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まずは、会場の大型ビジョンに、ミラノのインタビューと新日本での活躍をまとめたVTRが流される。その中でミラノは次のように語った。
ミラノ「春も近いというのがあって、旅立ちの時期みたいな。そんな感じですね。新日本には真面目な人が多いじゃないですか。試合というか闘いに対して。そういうのをおちょくってると、楽しくてしょうがなかったですね(笑)。知り合いに『プロレスラーの引退なんて誰も信じねぇよ』とか言われたりして。信じられないんだったら、(試合に)乱入しに行きますよ(笑)。僕は技だけもらわなければ、ぜんぜん問題ないんで。技だけやらせてもらって、すぐ帰って行きます(笑)。やっぱりプロレスは凄く面白いものだと思うんですよ。新日本プロレスはどんどん頑張って、プロレスというジャンルを世の中にもっともっと広めてもらいたいと思いますね。それを今残っている選手、ファン、みんなの力でやって欲しい。もう、僕はできなくなっちゃいましたけど……。国家資格を取ることができましたんで。これは社会に出て行く上での、一つのアイテムと考えています」
そして、「MILANO FEVER+EUROPE」が鳴り響く中、ミラノガールズと共に白いタキシード姿のミラノが、透明犬ミケーレを引き連れて登場。代名詞とも言えるド派手な入場で場内を沸かせ、リング上で挨拶を行なった。
ミラノ「数年前、焦点が合わなくなるという目の負傷を負いまして、合計2回手術をして、なんとか日常生活を送れるようになりました。ただ、また受け身を取ったり、打撃を受けたりすると、目の症状が戻ってしまうということで、きっぱり引退を決意しました。約10年間、色んなレスラーや関係者、スタッフ、そういう人たちに支えられて、非常に感謝の気持ちでいっぱいです。第二の人生も、第一の人生を遥かに上回る凄く充実した人生になるように頑張って行きますので、これから会えるかどうか分かんないですけど、よろしくお願いします。今日はどうもありがとうございました」
次に、関係者が花束を贈呈。ミラノの原点・闘龍門時代の仲間であるツトム・オースギ(元ミラニートコレクションa.t.)、大鷲透、ヘラクレス千賀、かつてミラノが付け人を務めたハヤブサさん、プロレス通として知られる落語家の三遊亭楽太郎さんらの姿があった。
続いて大型ビジョンで、近藤修司(イタリアンコネクションのメンバー)、ウルティモ・ドラゴン(闘龍門の創設者/ミラノの師匠)のビデオメッセージが上映された。
近藤「ミラノとは、昔、僕がイタリア人だったことがありまして、その時一緒に組んでたんですけど、楽しい時も辛い時も、一番多感な時期を一緒に過ごしたかなと思っています。ミラノが引退するのは名残惜しいんですが、ひとまずお疲れ様と言いたいと思います」
ウルティモ「ミラノ、ボンジョルノ! 俺よりも先に引退するということで、ちょっと残念というのが正直なところ。でも、目の故障ということで、これからの人生を考えて、いい選択だったかなと思います。プロレスはこれで引退するわけですが、これからもミラノコレクションとして、第二の人生を思い切り頑張って下さい!」
すると、ここでルイス・ミゲルの「Separados」が場内に流れ、サプライズゲストとしてウルティモ本人が登場。リング上で花束を手渡されたミラノは、思わず涙ぐんだ。
そして、記念撮影のあと、10カウントゴングが打ち鳴らされ、尾崎仁彦リングアナウンサーが最後の選手コール。すると、赤・白・緑の紙テープが無数に投げ入れられ、リングを埋め尽くした。すると、ここでミラノがマイクを握り、改めて最後の挨拶を行なった。
ミラノ「やっぱ、泣かないって思ってたけど、無理でした。俺は今まで、人に体を治されてばっかり来ました。今度は、俺が人の体を治して行く。そういう立場に行こうと思ってます。今日、来てくれたハヤブサさん。俺がプロレス界に初めて入った時に、ハヤブサさんの付き人から全てが始まりました。俺の第二の人生も、どうやらハヤブサさんから始まるみたいです。俺は(リング上の事故で)8年間、車椅子生活だったハヤブサさんを絶対! 治してみせます! 第二の人生の1発目の“イタリア革命”は、ハヤブサさんを車椅子生活から離すことです。それじゃあ、最後にこのセリフだけ、言わせて下さい。みんな! イタリア革命についてこい!!」
