7月2日、新日本プロレス事務所にて、全日本プロレスの次期シリーズ最終戦、7月29日(日)後楽園ホール大会にて、船木誠勝とのシングルマッチが決定した永田裕志が、急遽、会見に挑んだ。
■永田裕志のコメント
「よろしくお願いします。今日は、このこと(永田裕志デビュー20周年大会のチラシを持って)のことじゃないですよね?急遽、全日本プロレスから船木誠勝選手との対戦が発表されたということで、とるものもとらずに会社にやってきました。昨日、やはり船木選手と闘ってみまして、蹴られたり、張られたりした中で、その痛みが彼の無念さ、複雑な感情を身をもって、心中を察することができましたんで。『いつか闘うことがあるだろう』とは思っていましたが、昨日の今日でシングルが決定するというのは、僕としても依存はないですし、早いほうがいいじゃないかと。たとえ、この一戦が終わったところで、船木選手の感情がおさまるわけではないでしょうし。これから何度でも闘う準備、そして覚悟、というものはあの1月4日を終わった段階から、常にもった状態で全日本プロレスに上がってきましたんで。カード発表されたことに異論はないです」
■報道陣との一問一答
——昨日の船木選手の攻撃を受けた感想は?
永田「1月4日に近い気がしましたね。その前に全日本プロレスで二度闘ったときには、ちょっとおとなしいと言いますか。本当の船木誠勝はこんなもんじゃないだろう、と思っていましたが、1月4日に弾けた船木誠勝というものを感じたので、それに近いものがあった。リングは、全日本のリングでしたけど、新日本の選手、関係者がたくさんいる中で、対戦相手が永田裕志というシチューエーションで見せたのが、本来の船木誠勝だったんじゃないでしょうか」
——船木選手は、秋山選手の三冠王座に挑戦表明しましたが?
永田「実際、昨日、テレビ解説をやらして頂いて、秋山選手の見事な勝利のあとに船木さんが上がっていったときに、『ちょっと早いんじゃないかな』とは正直思いました。ただ、全日本プロレスにも闘いに行くコマがない中で、出ていかざるをえない状況というのもあったんでしょう」
——この永田戦をクリアして、三冠王座を目指すと。
永田「あ、そう言ったんですか?……ということは、私も船木選手を破れば、三冠に挑戦できるシチュエーションになるのかな、と。『チャンピオン・カーニバル』に優勝できなかった時点で、秋山準に挑戦するというのは、壊れたと思いましたが、ここに来てそのシチュエーションが復活してきたのかなと。それは、逆に全日本プロレスの中には、永田裕志以上の実力者はいないということを内田社長のほうが認めてくれた、と。だって、全日本プロレスの中で実績を作る相手がいないんだから。俺との試合が、三冠の査定になるということは、やはり去年の『チャンピオン・カーニバル』を制したということ、集客貢献度、大会を盛り上げたという実績を買われて、ほかの誰よりもね。やはり、元新日本プロレスの大ファンであった、内田社長のお眼鏡にかなったかなと(ニヤリ)。ただ、これも私にとっては、大きなチャンス。昨日も秋山選手の試合を見て、刺激というものを感じましたから。彼自身も内田社長には握手を求めませんでしたけど、解説の私にはシェイクハンドを求めてきた。おたがいデビュー20周年を9月に控えている中で、元気いっぱい同士が全日本プロレスのリングの上で行われることになるなら、マット界、そして全日本プロレスへの最高のプレゼントになるんじゃないかな、と」
——三冠王座を奪取して、デビュー20周年・東金大会に乗り込む可能性もある?
永田「なるほど。ちょっと、いいっすね(ニヤリ)。これ(デビュー20周年・東金大会)に向けて、いろいろな材料を…(笑)。船木選手は、私と何度でも、と言われているわけですから、船木選手に東金のリングに上がってもらうのもアリかなと。選手としては、非常にシビアな試合になるのはわかりますが、プロモーターとしてみれば、非常におもしろい。みなさん、これが今日できあがったフライヤーです(笑顔で東金大会チラシをアピール)」