小島が全日本プロレス時代の盟友・カズとタッグを結成。対するは“生涯のライバル”天山と、浜口ジム時代の先輩・FUNAKIのコンビ。
試合開始前、20年に及ぶ小島の歴史を振り返ったVTRが上映される。その後、小島の師匠であるアニマル浜口氏がリングに登場。いきなり「小島ーー!! 20周年おめでとうーー!! オイ!! みんな!! 燃えろーー!! 燃えろーー!! 燃えろーー!! 燃えてるかーー!!」と絶叫すると、「気合だ!!」の10連発を敢行。そして、小島に花束を贈呈した。なお、この試合のサムライTVの実況解説は、ハンセン氏が務めた。
試合は、小島と天山のテンコジ対決でスタート。チョップ合戦から天山がモンゴリアンチョップを連射すると、小島がエルボー連打でお返し。しかし天山は、ヘッドドロップ、逆水平チョップ連射に繋いだ。
ここでFUNAKIの出番となるが、小島、カズに攻め込まれて沈黙。そのまま小島組が攻め続け、FUNAKIは長時間の劣勢を強いられる。だが、天山が加勢に入り、小島の顔面にヘッドバットをお見舞い。この隙を突き、FUNAKIが脱出に成功。
スイッチした天山は、コーナーで小島に逆水平チョップを連射し、FUNAKIとの合体攻撃で追い討ち。そして、天山が小島を羽交い絞めにし、FUNAKIがモンゴリアンチョップを連射で浴びせる。そのままズルズルと攻め込まれた小島だったが、ライディーンバスターでFUNAKIに逆襲。
タッチを受けたカズは、ミサイルキックでFUNAKIに追撃。そして、串刺しニールキックをヒットさせると、その勢いのままエプロンへ飛び出し、逆上がりでリングイン。さらに、控えの天山にも攻撃をくわると、トップロープを利用したスタナー、エプロンからのフライングボディプレスとFUNAKIへ畳み掛けた。
小島対天山の場面。小島が、逆水平チョップ乱射、串刺しジャンピングエルボー、「いっちゃうぞバカヤロー!」からのダイビングエルボードロップ、エルボー連打、ローリングエルボーと一気にラッシュ。
しかし、天山はカウンターニールキックで流れを引き戻し、逆水平チョップ連射、串刺しラリアット、カーフブランディング、ダイビングヘッドバット、アナコンダバイスと得意技を連発。そして、FUNAKIが足4の字固めでカズを分断すると、アナコンダスラムからさらに絞り上げる。だが、小島はロープエスケープ。
小島対FUNAKIの場面。天山組のトレイン攻撃となり、天山のラリアット、FUNAKIの串刺しジャンピングニー&フェースクラッシャーが連続で決まる。さらに、天山がTTD、FUNAKIがコンプリートショットで追い討ち。
ここでFUNAKIが小島を羽交い絞めにすると、天山がチョップ、モンゴリアンチョップ、ヘッドバットをお見舞い。そして、ロープへ走るものの、控えのカズが背中を蹴って妨害。
すかさず小島がFUNAKIにコジコジカッターでやり返し、カズとの合体コジコジカッターで天山を排除。そして小島は、垂直落下式ブレーンバスターでFUNAKIに追撃すると、最後は完璧なウエスタンラリアットでトドメを刺した。
SATOSHI KOJIMA 20th ANNIVERSARY 「RUSH!!」 〜やっちゃうぞバカヤロー〜
- 日時
- 2011年12月14日(水) 17:30開場 18:30開始
- 会場
- 東京・後楽園ホール
- 観衆
- 2,000人(超満員)
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第7試合 30分1本勝負
小島聡デビュー20周年記念試合レフェリー|レッドシューズ海野
MATCH REPORT
COMMENT
——20周年記念のリングにいた3人はつながりの深い3人です。
小島「そうっすね。カズ・ハヤシくんは、全日本時代に約8〜9年ぐらいですか。ずーっと仲良くさせてもらってて、いろんなことを教わりました。プロレスの技術もそうです。あと、身体のメンテナンスの仕方とか、プロレスラーとして大切な生き方とか、後輩ですけど、いろんなことを彼から学ぶことができました。ホントに頭がよくて、とても勉強になりました。……そしてFUNAKIさんは、いままで一度も20年間、リング上で絡んだことがなかったんですけど、プロレスに入る前、アニマル浜口さんのジムに通っているときに、ずーっと一番の親友でした。一緒にトレーニングして、食事して、おたがいの家を行き来してホントに仲のよかった友人です。そして一緒に新日本プロレスに入って、FUNAKIさんは、途中で辞めてしまったんですけど、こうやって仲良くはしてました。こういう日に対戦を受けてくれて、感謝してます。あとは!もう天山はいまから説明がいらないくらい、俺にとっての関わり合いの深い人間です。プロレスラーとしての20年間、いやもう一生!ずっと頭の中にある、友人であり、ライバルであり、ホントの意味での俺にとってのかけがいのない人物です。今日は、そんな4人に囲まれて、しかもハンセンさんや浜口さん、そういう師匠にも囲まれて、俺はいまプロレスラーとして生まれてきて、ホントに幸せです!」
——そして最後はラリアットではなく、ウェスタンラリアットでした。
小島「やっぱりハンセンさんの目の前で、一度は見てもらいたかった。もしかして、1回くらい目の前でやったことあったかもしれないですけど、こんな節目の大切な日にハンセンさんの目の前で、ラリアットをやらせてもらったというのは、プロレスラーとしてこのうえない幸せです」
——武藤さんと会うのは、全日本を離れて以来?
