旗揚げ記念日〜STRONG STYLE 37th ANNIVERSARY〜
- 日時
- 2009年3月6日(金) 18:30開場 19:00開始
- 会場
- 東京・後楽園ホール
- 観衆
- 1800
第1試合開始前、場内の大型ビジョンを利用して、37年前の3月6日に行われた新日本プロレスの旗揚げ記念興行の模様が映し出された。
続いて、新日本プロレスに多大な功績を残した選手を称える「NJPWグレーテストレスラーズ」の授賞式が行なわれた。セレモニーは、各プレゼンターがそれぞれの受賞者たちをリング上へ呼び込み、トロフィーを贈呈する形で進行。受賞者たちは、喜びの言葉を述べた。
【プレゼンター】菅林直樹社長「旗揚げ戦にも参加した我々の大先輩です。本日、ここにお招きできたことを光栄に思います。魁勝司さんです」
【受賞者】魁勝司氏「私は先月で67歳になりました。今、内装業で頑張っています。何も分からない自分を、ここまで育ててくれたのは新日本プロレスのおかげだと思っています。今日はどうもありがとうございました」
【プ レゼンター】金本浩二「私とネコさん(キャットさんの愛称)の出会いは、自分の入門試験から始まりました。大阪府立体育会館で、僕の入門テストをしてくれ たことを、今でもしっかりと覚えています。そして、デビューして1年ぐらい経つと、精神的に辛い時もありました。そんな時、『金本、メシ行こう』と言っ て、色んな所に連れて行ってもらいました。僕の心を凄く癒してくれた方です。新日本プロレスの選手として、レフェリーとして、また外国人選手の通訳、ト レーナーとして、たくさん貢献した方だと思います。今日、この賞を渡すことを非常にうれしく思います。ネコさん、これからも新日本プロレスをよろしくお願 いします」
【受賞者】故ブラックキャットさん(代理:幸枝夫人、長男・亨さん)「本日はお招きいただき、ありがとうございました。亡くなってから も、ブラックキャットという名前を忘れられない彼のことが、とても誇らしく思うと共に、とてもうらやましく思います。これからも新日本プロレスのブラック キャットの名前を呼び続けて下さい」
【プレゼンター】獣神サンダー・ライガー「“虎ハンター”として初代タイガーマスク・佐山聡選手と名 勝負を繰り広げ、その後、平成維震軍の一員として活躍されました。また、獣神サンダー・ライガーのデビュー戦の相手もつとめていただきました。ご紹介しま す。小林邦昭選手です」
【受賞者】小林邦昭氏「今日はありがとうございます。これからも、選手・社員一丸となって頑張って行くので、ファンの皆様、ご声援よろしくお願いいたします。ありがとうございました」
【プ レゼンター】山本小鉄氏「37年、おめでとうございます! 自分に言っています! これから私が呼ぶ“バカ息子”は、デビュー戦は私とやりました。背は高いんですけど、食べ物はあまり喉を通らない。『なに言ってんだ! 食べなけりゃ大きくなれない。レスラーじゃない』と言いまして、無理に食べさせました。去年、対談した時に『山本さん、空腹も苦しいですけど、山本さんみ たいに喉まで食わすのは苦しい』って(言っていた)。でも、彼はお酒を飲みますと、合宿所の包丁を4〜5本持ち、若い選手に手裏剣のように投げまして。 まったく恥ずかしくて危ない! その危ないのが! 赤コーナー! 246パウンド1/2、前田日明ーー!!」
【受賞者】前田日明氏「(『キャプ チュード』が流れる中、大『前田』コールで入場)自分も50になって、新日本にいた頃はもう25年前になったんだと思うと、本当に不思議な気持ちでいっぱ いです。当時、“トンパチ”と言われ、リング上でもリング外でも問題を起こしながら、それでもあたたかく見守って下さいました諸先輩。また、当時新日本プ ロレスが目指していた“キング・オブ・スポーツ”としてのプロレス。本当に合宿所にいた若い選手は、どこまでがプロレスで、どこまでがケンカだか分からな いような試合をしていました。そんな激しい試合をやりながらも、一旦ノーサイドになると、和気あいあいとチームワークよく。本当に毎日毎日頑張っていたと 思います。みんな元気いっぱいでヤンチャな人間が多かったんですけど、それをしっかりと束ねる怖い鬼軍曹がおりまして。当時は、山本さんのキャデラックの 音がすると、『ああ〜、今日もキツい練習になるな〜』と思いながら練習の準備をした思い出があります。そんな山本さんも、結婚16年目に娘さんができた瞬 間からですね、『ええ!? この人、どうしちゃったのかな?』というぐらい丸くなって(笑)。本当に驚いた思い出があったりします。いずれにしても、新日本プロレスにいた1日1日は 本当に素晴らしい青春の1ページであるし、自分自身を形作ることができた貴重な経験の連続だったと思います。当時の諸先輩、当時の新日本プロレスを支えて 下さいましたファンの皆さんに、心よりお礼申し上げます。ありがとうございました」
授賞式が終わると、全員での記念撮影が行なわれ、大歓声の中で記念セレモニーは幕を閉じた。
コメント
前田「自分らのやっていた頃は、新日本プロレスの『ワールドプロレス』(テレビ朝日)がいちばん視聴率を取っ ていたんですよ。ホントに、みんなプライドを持って、『どこよりも自分たちが1番なんだ』という部分で、練習、普段の生活、礼儀作法から厳しくやっていま したね。当時の新日本プロレスというのは、ビッグバンの中心だったんですよね」
※ここで、第1試合に出場するマシンと長州が現われ、前田氏と握手を交わす
前 田「(笑顔で)長州さん、まだやってるんですか? みんな元気だな、ホント(笑)。あの頃の選手というのは、まだ今の時点でも強いものを持ってますよ。以前、北沢さんがリングスのレフェリーをやっていた 時、(ヴォルク・)ハンとスパーリングをやったんですね。その時、北沢さんのスパーリングというのを初めて見たんですけど、ハンがぜんぜん極められないん ですね。『へぇ〜、凄いな』と思って。やっぱり、当時の人たちって誰に見せなくても、誰に言わなくても、ちゃんと(強さを)持ってましたよね。(新日本と は)色んなことがありましたけど、終わってみれば。当時は、全員が自分のやっていることに真剣だったんですよ。色んな意味でね。(これからの新日本は)と にかく原点に帰れと。当時の厳しい練習、厳しい生活、ケガをいとわないような激しい試合。新日本プロレスの黄金期の頃の原点に帰らないといけないと思いま すね」