海外武者修行へ挑む中島佑斗選手に壮行インタビュー敢行! プロレスラーを目指した破天荒な学生時代、ファレ道場を経て4度目のテストで新日本プロレス入門。
3年間の紆余曲折を乗り越えたヤングライオン時代、先に旅立った大岩陵平、藤田晃生、“ライバル”オスカー・ロイベについても言及!
撮影/山本正二
★以下、インタビュー序盤を無料公開!
■(棚橋さんを最初に見た時)自分はドレッドヘアとかそういう系かと思ってたから全然イメージと違って、「髪なげぇしホストっぽい人だな」っていう印象でした
――さて、中島佑斗選手。2021年2月14日後楽園ホール大会・上村優也戦でデビューして、現在までの3年間を振り返っていかがですか?
中島 クソみたいな気持ちになり続けた3年間でしたね。
――「クソみたいな」というのは?
中島 デビュー戦で左ヒジをブッ壊されて、自分よりあとに入門してきたヤツらに先を越されて、上のヤツらには毎回、好き勝手ボコられて……みたいな。
――そんな自分に対しても苛立ちがあると。
中島 そうですね。格闘技をやってた時は全然負けなかったんで、「もし格闘技を続けてとったら」とか気持ちがネガティブになることもあったり、地元でも周りのヤツから「あのままやっとったら」って言われてたので……。
――順風満帆とはいえない若手時代だったのはたしかですよね。
中島 実際、当時一緒の大会に出とったヤツらとかは、いま一番有名な格闘技の団体でスター扱いされとったり、そいつらの方が稼いどったり、ネガティブな時は「自分はその団体のオファーを蹴ってファレ道場行くのを選択したので、もしあの時に違う選択してMMAをやっとったら、どうなっとったんだろうな?」って思うことはありますね。
――それでも中島選手がプロレスを選んだ理由というのは?
中島 プロレスラーが一番強いと思ったからですね(キッパリ)。
――プロレス業界の中でも新日本プロレスを選んだ理由は?
中島 闘いたい選手が新日本にしかおらんかったので、新日本を目指しました。
――日記やX(旧Twitter)でも棚橋弘至選手と闘うためにプロレスラーになったというエピソードはありましたが、やはり存在は大きかったですか?
中島 大きいですね。ダサい話ですけど、自分は小さい頃からケンカで負けたことがなくて、周りから「佑斗すごいよ」みたいにもてはやされるじゃないですけど、そんな時にプロレスを知って「プロレスラーが一番ケンカ強い」と思って、「この人たちみたいになりたい」「この人たちと闘いたい」って気持ちになったんですよ。
――その中で、棚橋選手を知った経緯というのは?
中島 学校でその時ツルんどったヤツらに「プロレス知っとる?」って聞いたら「知っとるよ。この学校(大垣市立東中学校)の卒業生にチャンピオンおるよ」って言われたのが棚橋さんで。その時に「棚橋と俺、ケンカしたらどっちが強いのかな?」って聞いたら、いつもは誰が相手でも「佑斗が勝つよ!」みたいなことを言われとったのに、その時は「棚橋!」って初めて言われて、「ムカツク! じゃあ棚橋とケンカしたい」ってなりましたね。
――自分の上位概念として最初に意識したプロレスラーだったと。初めて棚橋選手を見たのは?
中島 最初に見たのは、パソコンの授業中に連れが調べてくれて「コイツだよ」って見せてもらった時ですね。自分はドレッドヘアとかそういう系かと思ってたから全然イメージと違って、「髪なげぇしホストっぽい人だな」っていう印象でした。で、同じ中学出身だから岐阜にいると思ってたんで、仲いいヤツを連れて学校抜け出して「棚橋!」って言いながら自転車こいで探してましたね。