見てきました。
ニューマン そうだな。ニュージャパンに来た時はたった88kgだったけど、今は101kgになった。
――そんなに増えましたか!れっきとしたヘビー級ですね。
ニューマン クルーザー級、つまり96kgが俺のレスラーとしてのピークかなと思っていた。けど、ヘビー級になるのなら、本物のヘビー級になりたいと思った。特に、ゲイブやシンゴ(鷹木信悟)みたいなヤツらと闘うなら、もっと身体にずっしりとした重みが必要だしね。
――ニューマン選手はかなり若い時からプロレスをしていますよね?
ニューマン じつは、プレデビュー試合をやったのはまだ13歳の時、完全デビュー試合をやったのは16歳の時だ。どこへいくにも、いつだって俺は“最年少のレスラー”だったよ。
――いわば、いつもみんなの弟みたいな状況だったと?
ニューマン えっと……。じつは本当のこと言うと、俺のおじいちゃんって元レスラーなんだ。
――そうだったんですか?
ニューマン そうだよ。トニー・グランジっていうリング名で、1950~1960年代に闘っていた。イギリスきっての本物のヒールレスラーだ。観客でエキサイトしたファンたちがバッグやらなんやらを彼に投げつけていたっていう話をおじいちゃんから聞いたことがあるよ。
――おじいちゃんにモノを投げつけていましたか。
ニューマン 俺がプロレスを始めたばかりの頃、おじいちゃんがよくトレーニングに来てくれた。おじいちゃんからは、よく大腰を食らっていたな。
――それじゃあ、ニューマン選手が「プロレスを始めたい」と思った理由はおじいちゃんですか?
ニューマン まあね。お父さんもお母さんも、常に俺たちに何かをやらせたがっていた。正直、俺が育った場所は治安の良い場所じゃなかったから。現地のギャングがたくさんいたし、ドラッグの売買も横行していた。だから、両親は子供たちに何かをさせていればああいった闇深い世界に触れることがないだろうと思っていたんだろうね。それで、俺は空手やサッカーもやっていた。
――サッカーは結構強かったんですよね?
ニューマン すごく強かったよ。トッテナム・ホットスパー・フットボールクラブ・アカデミーっていうサッカークラブで活動していて、ウェストハム・ユナイテッドFCやアーセナルFCからスカウトされる寸前だった。けど、サッカーが自分に合っているのか自信がなかった。それで、ある日、おじいちゃんが語ってくれたんだ。「俺は昔、スタントマンとレスラーをやっていたんだ」ってね。
――突然にそんな告白を(笑)。
ニューマン 俺も「オイ、ウソだろ!? いったい、おじいちゃんは何を言っているんだ?」ってなったよ。みんな、最初はおじいちゃんが何か冗談を言っているのかと思った。けど、「違う違う。見せてあげよう」って言われて……。おじいちゃんが屋根裏部屋からプロレスのブーツを持ってきたんだ。
――凄い展開ですね。
ニューマン 「今からお前にあることを教えてあげよう」って言ってね。そして、家の近くにプロレススクールを見つけた。サッカーを続けながらも、15歳までそのプロレススクールに通い続けたよ。プロレスも自分に向いているのか自信がなかったんだけど、その時にちょうどウィルに出会ったんだ。
――ウィル・オスプレイ選手ですね。
■ウィルが自分の両親に「この子はプロレスを続けていたら、大金を稼げるようになるぞ」って言っていた。
ニューマン ウィルから「もし、プロレスを辞めたら、お前は大バカ者だ」って言われたんだ。俺の両親はいつも俺のトレーニングに付き添ってくれていたんだけど、ウィルが彼らを呼んで「この子はプロレスを続けていたら、大金を稼げるようになるぞ」って言っていた。けど、今の俺を見てくれよ?(笑)
――現時点では、ウェストハム・ユナイテッドFCに所属していた方が、大金を稼げていたかもしれませんが
ニューマン お父さんは腹を立てていたよ!(笑)。トッテナム、ウェストハム、アーセナルが俺に手を差し伸べていた。俺、マジでそのぐらいヤバかったんだよ! トッテナムでサッカーをやっていたのは、トッテナムがお父さんのお気に入りのチームだったからなんだ。
――なるほど。
ニューマン トッテナムからは「本格的に君を使いたい」って話が来ていたし……。
――つまり、「プロサッカー選手になってほしい」と。
カラム そうだ。16歳の時、俺の前にある選択肢は、プロレスか?サッカーか?だった。俺は「お父さん、サッカーやめたいかも」って言ったら、「いやいや、辞めるな」って反対されたんだけど、「ごめんね、お父さん……」って感じで俺のサッカー人生は終わった。強いサッカー選手になれていたとは思うけど、俺は今ここにいる。ちなみにプロレスラーになる前の最後の仕事はパイショップのバイトだったよ(笑)
――なんだか現代版‟ビリー・エリオット”のようですね。映画にできそうな人生です。さて、オスプレイ選手はコーチとしてどうでしたか?
