昨年、記念すべきキャリア20周年を迎えた田口監督。現在も唯一無二の存在感を放つ監督の濃厚な半生を振り返る連載インタビュー企画!
第8回は「暗黒期の離脱騒動とは? 早すぎたIWGPジュニアヘビー戴冠!? “都市伝説的ユニット”サムライジムの真実! “名コンビ”Apollo 55への思い!」
聞き手/鈴木佑
撮影/中原義史
★以下、インタビューの序盤を無料公開!!
――前回は2005年10月のメキシコ修行からの凱旋帰国について伺いました。当時、新日本はオーナー会社がユークスとなる動乱期で、06年の契約更改では10人以上が退団。その中には田口選手と同じ2002年入門組の長尾浩志選手や安沢明也選手もいましたが、どのように受けとめていましたか?
田口 安沢は退団と同時に引退したんですよね。彼から相談こそなかったんですけど、辞めるという噂は耳に入ってました。安沢澤は性格的にまっすぐというか、当時のヤングライオンという立場を考えると、自分のレスラーとしての未来が見えなかったのかもしれないですね。安沢澤があのまま残っていたら、またジュニアの風景も変わっていたと思うんですけど。
――安沢選手は小柄ながら闘志あふれるファイトで人気を博してましたよね。長尾選手は退団後に『ハッスル』(04年に旗揚げしたエンタメ色の強い団体。芸能人の参戦で話題を集めるも、09年に事実上の消滅)に移籍しました。長尾選手は後藤洋央紀選手には「『ハッスル』、行かへん?」と声を掛けたそうですけど。
田口 それ、いま初めて知りました。いや、長尾が『ハッスル』に行くっていう噂も聞いてたんで、本人に確認したんですよ。でも、「そんなことない」って言われました(笑)。
――当時、いろいろな動きがある中、これはいまでは公になっていますが、ジュニア勢が揃って退団するかもしれないという話もあったそうで。
田口 はい、辞める寸前までいきました。そのとき辞めた人たちが、のちに作る団体(無我ワールド・プロレスリング)に、ジュニア勢も合流するという話があって。実際、僕も2006年の契約を一回保留したんですよね。そうしたら、「田口、契約保留。退団も辞さない」みたいなニュースがYahoo!トピックスの3位くらいになってたんですけど、コメント欄を見たら「なんだ、田口壮じゃないのか」っていっぱい書いてあって(笑)。
――日本人メジャーリーガーと勘違いされたと(笑)。結局、ジュニア勢は新日本に残留することになりました。
田口 あそこがある種、運命のわかれ道だったというか。契約更改で退団ではなく保留にしてよかったと思います(笑)。そのときは退団した選手も多かったですし、「これはチャンスだ、新日本でがんばろう!」と前向きに捉えてましたね。若い自分がジュニアを盛り上げていこうと。
――そして田口選手は凱旋後の初の勲章として、06年2月19日の両国国技館大会でエル・サムライ選手と組み、稔&後藤組を破りIWGPジュニアタッグ王座を戴冠します。
田口 凱旋後の勲章なんですけど、IWGPジュニアタッグは僕よりも後藤が先に巻いてるんですよね。海外に行く前に獲っちゃうっていう。そのスピード感の早さが天才たる所以というか、当時の後藤はヤングライオンながらC.T.Uのリーダーでしたから(笑)。
――獣神サンダー・ライガーさんたちがネタ的にリーダーに仕立てたにしろ、後藤選手は実績を残してましたよね。C.T.Uも初期は武闘派だったものの、人気が上がるに連れて次第にコミカルな部分も見られるようになりましたが、田口選手はどのようにご覧になってましたか?
田口 当時は自分自身もいまとはまったく違うというか、まだカタい部分があったので……
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