天山「どうもありがとうございました。この間は俺の20周年興行に来てくれて、その時西村さんと組みたいなという気持ちがありましたから、今日、本当に同窓会っていうか、金原選手の20周年だけど、とても大きなことでした。ありがとうございました。やっぱり、21年前にプロレス学校に入って、同じ時を過ごした仲間ですからね。相手のサスケ、池田にしても、あの頃の気持ちっていうか、今もこうしてプロレスするっていうのはメチャクチャ感慨深いですけども。自分としてはまたこうやって西村さんとほんまの友情っていうかね、なんやかんや今でも連絡もらえるし、議員さんになっても忙しい中、こうやって連絡取ってるし、団体違えど組めるっていうのはなかなかチャンスないし。もうちょっと連係が取れればっていうのはありましたけども」
西村「この二人も2001年か2002年ですかね? 棚橋&吉江から名古屋のレインボーホールでIWGPタッグを獲ったことを忘れてましたけど、昨日のように思い出しました。コテコテのヨーロッパの戦法っていうか戦術が、彼の中に入っているんですよね。それは大きな尊敬している部分なんですけども。蝶野さんにしろ天山にしろ、ヨーロッパ組は共通の古き良き伝統のキャッチイズムがあるんですね。それは久々に思い出しましたよね。全日本の中でヨーロッパ経験組がいないので。こうやってまたプロレス界の保守の灯火を消さないように、どこの団体でも組みたいと思います。そう率直に思いました」
天山「西村さん、いま全日本ですか?」
西村「フリーです」
天山「フリーだったら、また新日本に」
西村「もちろんです。いつでも」
天山「自分的には全然大歓迎やから。やっぱり、政治のほうも忙しいでしょうけど、リングが恋しいんじゃないですかね? また組みたいと思っているし、やりましょう」
西村「そうですね。こちらこそ」
天山「IWGPタッグまた獲りに行って、プロレス界をかき回しましょうよ」
西村「プロレス界も新しい世代が出てきてますけど、やっぱり経験とキャリアが物を言う仕事で、天山にはまだまだIWGP狙ってもらいたいし、タッグにいくっていうんなら、いつでもサポートに駆けつけますから」
天山「ありがとうございます。最後に一つ、金原弘光選手、自分が新日本プロレスのプロレス学校に入門して、3日で辞めてとんずらした時に、彼が俺に電話してきて、『なんでせっかく入ったのに辞めたんや?』ってほんまに心配してくれたっていうのはありましたね。自分もそれでハッと目が覚めたっていうか、それがきっかけ。彼の一言がなかったら、今はもうプロレス界にいないかもしれないです。彼に救ってもらった。心から彼に感謝したいと思っているし、今日の20周年、自分をリングに上げてくれたっていうことに感謝しています。そして、20周年興行をやることができて、おめでとうございました。まだこれから先、俺たちの世代がこの世界で生きていかなきゃいけない。俺も頑張るし、彼もまだまだ頑張ってほしいし、みんなライバル。そうですよね、西村さん?」
西村「ええ」
天山 「まだまだ突っ走っていかなきゃいけないと思ってます。ありがとうございました」
【撮影/山本正二】
- 2011.11.16
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