このあとミラノは、ミケーレをリング中央に残し、四方に向かって礼。そして、エプロンに立つと、リングへ向かって深々と頭を下げた。
続いてミラノは、Tシャツをキャノン砲で発射してプレゼントするファンサービス。それが終わると、ハヤブサさんの車椅子を押して花道を退場。最後に振り返り、笑顔で両手を振ってファンに別れを告げた。
コメント
ミラノ「(会見の席につく前に報道陣に一礼して)みなさん、ホントに約10年間お世話になりました! ありがとうございました!(『今の気持ちは?』)やっと終わったな、という気持ちと、これからも前を向いて。生きていこうと。……そういう気持ちですね。(『新日本ファンから、大声援が飛んでいたが?』)あれは反則ですよね(笑)。泣かないと思ってても、やっぱああいうので泣いちゃいますもん。でも、ホント幸せなことだと思います。こういう盛大なセレモニーの中、引退できて。(『師匠であるウルティモ・ドラゴン選手の登場で涙が流れていたが?』)ホント、昔からああいうひきょう者なんですよ(笑)。おいしいところというか、人の気持ちが分かっているというか、ウルティモ・ドラゴン校長のマジックにやられましたね。でも、凄いありがたかったです! (『たくさんのゲストが駆けつけたが?』)そうですね……今日、予定が詰まっている人達もいて、今日の朝一番で全日本プロレスで頑張っている稔さん、ブラザーからも花束を頂いたり……たくさんの餞別をいただいて。それもホント幸せでしたね。(『第2試合では、Apollo55から首にIWGP Jr.タッグのベルトをかけられたが?』)なにしてくれんねん、と(笑)。もう、僕を泣かそうとしてるとしか思えない(笑)。でも、あの人達との試合は楽しかったし、宿敵というかライバルでしたけど、最後にああいうことをやられると言葉が出ないというか……Apolloと抗争していてよかった、と思いました。(『ミラノ選手の第二の人生は、ハヤブサ選手と始まる?』)東洋医学の技術を学んで勉強してる最中なんですけど、凄い先生と出会えたので。東京の一番弟子としてやってます。ウチの先生と出会って、これは凄いと思って。その人は脳梗塞で身体が動かなかった人をゴルフができるくらいに回復させましたし。そこにハヤブサさんを連れて行ったんです。そこで3回施術を受けたんですけど、3回目で、今までできなかったのに、うつぶせからあおむけになれるようになって。で、6回目の施術で、うつぶせでまったく動けなかったのが、四つんばいにもう少しでなれるくらいまで治ってきたんです。今、先生と自分も協力させてもらって、二人体制で施術させてもらってるんですけど。ハヤブサさんは不死鳥と呼ばれている人なんで、絶対に8年間の車イス生活からさよならさせて、僕もそうだったんですけど、1人でも日常生活を送れるようになって欲しい。ま、こんな姿(タキシード)で言っても説得力ないかもしれないけど、今そういう気持ちでいっぱいです。自分は、手術前は日常生活も満足にできなくて、歩いても転びそうになるし、車の運転もできず、テレビを観ていても気持ち悪くなるし……。そういう時に、『健康って幸せなんだな』と思ったんですね。今、たくさん苦しんでいる人たちがいるんだったら、今度は手助けできればいいな、と。そういう気持ちで選びました。(『現役生活の一番の思い出は?』)やっぱり、いま『BEST OF SUPER Jr』の初優勝の時(2007年6月)を思い出しちゃいましたね。あとはアメリカ生活もそう、全部楽しかったですね。思い返すと。(ここでタイチがミケーレを持って会見に登場)……何してんの!?」
タイチ「いや、忘れてきたのかと思って……」
ミラノ「何やってんの? 置いてきたんだよ、リングの上に! 何、持ってきてるんだよ! 引退するんだよ」
タイチ「……じゃあ、預かっとく(笑)」
ミラノ「(苦笑)……最後まで息が合わないっすね(笑)。アイツは果たして1人で、今後大丈夫なんでしょうか?(『最後にファンにメッセージを』)いままで応援してくださって、おかげで約10年間頑張ってこれました。第二の人生に進みますけど、もし僕みたいに日常生活が送れなくて困ってる人がいたら、そういう人に微力でも力になれたらいいな、と。僕はこれから東洋医学の道に進みます。何かあったら、どこかで必ず会えると思いますので、これからもよろしくお願いします。そして、第二の人生、最初の“イタリア革命”1発目を必ず成功させたいと思いますので、これからもよろしくお願いします」