4月14日、全日本プロレスの「チャンピオンカーニバル」(以下CC)で初出場・初優勝の快挙を遂げた永田裕志選手が、新日本プロレス事務所にて記者会見を開いた。
■永田選手のコメント
「歴史と伝統のある大会である『CC』に参戦させていただきまして、初出場・初優勝というこの上ない勲章を得ることができました。まずは自分の参加を認めて下さって、思う存分暴れさせていただいた全日本プロレスさんには感謝しております。どうもありがとうございました。新日本プロレスの人間が、全日本プロレスの歴史と伝統の詰まりに詰まった『CC』で優勝したという反響が昨夜から本日にかけて、私の所に物凄く来ております。『NEW JAPAN CUP』から始まってIWGP戦、『CC』、約一月で11試合の大一番を闘ったという疲労感と安堵感で、よろこぶという気持ちよりはホッとした気持ちのほうが強くて。ただ、やっぱり体は興奮していて、昨日は5時間ぐらいしか眠れませんでしたね。この5日間、様々な未知の選手たちと闘うことで、かなり見た目ではわからない部分で肉体的なダメージがありました。それを治すために今朝9時半に家を出て、千葉まで行って治療して、この会見に臨んでいるわけです。やっぱり新鮮だったのは、今まで闘ったことのない選手たちですね。新日本プロレスとは違った意味で、体が大きくてダイナミックなファイトをする選手たちに囲まれて、5日間めいっぱい闘って、新たに色んな発見もありましたし、自分自身19年のレスラー人生をやっている中、『なかなか日本マット界では新鮮味というのはないのかな〜?』と思ったんですが、まだまだ新しく感じられることがたくさんあったと思いました。初戦のころは、わりと歓迎ムードというのを感じていたんですが、2戦目の諏訪魔選手との試合以降は、徐々にファンの認識も(永田は)外敵という感じで。正面から向かい風として来るブーイング的な声援が徐々に増えてきて。昨日の最終戦では、新日本のファンの人が後ろから風を吹かしてくれましたけど、それ以上の正面からの向かい風が全日本のファンからたくさん来ました。会場の空気という意味で、完全に新日本vs全日本の対立構図を作れたという上では、ホントに当初、僕が思い描いていたような展開になりました。僕が真田(聖也)選手を倒すことで全日本プロレスの至宝を得ると共に、全日本プロレスの『CC』を青く染めきったなと。周りの反響の大きさに驚くと共に、自らの役目を果たせたというか、“してやったり的な高揚感”というものが体中に溢れております。ただ、よろこびに浸ってばかりではなく、昨日の試合を終えて、決勝で闘った真田選手は僕の握手を快く受け止めてくれなかった。まあ、向こうにしてみたら当然ですよね。見ているお客さんは、彼はマイクが非常にヘタクソなので、あまりわからなかったかもしれませんが、表情を見ただけで彼の怒り、責任感というものは感じました。これでマイクを通じて自分の怒りというものを吐き出すことができれば、彼は本当の意味で一流の選手になれるんじゃないかな。そうやって向かって来るものに対して僕はまったく逃げるつもりはなく、正面から受け止めようと思っています。彼らのそういう気持ちというのは、僕は非常にわかっているつもりです。なぜなら、新日本の至宝であるIWGPのベルトは、過去何度か他団体に流れたことがある。獲られた悔しさもあるし、獲り返しに行くというシチュエーションを作ってもらえなくて悔しくてしょうがなかった時期もあります。僕らが過去に味わってきた気持ちでもあるんで、そういうものに対してはすべて受け止めて、片っ端から現実を見せて弾き返したいと思います」
■マスコミとの質疑応答
——全日本プロレスにとっては屈辱的とも言える状況ですが、永田選手自身はどう感じますか?
永田「選手たちもそうですけど、やっぱりファンの人がね。過去、新日本のIWGPとかが他団体の選手、またはフリーランスの選手に持っていかれている屈辱を感じながらも、それでも必死に『新日本プロレス、頑張れ』と応援してきてくれたファンに、今回、ちょっとだけ恩返しというか、そういうことができたなと。この非常に重い『CC』のトロフィー、ただ重量が重いだけではなく、第1回の頃から使われているトロフィーだそうで。ジャイアント馬場さんから始まって、アブドーラ・ザ・ブッチャー、ジャンボ鶴田さんとか、偉大な方々が優勝するたびにもらってきた重い重い歴史の詰まったトロフィーが、『NEW JAPAN CUP』のトロフィーと一緒に、今ここにある。本当に今年の春を駆け抜けて、春を制したという充実感がすごく溢れています」
——昨日、三冠ヘビー級王者の諏訪魔選手に対戦要求され、試合後のコメントではIWGPや(プロレスリング・ノアの)GHCヘビー級王座を獲るという話も出ていましたが?