小島「たまに、公の舞台で顔を合わすことはありましたけど、一言、二言しか口をきいてくれなかったんで(笑)。こうやって、今日もおいしいところ持っていかれましたけど、それもまたすべて含めて俺の知ってる武藤さんだったな、というのは逆に安心できました。俺にとって武藤さんはやっぱり、プロレスラーとしての実績を作れたのは、すべてやっぱり武藤さんのそばにいたからであって。全日本にいた8年〜9年というのは、俺にとって絶対に欠かせない時間だったと思ってるので。武藤さんには、ホントに感謝の気持ちだけですね。……一番、何がよかったって、試合が終わったいま、笑顔でいることができるというのが一番の幸せです。たくさんのファン、仲間、いいライバルに囲まれて、最後に笑顔で挨拶ができたというのは、俺にとってのプロレスラーとしてのいまの幸せだと思いました。これからもよろしくお願いします!」
天山「ますます気合入ったね。最後に注入されました」
FUNAKI「最後、アゴに」
天山「まともに入ったっすよね。あのラリアットはやっぱり、さすがスタンハンセンの直伝だけあって、俺も食らった時は一瞬飛びましたね」
FUNAKI「挑発しない方が良かったですね」
天山「最後は終わってみれば、初めてこうやってFUNAKI選手と組んで試合に出ることになって、正直戸惑いあったっすけど、元々は新日本の」
FUNAKI「僕、天山さんに凄いお世話になって。僕、入門した時に天山さんと同じ部屋していただいて、一から全部教えてもらったんです」
天山「そんな昔の話はいい。あの時FUNAKIさんが残ってたらと思ったら、今頃どうなんだろって。巡りめぐってまた、こうやって新日本のリングに上がって来てもらって」
FUNAKI「僕は新日本の落第生なんですよ」
天山「いやいやいや。これからまた再入門しましょうよ。FUNAKIさんっていうビックネームだから」
FUNAKI「いやでも僕、新日本出る度にケガして、病院送りになって、帰って来て病院送りになって。3度目の正直なんですよ。やっと『ケガなく終わったかな?』と思ったら、最後にガチーンっと。まぁでも3度目の正直で、これで新日本プロレスに1歩入れたかなと。WWEに行った時に、どうして僕が日本に帰らなかったかっていうのは、新日本プロレスで落第生だったのが、これで帰ったら、絶対なにも出来ないなって。それで帰って来なかったっていう。それが一番大きかった」
天山「FUNAKIさんにはFUNAKIさんの道があったように、俺もそうやけど、こうして巡り会ったっていうのも“運命”」
FUNAKI「最初はパートナー違いましたからね」
天山「まさかメインで俺が出るっていうのは、正直ちょっと絡みたくなかったっていうのが本音でしたけど、でもこうやって組んでみて『運命やな』って思いました。ちょうど20年前の7月帯広で、コジがデビュー戦ってことで、俺が相手になって、それから20年ですよ。またこうやって新日本のリングで闘うことが出来るとは思わなかったですよ。でもレスラーは生きてるうちは、何が起きるかわからない。FUNAKIさんとの出会いも起こってきたし、いろんな人に感謝ですよ」
FUNAKI「ホントですね。僕もそうですよ」
天山「小島にはガンガン俺も遠慮なく言ったし、しっかり今度のタッグのベルト挑戦も決まってるし、その前に改めてコジとやってみて、しっかりアイツとはぶつかれてきたからね。本当に20周年おめでとうございます。」
FUNAKI「最高でしたね。新日本の再デビューが黒星で終わったんで、これからまた始まるかどうかわかんないですけど、その時はまた」
天山「そうやね、コジがしょっぱかったら、裏切ってFUNAKIさんと(笑)。その時はやりましょう。お願いします。今日はありがとうございました」
FUNAKI「また呼んでください。どうもありがとうございました」(と言って握手)