その制御不能な言動で、新日本プロレスを席巻し続けるロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンの中心人物、内藤哲也。
内藤本人が自身の生い立ちを振り返るスマホサイトでの自伝的インタビュー。
今回は、NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』登場を記念して、
“ロス・インゴ編”の序盤2回分をWEBで無料掲載!
撮影/タイコウクニヨシ
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■内藤哲也・自伝“ロス・インゴ編”
第104回「これが運命のわかれ道になるかもしれない」
2015年5月、ラ・ソンブラの勧誘を受けてロス・インゴベルナブレスに合流!
――前回は2015年5月12~16日の北米遠征について伺いました。このあと一旦帰国したのち、内藤選手は単独で5月23日から約1カ月にわたるメキシコのCMLL遠征に旅立ちます。
内藤 このときはメキシコ自体が約4年ぶりですか。直前の北米では何も残せなかったですけど、メキシコのほうはNO LIMIT時代の活躍があったから、けっこう行く前から期待されてたんですよね。メキシコ入りする前から、現地の新聞で「ナイトウが帰ってくる!」みたいな感じで、タイガー・ウッズの記事より大きく扱われてたりしてたんで。
――タイガー・ウッズよりも上! その注目度を表すように、5月27日に現地で行なわれたCMLLの記者会見にも登壇されて。
内藤 まず現地について3試合くらいやったあとにスタジオで会見があって、その席でひさびさの参戦についてインタビューを受けたんです。CMLLって、アレナ・メヒコと同じ敷地内の別の建物に自前のスタジオを持ってるんですよ。現地では週一で流れてるCMLLの情報番組の収録なんかも、そこでやっていて。
――規模が大きいというか、メキシコではルチャが国民的娯楽としてかなり浸透しているそうですね。
内藤 俺が知るかぎりで週刊の専門誌が3誌あって、あとは一般の新聞紙もルチャを扱ってるんで、会見のときもマスコミの数は多かったですね。
――そして、その27日の会見の途中で突如、ラ・ソンブラ選手が単独で姿を現し、内藤選手にロス・インゴベルナブレスのTシャツを手渡した、と?
内藤 そうです、そこからですよ、すべてが始まったのは。あの瞬間、会見に集まったマスコミも驚いてましたけどね。
内藤 じつはその前からソンブラには「一緒にやろう」っていう話はもらってたんです。俺がCMLLに遠征するって決まったときに、ソンブラからツイッターでダイレクトメッセージが届いて。俺もスペイン語に強いわけじゃないので、具体的に何が書いてあるかを全部は把握できなかったですけど、要するに「よろしく」ってことだな、と(笑)。俺としてはソンブラとは日本でちょくちょくタッグを組んでたし、メッセージをもらったときはその延長くらいにしか捉えてなかったんですけどね。
■Tシャツを渡されたときに浮かんだのは、ファン時代に観ていたnWo
――その時点ではユニット入り云々という話とは捉えていなかった、と。
内藤 だからソンブラが会見で来たときも「またタッグを組もうってことだな」って思ってたら、日本で組んでたときとは様子が違うというか、いきなりTシャツを差し出されて。ただ、いまだから言える話として、この時点では正直ロス・インゴっていうユニット自体のことをよくは知らなかったんですけど(苦笑)。
――それは意外な事実というか(苦笑)。
内藤 この遠征にあたって、予習程度でなんとなく知ってたくらいで。ただ、このときに頭に浮かんだのが、ファン時代に観ていたnWoだったんです。nWoがメンバーを勧誘するときにTシャツを渡す場面がフラッシュバックされて。だから、「これを受け取るかどうかで、状況が変わるな」って思いました。まあ、じつはこの年の『FANTASTICA MANIA』のときにも、すでにロス・インゴのグッズを身につけてたんですけどね。
――そうだったんですね。内藤選手はあの『FANTASTICA MANIA』では連日ソンブラ選手とタッグを結成し、1.17新木場では一緒にワンデイトーナメントにも出場してましたね。
内藤 そのときにソンブラから「これを身につけてくれ」って言われて、ヘンな豚のマスクや黒いパーカーを渡されたんですけど、何のことやらサッパリわかってなかったです(笑)。ただのソンブラのグッズだと思って、軽い気持ちで身につけました。
