お別れの言葉では、森喜朗さん(元内閣総理大臣)、藤波辰爾選手(ドラディション代表)に続いて、棚橋弘至選手(新日本プロレス)、古舘伊知郎さん(フリーアナウンサー)がそれぞれ猪木さんへメッセージを送った。
また、場内スクリーンにて猪木さんの好敵手であり数々の名勝負を繰り広げたドリー・ファンクJr.さん、タイガー・ジェット・シンさんよりVTRメッセージが映し出された。
■棚橋弘至選手(新日本プロレス)お別れの言葉
「猪木さん、ありがとうございました。選手を代表して、言わせていただきます。猪木さんがプロレスラーになって、新日本プロレスを作られたからこそ、現在、多くのレスラーがプロレスラーを目指し、僕たちもプロレスラーになりました。
そして今日、この会場にも多くのファンの方が来てくれています。猪木さんが本当にプロレスラーになってくれたからこそ、同じことを言ってしまいましたが、猪木さん、ありがとうございました。
そしてですね、猪木さん、すごく個人的なことなんですけども、うちの父が猪木さんのファンで。猪木さんの本名、猪木完至の“至”という字を、僕は一字いただきました。そして、結果、プロレスラーになりました。プロレスラーになれて、本当によかったです。
最後になりますが、猪木さん、これからも猪木さんが作られた新日本プロレスがますます盛り上がっていくように、厳しい目で見ていてください。よろしくお願いします。ありがとうございました」
■古舘伊知郎さん(フリーアナウンサー)お別れの言葉
「さあ、アントニオ猪木! ほぼリングの中央で、この巨人、アンドレ・ザ・ジャイアントにキーロックを浴びせております。苦しそうな表情になりました、アンドレ・ザ・ジャイアント! おーっと、苦し紛れに、アンドレ・ザ・ジャイアント、2m23cm、260kg! この巨体が立ち上がりました、まさに人間山脈であります!
猪木がキーロックを外さない! まるでアンドレ・ザ・ジャイアントは引っ越しの荷物を肩口に乗っけてるような状態になりました。しかしながらキーロックが決まっている、苦しい苦しい、アンドレ! さあ、あとずさっている、あとずさっている。
さあ、コーナーポスト上段に猪木を乗っけるかたちになりました! 何を思ったか、アントニオ猪木! まっさかさま、頭からほぼリングの中央に突っ込んでいく! ダイブした! 腕を外さない! アンドレはたまらず一回転! ドスンという鈍い音! さあ、ここからどう攻めていくか、猪木ー!?
どうして猪木さん、猪木さんの試合、湯水のように言葉が出てくるか。新人アナの頃、僕にはわかりませんでした。少し経ってからわかってくるようになってきました。
そう、アントニオ猪木の頭の中には、試合のイメージが必ずある。そして、猪木の頭の中には必ず物語がある。だったら、私はアントニオ猪木の頭の中に入っていって、そしてそのイメージや物語を汲み取って、通常の言葉に転換をし直して、リング下、放送席でしゃべり続ければいいんだ。
そうだ、アントニオ猪木という存在は肉体言語なんだと、あるとき思いました。そこからはもう、止まりませんでした。だからこそ、レスラーが反則行為のナックルパート。この通常の表現が猪木さんの場合だけは、弓を引くストレート! 怒りの猪木、鉄拳制裁! さまざまな物語が生まれてきました。
猪木さん、少しは楽になりましたか? 猪木さんが旅立つ4日ほど前、私はお見舞いに行きました。もう、ほとんど猪木さんはしゃべれない状態でした。ベッドに横たわっている。猪木さんを少しでも楽にさせる言葉、これが見当たりませんでした。
私はただただ心の中で、猪木さん、猪木さんの周りにはまだいっぱい、猪木さんが魅力的な人間だから、いっぱい周りにいる。けっして一人では死なせないよ。この言葉だけを心に秘めて、むくんだ猪木さんの足をずっとさすりました。お見舞いに帰る道すがら、私はつくづく思いました。