ニューマン 彼はヘンだったよ。本当に優しい時もあるんだけど、「本当に俺のこと好きなの?」って思わされるような関係性の時もあった。ウィルとトレーニングを始めた時、腕立て伏せを100回やらされたよ。そして17歳になってプロレスでいろいろと悩んだときに、ウィルが俺のところにやってきて「絶対にやめるなよ?」って言ってきた。俺が着ていたTシャツを掴んでユラユラ揺らしながらね。
――つまり厳しかったんですね。
ニューマン けど、その後で、「やめなかったんだな。偉いぞ」って褒めてもくれた。それに、いつでもアドバイスが必要な時にウィルはそばにいてくれた。多くの場面で、俺がバカ者にならないように導いてくれた。彼が、「俺はお前が今やっていることと同じようなことをしてきた。そして、俺が犯してしまった過ちをお前が犯す前に、俺がお前を止めてやる」って言ってくれたようにね。
■今は、日本の生活にも慣れた。今では、自分の本当の家よりも、日本の方が“ホーム”に感じるくらいさ。
――オスプレイ選手の勧めにより、ニューマン選手は新日本にやってきました。9月のことでしょうか?
ニューマン そうだね。5か月くらい前のことかな。
――少しは日本に慣れましたか?
ニューマン 今は、最初の時より幾分か慣れたよ。自分の身のこなしが分かってきた。前まではどうやって挨拶すればいいか分からなかったし、言語も食べ物も知らないことばかりだった。本物のカルチャーショックを受けたよ。けど今は、日本の生活にも慣れた。今では、自分の本当の家よりも、日本の方が“ホーム”に感じるくらいさ。
――今では、日本の生活に関しては心が落ち着いているんですね。
ニューマン それに、UNITED EMPIREの仲間たちといるのにも慣れてきた。前よりも、自分が“ヤングボーイ”って感じがしなくなってきたかな。彼らも、俺がUNITED EMPIREのメンバーなんだって感じられるよう行動してくれている。今は、ほぼ日本にフルタイムでいるようなものだから、彼らみたいに俺は家族のもとには帰らない。彼らみたいに家族に会うことはあまりなくて、家族とはFacetimeでちょっと会話するくらいだ。だから、UNITED EMPIREの仲間たちが近くにいると安心するんだ。ありのままの自分で居られている気がするし、それがプロレスにも影響されていて、リング上でよりスムーズに動けるんだよね。
――ニューマン選手のリング上での動きについてですが、新日本のリングに初めて上がった時、HENARE選手が実況解説をしていて、貴方を見てプリンス・デヴィッド選手を思い出すと言っていました。
ニューマン ああ、そうだったね。
――HENARE選手の発言を聞いた後、ニューマン選手をそのような目で見ないことが難しくなりました。プリンス・デヴィッド選手を彷彿とさせる動きは、意識的に行っている部分もありますか?
ニューマン よくわからないんだ。最初から意図してやっていたわけではないんだけど、ニュージャパンにいた頃のプリンス・デヴィッドを見始めた時から、彼が俺と同じようなコスチュームを着ていたことを知った。サイドにストライプがある黒いトランクス、ニーパッドもキックパッドも同じだった。それに、もともとデヴィットのプロレスが好きだから、あまり彼のプロレスが好きなことを全面に押し出すことはしないけど、いろんな場面で真似はしていた。けど、HENAREがそれを指摘して、ウィル・オスプレイも指摘した。SNS上では、俺がプリンス・デヴィットとジェイ・ホワイトのミックスだと言われているよ。それって、結構良いミックスなんじゃないかと思うけどね。
■みんなに見せていないだけで、俺ができる技は、まだ山ほどあるよ。
――もちろん、“Prince of Pace”はご自身が勝ち獲ったニックネームです。そのずば抜けた身体能力は、サッカーをプレーしていた時代に培ったものでもあるのでしょうか?
