携帯&スマホサイト限定!! 復活の野人・中西学、その感動の復帰戦の裏側を本人が振り返る!! コラムコーナー「NJPWスペシャルインタビュー」でただいま“前編”を絶賛更新中!!
そのイントロを少しだけ紹介!!
「何とか乗り切ったけど、それからのことを永田は期待してるんだと思う」
【復活記念! 中西学緊急インタビュー!(前編)】
2011年6月4日京都大会。“野人”中西学を悪夢が襲った……。
メインイベントの6人タッグマッチに出場中、井上亘のジャーマンスープレックスを受けて頚椎を損傷。意識はあったものの、まったく身動きができなくなり、救急病院に緊急搬送されたのである。
入院当初は全身が麻痺した最悪の状態で、現役復帰は絶望視された。しかし、持ち前の根性と懸命なリハビリにより、担当医もおどろく驚異的な回復を見せる。同年10月には首の手術も行なわれ、首の神経を圧迫していた骨を削除。“爆弾”がなくなったことで、欠場前よりいいコンディションになった。
そして、今年10月8日の両国国技館で、中西は1年4ヶ月ぶりに復帰! 同期の盟友・永田裕志、タッグパートナーのストロングマン(CMLL)と組み、矢野通&飯塚高史&石井智宏と対戦した。試合には敗れたものの、奇跡的な野人の復活をファンも大声援で祝福! 両国が大感動に包まれた。
そこで今回は、中西学へ緊急スペシャルインタビューを敢行! 愛するプロレスへの熱き情熱、復帰を信じ続けたひたむきな思いなど、存分に語ってもらった——。
■サボっていたのが、あんなふうに爆発。すべては俺に原因がある。
——復帰戦が決まったのはいつごろですか?
中西 8月中旬ぐらいかな? 道場で平田(淳嗣)さんを始め、みんなに動きを見てもらって。自分では「行ける」と思っているけど、「とりあえず(みんなにも)見てほしい」ということで。「いま、これだけできるんだから、そこから1ヶ月以上も経てば、もっとクオリティが上がってるはずやし」という思いもあったしね。
——それで10月8日両国という日付が決まったわけですね。そのときの気持ちは?
中西 「やっとしっかりとした目標ができた」と思って。「やっと現実の世界に戻れる」というか。
——それまではモヤモヤしていた?
中西 やっぱり「リングに立たせてもらうのが現実や」と。結局は、首を痛めて「はよ出たい、はよ出たい」と思ってる自分も現実なんだけど、そういうのはあんまり現実だとは思いたくなくて。
——悪い夢を見ているような感覚ですか?
中西 というより、(復帰が)いつとは決まってないから、何か漠然としていて。せやから、目標がハッキリしたということで、もっともっと気合が入るし、具体的にも行けると思うよね。動きの中で確かめたいこともあるし、それはやっぱり(復帰が)しっかり決まったほうが、やりがいも出る。
——そこから練習などに変化はありましたか?
中西 というよりも、とにかく「ここでまたムチャなことをして、ケガをしたらダメになる」と思ったね。あんまり身体に負担を増やしすぎたらいけないんだけど、何かやってないと気が落ち着かなくて。だから、けっこう長い距離のウォーキングを入れて、体を動かすということをやっていましたね。それで、歩きながらいろんな所を見てると、気持ちよくて。試合のイメージ(トレーニング)とかしながら。回想することもたくさんあった。
——以前、焦って身体を動かして病状を悪化させてしまったから、今回は気をつけたということですか?
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