――ちなみにロス・インゴの前身にあたるロス・インデセアブレスが結成されたのが14年の4月で、ロス・インゴに改称したのがその年の10月です。ソンブラとしてはその『FANTASTICA MANIA』の時点で、内藤選手の加入を考えていたのかもしれないですね。
内藤 ああ、可能性はありますね。ただ、その時点で日本のファンにロス・インゴという存在は全然伝わってなかったと思うし、俺自身もよく知らなかったんで(苦笑)。でも、その会見のときのソンブラからは日本のときと違い、ただならぬ雰囲気が伝わってきたので「これは俺にとって運命のわかれ道かもしれないな……」っていうのを感じ取りました。
――内藤選手はこのメキシコ入り前に「何かをつかまなきゃ俺は終わる」とまで思っていたそうですが、早くも大事な局面が訪れたというか。
内藤 そういうことですね。ただ、自分の選択に迷いはまったくなかったですよ。それだけソンブラのことは信用してたし。
――内藤選手とソンブラ選手には歴史がありますよね。09年のメキシコ遠征のときに親交が生まれ、その後『WORLD TAG LEAGUE』にも13~14年と共に出場を果たして。
内藤 その歴史に新たな1ページを刻むってことですよね。このときがあったからこそ、のちにL・I・Jも生まれ、いまにつながる。まさに俺にとってデスティーノでしたね。
■内藤哲也・自伝“ロス・インゴ編”
第105回「デビューした頃の気持ちをロス・インゴが思い出させてくれた」
2015年5月~6月のCMLL遠征で “制御不能の集団”として大暴れ!
――前回、内藤選手がラ・ソンブラ選手の勧誘を受け、ロス・インゴベルナブレスに加入したお話を伺いました。そして5月29日(現地時間)のアレナメヒコ金曜定期戦より、内藤選手は正式にロス・インゴのメンバーとして始動し、ソンブラ選手とルーシュ選手とのトリオでウルティモ・ゲレーロ&サンダー&エウフォリア組に勝利を収めます。その試合前、内藤選手はマイクを掴むと日本語で「俺がニューメンバー、新日本プロレスの内藤だ!」とアピールされて。
内藤 その瞬間、場内からは凄いブーイングでしたよ。このとき、ロス・インゴに勧誘される直前の試合でも、ラ・マスカラ(ロス・インゴのメンバー)と組んで試合をしてるんですけど、そのときはまだコッチに対してそういう反応はなかったんですよ。でも、正式メンバーになった途端、まさに手のひら返しというか(笑)。
内藤 日本人にしてみると不思議だと思うんですけど、メキシコってユニットが違う者同士でも組むことがあるんですよ。たとえば内藤&EVIL&オカダ組とか。たぶん、俺は日本でソンブラと組んでたこともあって、CMLLも自然にそういうカードをマッチメイクしたんでしょうけど。
――ちなみに内藤選手はロス・インゴに加入した当初から、あのラフファイトをベースとした戦いかたにすんなり溶け込めたんですか?
内藤 正直、さすがに初戦は戸惑いましたよ。彼らのファイトスタイルが、俺が想像していたものとはちょっと違ったんで。たとえばソンブラは華麗な空中技のイメージが強いですけど、相手を場外で連れ回したりしてるわけですよ。俺の知ってるソンブラは、2009年のメキシコ遠征で出会った頃からCMLLの次代のトップスターみたいな感じでしたから。周りからの期待感も大きかったし。
――ロス・インゴのソンブラ選手は、自分のよく知るソンブラ選手とは違った、と。
内藤 でも、ルーシュも含め、メンバーがみんな凄くイキイキと戦ってるんですよ。そこで気づいたのが「彼らはまったく観客の声援、反応なんか気にしてないんだな。そのときに自分のやりたいことをやってるだけなんだ」って。それに比べて、内藤哲也はずっと周りの反応を気にしながらプロレスをしていたわけで。
――ある種のカルチャーショックを受けた、と。
内藤 そういうのを観て、俺も好き勝手やってみようって思ったんです。俺にとっては日本と違い、お客さまが何を言ってるのかわからないっていうのも好都合でしたね。野次を飛ばされたところで理解できないんで、自分の世界だけに没頭できるというか。もし、これが日本だったら、俺はあそこまでロス・インゴというものに溶け込めなかったかもしれない。メキシコだからこそ、彼らの世界に躊躇なく飛び込めたと思います。
■「トランキーロ」は自分がソンブラに投げかけられた言葉だった
――いまや内藤選手の決めゼリフとして浸透している“トランキーロ”(スペイン語で「落ち着け、アセるな」の意)ですが、元々はご自分がロス・インゴのメンバーに言われていたんだとか?
