ただいま、小島聡選手とスタン・ハンセン氏のスペシャル対談を、モバイル&スマホサイトで限定公開中! その一部を紹介します!
■「ラリアットを教わったことは、自分のプロレス人生の中で一番の財産」(小島)
小島 僕とハンセンさんが初めて会ったのは、2000年(10月21日)の全日本プロレス名古屋大会ですね。自分はまだ新日本プロレスの所属で、後藤(達俊)さんと組んで(スティーブ・)ウィリアムス、荒谷(望誉)組と闘いました。そのときハンセンさんは、三冠ヘビー級王者決定トーナメントにエントリーしていて、自分が表敬訪問したのが最初です。子供のときから見ていた憧れの人だったので、興奮状態の自分をうまく抑えるのに必死でした(ニッコリ)。
ハンセン そうだったのか!? 申し訳ないが、そのときのことはまったく覚えていないんだ。
小島 ・・・・・・(※落ち込む)。
ハンセン ハッハッハッハ! ソーリー。実はその日、テンリュウ(天龍源一郎)にノックアウトされて記憶喪失になり、すべてのことを忘れてしまったんだ。控え室でウィリアムスが私を持ち上げて起こすまで、何も覚えていない。そのとき、初めてプロレスから引退することを考えた(※注:翌日から長期欠場したのち、2001年1月28日に引退)。でも、コジマが私の所へ来たときのことは、昨日のことのように覚えているよ。
小島 2002年6月ですね。ちょうどアトランティックシティへ試合をしに行っていたので、まわりの人にお願いして、協力してもらい、会う機会を作っていただきました。
ハンセン 私の技を使う選手はたくさんいたし、それでのしあがった者も多い。しかし、私に直接いろいろ聞いてきたのはコジマが初めてであり、いまのところ唯一の人間だ。私が教える時点で、コジマはすでにトップレスラーだった。だから、プロとしていろいろなものを私から吸収していったんだと思う。
小島 “免許皆伝”という言い方はわからないんですけど、やっぱりラリアットを使うことに対して極意を教わったというか。元祖として使ってきた方に対しての敬意というか、そういう気持ちは凄く強くありました。
ハンセン その技をずっとフィニッシュホールドとして使ってくれて、非常にうれしい。コジマには「ありがとう」と言いたい。
小島 いえいえ。こちらこそ本当にありがとうございました。自分のプロレス人生の中で一番の財産だと思っています。
ハンセン サンキュー。私が財産を与えたかどうかはわからないが、非常にうれしく思うよ。コジマは本当にグッドハートを持ったいい選手。ラリアットといういろんな所で乱発されている技を、守ってくれていると感じる。
小島 あのときは、突然押しかけてしまって、すみませんでした。
ハンセン それまで誰も聞いてこなかったので、本当に驚いたよ(笑)。でも、それよりも聞いてくれたうれしさのほうが勝ったんだ。
※このあともプロレスについての深い話が満載! 続きはモバイル&スマホサイトでお楽しみ下さい!
※未会員の方は、いますぐ以下をチェック!!
各曜日担当はこのメンバーでお送りしています。