Road to THE NEW BEGINNING
- 日時
- 2014年2月2日(日) 17:30開場 18:30開始
- 会場
- 東京・後楽園ホール
- 観衆
- 2,015人(超満員札止め)
菅林会長より、井上の引退が発表された。今後は、新日本プロレスのスタッフとなり、第2の人生を歩むという。
井上は、1998年3月に新日本プロレスへ入門し、1999年10月10日後楽園大会の柴田勝頼戦でデビュー。
2007年12月には第53代IWGP Jr.ヘビー級王者に就き、翌年の『BEST OF THE SUPER Jr.』を初制覇。そこからヘビー級へ転向し、2010年5月には永田裕志とのコンビで第56代IWGPタッグ王者にもなった。
■井上の挨拶
井上「去年の3月4日から欠場しています。私の右腕は、首のヘルニア、右胸の大胸筋断裂、右肩関節の変形で思うように動かず、ずっとリハビリと治療を続けてまいりましたが、いま現在、プロレスラーとして必要最低限のトレーニングができません。なので・・・引退します。俺は、この後楽園ホールでデビューして、この後楽園ホールでたくさんの試合をして、思い出に残る試合をやってきました。この後楽園ホールが大好きです。この後楽園ホールで4月2日、引退します。いままでたくさんの応援をしていただきまして、本当にどうもありがとうございました」
ここで井上が四方の観客席へ礼をすると、場内が大「亘」コールに包まれた。
■バックステージでの囲みコメント
井上「ありがとうございました。復帰を目指して、ずっとトレーニングしてました。でも、欠場するときに中途半端な状態では復帰したくないと思っていたんで。やっぱり、闘うリングですから、こういう結末もあるのかなと。くやしいですけど」
——引退を決意したのは?
井上「決意したのは、もうちょっと早い時期だったんですけども。去年の3月から欠場期間が長くて、ずっと苦しかったんですけど。時間がちょっとづつ、苦しさとか痛みをやわらげてくれたんですけど…(涙を溜めながら)、なんか今日は後楽園ホールの雰囲気にやられました(顔を押さえて、苦笑)。泣くなんて思ってみなかった。入場テーマ曲とファンの皆さんの声援とか……。なんか、『こんなに鳥肌が立つことって、この先、味わえるのかな』って思うと、くやしいですが。まだ、4月2日の引退記念興行があるので。それまでレスラー・井上亘としてもシッカリとトレーニングして、生きていきたい思います」
——ただ、試合はしない?
井上「ハイ。あの……試合ができたら、復帰してます。先ほども言ったように、中途半端な復帰はしたくないと思ってます。中途半端な身体、身体の直り具合なので、試合はしません。」
——後楽園の一番の思い出は?
井上「後楽園かぁ〜。なんすかねぇ〜(涙を押さえて、目をつぶって)。何だろうなぁ……。何かと言うと、後楽園ホールでしたね。スタートもそうだったし。挙げればキリがないですけど、ここで成長させてもらったと思います」
——今後は、新日本のスタッフとして働くということでしたが?
井上「ハイ。会長、社長、私で話し合いをしまして。私もプロレスに対する思いがありますし。そのかたちをリング上で闘うとは別のかたちになりますが、発揮させて頂く場所を与えてもらったと思ってます。明日から。正確には、1月31日から、会社で一つ一つのことを勉強しながら、やっていっています。何かべつのかたちでこれからは、プロレスに協力して、プロレスがもっと広がればいいなと思います」
——4月2日は、試合はなくともセレモニーなどは考えている?
井上「そうですね。まだ、具体的な案はまだないんですけども、私がファンの皆さんの前で、ちゃんとお別れできる場を作って頂きたい、というワガママを会社に伝えたところ、そのようなかたちで用意してもらったんで。感謝の気持ちだったり、何かちゃんと伝えられたらいいなと思ってます」
——最初に引退を決めた時期は?
井上「一番最初に引退の報告を会社にしたのは、去年の10月でした。あの〜、1999年の10月10日に、デビューしたんですけど。その10月の時点で『ちょっとできないな』と思いまして、伝えました。ですけど会社側が『選手契約の期間まで、直るまでギリギリ治療してもらっていい』とあたたかい言葉をもらいましたが、いまが限界だなと。今日はちょっと泣いてしまいましたけど、4月2日は、みんなと笑顔でレスラー・井上亘として、お別れができたらいいなと。ありがとうございました」