ニューマン じつは、子どもの時にトレーニングを始めたんだけど、その時に膝を痛めたんだ。それで、学校では運動ができなかった。全速力で走ることも、ジャンプすることもできなかった。ウィルに会うまで、俺はチェインレスリングしかやってなくて、ロープワークなんてあまりやっていなかったんだ。それで、膝のリハビリのために体操を始めたよ。
――なるほど。
ニューマン でも、とある日のトレーニングで、ロープワークの訓練をしたんだ。ロープの中を十字に行き来するんだ。けど、もう一人の訓練生は俺についていくことができなかった。彼は新入りだったんだから、もっとスキルが高い人ともやってみたんだけど、その人も俺の動きについていくことはできなかった。
――その時に“気づき”があったんですね。
ニューマン ああ、そしてその頃ちょうど、マサト・ヨシノ(DORAGON GATE所属・吉野正人)の試合を観ていて、彼のプロレスに惹かれていた。彼と同じくらいハードにロープワークがしたいと思った。その頃には96kgと体重も重かったから、10kg落としたんだ。そしたら急に、俺はRevolution Pro Wrestlingでニック・ウェインよりも速く動けるようになった。
――新日本のリングでは、ロープワークがRevolution Pro Wrestlingのリングよりも難しく感じますか? それとも、簡単に感じますか?
ニューマン ここでのロープワークは、まるでレンガ壁に向かって突っ走っているかのようだ。ロープはRevolution Pro Wrestlingのものよりもかなりキツく張られている。けど、どういうわけか、今までよりもっと速く動けている。“Prince of Pace”って思いがけず誕生したニックネームだったんだ。ロープ間を走って相手に攻撃をヒットさせただけで、観客から大きな反応があったからね。まだ皆に見せていないだけで、俺ができる技は、まだ山ほどあるよ。
――2.11大阪大会のドッグパウンドケージマッチでは、オスプレイ選手と一緒にオスカッターを繰り出しました。数年後に新日本の試合特集のビデオが発売されたら、きっとあの瞬間もビデオの中に入っているでしょう。
ニューマン ああ、あれはイカしてたな。そして不思議な感じもしたy。ダン(ドリラ・モロニー)がWAR DOGSへと寝返る前、俺はアイツとたくさんの時間を過ごしてきた。アイツが俺をボコボコにして、45分ものあいだ手錠でケージに固定するようなクズ野郎だとは思わなかったよ。けど、あの時、ウィルとダンが同じ空間にいて、長いこと俺の記憶に残るだろうなって思う瞬間だった。オスカッターをウィルと一緒にやったことに関しては、あの技をちゃんとゲドー(外道)に当てられてラッキーだったよ。あの時、俺の肘はイカれてたから。
――そうだったんですか?
ニューマン 長い時間、あのケージに手錠で固定されていたから、何もできなかったんだ。本当に、だんだん腕と足が麻痺してきてね。けど、何もしないなんてできないって思った。(アレックス・)コグリンが両腕にパイプ椅子をぶら下げて入場してきて、リングに入る前にその椅子たちをケージの外に投げ捨てていった。そのイスを(デビッド・)フィンレーが取りにいった時に、アイツの動きを少し遅れさせたくて、アイツから遠ざけるようにイスたちを蹴ったんだ。
――時間稼ぎをしたんですね。
ニューマン そう。ちょっと「クソ野郎」って意味も込めてね。フィンレーはイスを手にとって、そのイスで俺を殴った。衝撃に対して体をキュッと固く強張らせた時に、イスが肘に当たってしまった。俺の腕はイカれちゃったけど、時間が経つとともに徐々に感覚が戻ってきた。その時、16歳の頃にベスナル・グリーンでウィルにオスカッターのやり方を教えてもらった時のことを思い出した。どこかに当時の動画があるよ。MTVがその時ドキュメンタリー映像を撮影していたからね。その5年後に大阪で、ウィルの隣で彼と同じ技をやり遂げるなんて本当にクレイジーなことだよ。
■『G1』に参戦出来たら、今まで学んだすべてを注ぎ込むよ……。ボコボコにしてきたレスラー全員に復讐がしたいていう理由が大きいんだけどね(苦笑)
――ニューマン選手はしばらくの間、新日本にいることになりますが、今から1年後はどうなっていたいか、ビジョンはありますか?