内藤 そうです、よくソンブラに言われてましたね。俺、試合中にお客さまの反応を気にせず、好き放題に戦うっていうのをやったことがなかったんで、試合が凄く楽しかったんですよ。そうしたらタッグマッチなのに仲間を差し置いて、自分がとにかく前に出たくて出たくてしょうがなくなっちゃって(苦笑)。
――まさに制御不能ですね(笑)。
内藤 フフフ。ちょっと自分がプロデビューしたときの気持ちに似てますよ。「とにかくプロレスがしたいんだ。明日も明後日も明々後日も、早く次の試合がしたい!」っていう。その気持ちがイヤっていうほど、前のめりで出てたんでしょうね。気づいたらソンブラがコーナーから「ナイトー、トランキーロ、トランキーロ!」って(笑)。
――相当、ロス・インゴになって気持ち的に解放されたってことでしょうね。
内藤 どこかで自分のことを押さえつけてた反動なんだろうな……。「自分の何かを変えなきゃ終わる」っていう気持ちでメキシコに飛び込み、ロス・インゴに入った時点ではそのヒントをつかめたかどうかは理解してなかったですけど、とにかく楽しくてしょうがなくて。あれだけ好きだったプロレスをやるのが、ちょっと憂鬱になることもあった中、またプロレスへの気持ちを思い出させてくれたというか。まあ、メンバーも「トランキーロ」と言いつつ、内藤に好き勝手させてくれましたから(笑)。
――ほかのメンバーについて伺いたいのですが、そもそもロス・インゴは14年4月にソンブラ選手、ルーシュ選手、マスカラ選手が結成しました。同年11月にマルコ・コルレオーネ選手が加入し、そのあと内藤選手は5人目のメンバーとして加わりましたね。
内藤 マルコだけは英語が唯一話せたので、「ファン時代に観てたよ」って話かけました。
――マルコ選手はマーク・ジンドラッグの名で2005年に新日本に参戦していて、そのドロップキックの打点の高さがオカダ選手並みだったのが印象深いです。
内藤 身長が190以上あって、あの跳躍力は凄いですよ。ただ、ほかのメキシコ人の3人と比べてマルコだけ雰囲気というか、やりたいものが違うのかなとは思いました。実際、のちに追放されることになるんですけど。
――マスカラ選手はいかがですか? 新日本には11年と13年の『CMLL FANTASTICA MANIA』に参戦しています。
内藤 日本に来たときは調子が悪くて飛び技を失敗してた印象があるんですけど、マスカラは練習熱心で、メキシコではよくジムで一緒になってましたね。性格的にも優しくて。というか、メンバーたちは俺に関しては試合中も試合前後も、やたら気にかけてくれましたね。入場で着るスーツにしろ被り物にしろ、みんな準備してくれて。
――メンバーは日本における内藤選手の状況というのを把握してたんですかね?
内藤 とくにそういう話をしたことはなかったですけど、もしかしたらソンブラは日本で組んだときに「アレ、ルード(ヒール)でもないナイトーにブーイングが起きてるな」って思ったかもしれないですね(苦笑)。まあ、この遠征は4週間の滞在で10試合ちょっとしかやらなかったけど、伸び伸びと戦うことができましたよ。ロス・インゴのメンバーたちには感謝しかないです。