永田「今回の『CC』のメンバーが、IWGPの連続防衛記録(V10)を持った自分もいましたし、現三冠王者の諏訪魔選手だけでなく、元三冠王者であった鈴木みのる選手、元GHCのヘビー級チャンピオンだった秋山(準)選手、タッグなりを持っている選手もいましたし、パンクラスのチャンピオンだった船木(誠勝)さんも出場されてましたし。本当にマット界の代表的な選手が集まった大会だったと、闘っている最中もそうですし、闘い終えて改めて感じましたので。そこのナンバー1になったということを凄く誇りに思うと共に、その勲章に対して僕はプロレス界に『ベルトが近づいて来い。俺がナンバー1だ』ということを言葉としてボールで投げたわけで、それに対する波紋がどうやって返って来るか?そこが僕的には非常に興味がありましてね。早くも三冠ヘビー級のベルトのほうから、保持者の諏訪魔選手が近づいてきて『ベルトを懸けてもう1度闘いたい』という要求をもらいましたし。だから、三冠ベルトのほうは早くも僕に近づいてきたと。じゃあ、それを獲ってしまったら次は何が近づいてくるか?すごく楽しみでもありますし。まあ、大口を叩いて、それをマット界に投げかけた上で、どういう波紋が返って来るか? 来なきゃ来ないでしょうがないですし。そうしたら、正真正銘、僕がナンバー1だと思いますしね。だから、その波紋が返って来るのを非常に楽しみにして(試合後に)言いましたね。そういう僕の生意気な発言に対して、諏訪魔選手もお客さんではなく、僕にマイクを投げてくれれば、ファンの後押しもよかったんじゃないでしょうかね?(笑)そこで私がマイクを正面からぶつけられて引っくり返ってしまったら、スポーツ新聞にも僕のカッコ悪い写真が載っていたかもしれない。そういう臨機応変さが、彼にはもっと欲しいかなと。そうすれば、全部おいしいところを持っていけたんですけどね(笑)」
——全日本プロレスの生え抜き選手と闘った感想は?
永田「闘いと闘いのあいだの間(ま)がいいですよね。ただ、新日本のスタイルの速い間というか、あまり間がない状態の闘いに慣れている僕としては、微妙な空気間で、逆に心肺機能的な部分で助けられたというのはあります。お客さんの視線を集中させるというか、間を作ることで自分のリズムを取り戻そうとする。特に諏訪魔選手からは『ああ、間の作り方がうまいな』と。なかなかウチの選手では感じられないようなところを感じましたね。そういうところはホントに素晴らしいなと思って。その中で、やっぱり新しい永田裕志というものが、ちょっと出てきたかなと。じゃあ、どういうものかと言われたとき、ハッキリ『これだ』というのは言えないですけど、なんかそこで自分なりにひらめきというか、次の戦略というものが瞬間的に脳裏に浮かんだことが何度かありましたね。それによって作戦を変えたり、新しい戦略でいったりという形ができて、勝利を収めることができましたので。まあ、一番、僕的に困ったのは、武藤(敬司)社長の(テレビ)解説が痛かったかなと(笑)。なんか、僕にだけ非常に厳しかったかなというのが(苦笑)。ほかの選手のことは凄く絶賛してくれるんですけど。やっぱりかつての先輩は、僕のような生意気だった後輩に対してはホントに厳しい解説をして下さったなと。闘い終えて疲れきって家に帰って、夜中の中継を見させていただいて、非常に情けなくなってですね(笑)。それで眠りについた日々が何日かありました。私にとって、一番の敵は武藤社長だったかもしれません(笑)」
——三冠戦の日にちは、すぐに決めて欲しいですか?
永田「(自分は)特に焦ってはないですけどね。やっぱり、(諏訪魔は)今すぐにやっても、たぶん獲れないと思いますよ。たとえば、次のシリーズとか、焦って挑戦しても間違いなく僕からは獲り返せないし。そんな焦った状態の三冠チャンピオンと闘っても、僕も面白くないですから。だから、そこは向こうにすべてお任せします。『しっかりと戦略を練ってかかって来なさい』という感じで。やっぱり、三冠チャンピオンを破っての(『CC』)王者ですから、私が(キッパリ)。そういう意味ではチャンレンジャーは向こうだなと。チャレンジする上での手土産が、三冠ヘビー級のベルトだと思っています」
【写真:山本正二】