ニューマン 今年『NEW JAPAN CUP』に参戦できるだなんて、想像すらできなかった。一日一日をあるがままに受け入れて過ごしているけど、俺は‟努力は報われる”ことをみんなに見せていきたいんだ。もし、このあと『G1』に参戦出来たら、今まで学んだすべてを注ぎ込むよ……。ボコボコにしてきたレスラー全員に復讐がしたいからっていう理由が大きいんだけどね(苦笑)。フィンレー、ダン、イシイ(石井智宏)、シンゴ。ただアイツらにやり返したいだけだ。
――アントニオ猪木氏は生前、プロレスにおいて怒りがどれほど大切なのか、リング上でその怒りをエネルギーに変えて使うことについて語っていました。
ニューマン フフフ。俺は気分屋だ。俺もその考え方はなんとなく持っている。子供の頃、本当にたくさんのクソみたいな状況をくぐり抜けてきたから。俺にはいっぱい課題がある。これでうまくいくか? それとも一歩下がってアレをやるべきか? 最初のころに金土日とプロレスをして、平日はアルバイトを探していた。でも、昼間の仕事をやめてプロレスに集中したとき、プロレスの仕事が軌道に乗り始めた。その時はじめてプロレスに対してしっくりきたんだ。試合をしなければ何も食べられなくなったから、必死だったよ。当時はプロレスをするか、ホームレスになるかだった。
――そういう献身が、当時のニューマン選手には必要だったんですね。
ニューマン 去年のクリスマスシーズンに10日間ほど家に帰った時、お父さんとお母さんが今住んでいる場所から引っ越す資金を彼らに渡せるくらい、プロレスでビッグになってやると決めた。家族を置いて離れたくないけど、トーキョーに戻りたいとも思ってしまって、それがすごく辛いんだ。その感情は、特にプロレスをしている時に湧き上がってくる。ただ、俺は「闘うときに自分自身が世界一素早いプロレスラーであることを証明する」っていう決意を持っている。そして実際、俺は世界一素早いレスラーだ。誰も俺に触れることはできない。それって、なんだかクレイジーだよね?(笑)
(了)
■『旗揚げ記念日』
■3月6日(水) 17:00開場 18:30開始
東京・大田区総合体育館
☆チケット情報 ☆対戦カード
※「ロイヤルシート」は完売、「アリーナ席」「1FスタンドA」は残りわずかとなりました。
■『NEW JAPAN CUP 2024』
3月7日(木) 17:30開場 18:30開始
東京・後楽園ホール
☆チケット情報 ☆対戦カード
3月8日(金) 17:30開場 18:30開始
山梨・アイメッセ山梨
☆チケット情報 ☆対戦カード
3月10日(日) 15:00開場 16:00開始
兵庫・ベイコム総合体育館(尼崎市記念公園総合体育館)
☆チケット情報 ☆対戦カード
※「ロイヤルシート」は残りわずかとなりました
3月11日(月) 18:00開場 19:00開始
愛媛・アイテムえひめ
☆チケット情報 ☆対戦カード
3月12日(火) 18:00開場 19:00開始
愛媛・宇和島市総合体育館
☆チケット情報 ☆対戦カード
3月13日(水) 17:30開場 18:30開始
岡山・ジップアリーナ岡山
☆チケット情報 ☆対戦カード
3月15日(金) 17:30開場 18:30開始
大阪・金岡公園体育館
☆チケット情報 ☆対戦カード
3月16日(土) 16:00開場 17:00開始
愛知・愛知県体育館(ドルフィンズアリーナ)
☆チケット情報 ☆対戦カード
3月17日(日) 14:00開場 15:00開始
静岡・ツインメッセ静岡 南館
☆チケット情報 ☆対戦カード
3月18日(月) 17:30開場 18:30開始
福島・ビッグパレットふくしま
☆チケット情報 ☆対戦カード
3月20日(水・祝) 15:30開場 17:00開始
新潟・アオーレ長岡 <決勝戦>
☆チケット情報 ☆対戦カード
※「ロイヤルシート」「2階指定席」は残りわずかとなりました