若き全盛期、アントニオ猪木、125kgのすばらしい肉体。いまは齢79にして、60kg台にまでやせ細った。食べることはできない、しゃべることはできない、動くことができない。そんな三重苦、僕は帰りながら、早く迎えに来てくれと思いました。そして同時エゴイズム、少しでも猪木さん、生きてくれとも思いました。
猪木さんが旅立ってから、より一層、猪木さんのことを考えるようになりました。私のいまある言葉の宇宙は、猪木さんによって形作られています。だからこそ、思い出します。猪木さん、あの1984年、パキスタンの通り、鬼のような行軍でした。みんな、疲れ切っていた。そのとき、猪木さんがひょうひょうとダジャレをかましてくれました。そして、ニコッと笑ったあの値千金の笑顔。それでみんなが救われました。
思い出します。あのときは夜中、六本木の芋洗坂。あのお店で猪木さんと一緒に歌わせてもらった『イムジン河』。さまざまなことが思い出されてきます。
私はこれからも猪木さんのことを時折、語り続けさせていただきます。アントニオ猪木が旅立ってから、およそ5カ月と1週間あまり。長い旅路、いまこの此岸から彼岸への花道。ゆっくりと猪木が背中を見せながら遠ざかっていく。思えばこの背中に、幾多のイメージがありました。そして、この闘魂ガウンの背中に、あまたの物語がありました。すべてを見せつけ、すべてを抱え込んで、いま猪木がゆっくりとあの世界へと進んでいきます。
猪木! いまわれわれに、一瞬振り向いた! 無言だ。またきびすを返して、進んでいく。猪木の身体が小さくなっていく。深く深く感謝します。猪木さん最後まで肉体のブルースを奏でてくれて、ありがとう。アントニオ猪木、そして、さようなら猪木完至さん」
■ドリー・ファンクJr.さんよりVTRメッセージ
「こんにちは、ドリー・ファンクJr.です。大阪で60分間試合をして引き分けた試合を昨日のことのように覚えています。アントニオ猪木は“闘魂”そのもので永遠に歴史、そして我々の心に存在します。
日本のプロレスファン、そして全ての新しいプロレスリングのファンへ、アントニオ猪木さんを決して忘れないでください。神様は永遠に見守っています。また、会いましょう。(日本語で)アリガトウゴザイマス」
■タイガー・ジェット・シンさんよりVTRメッセージ
「コンニチハ。日本のプロレスファンの皆さま、カナダにいますタイガー・ジェット・シンです。今日は皆さまでレジェンドである猪木さんの功績をお祝いしましょう。
神が彼の魂を見守ってくれますように。(日本語で)イノキサン! イチバーン! No.1!」
続いて、遺族を代表して弟の猪木啓介さんが、猪木さん、そして来場者へ感謝のメッセージが伝えた。
■遺族の猪木啓介さんよりメッセージ
「本日はお忙しい中、故・アントニオ猪木とのお別れ会に起こしいただき、ありがとうございます。そして、このようなすばらしいお別れ会を準備していただきました、発起人のみなさま、新日本プロレス、およびIGFのみなさま、熱く御礼申し上げます。
そして、公私にわたり、ご尽力をいただきましたOSGコーポレーションの湯川会長さま、心から感謝を申し上げます。
アントニオ猪木もこのようにたくさんのみなさまがたに見送られて、心安らかに旅立っていけるのではないかと思います。アントニオ猪木が最後に残した言葉、ありがとう。僭越ではございますが、この私からもありがとうという言葉で、締めくくらさせていただきたいと思います。みなさま、本当にありがとうございました!」
「アントニオ猪木 お別れの会」の最後は田畑アナより、「やはり最後は会場の皆様とともに、あの掛け声で締めたいと思いますが、いかがでしょうか?」の問いに、場内からは大きな拍手が沸き起こると、孫の猪木ナオトさんとオカダ・カズチカ選手が登壇。
そして、オカダ選手より「僭越ながら、猪木さんに代わって言わせていただきたいと思います。それでは皆さん、ご唱和ください!いくぞ!」と音頭をとり、来場者全員で「1、2,3、ダー!!」の大合唱をおこなうと、真っ赤なテープが降り注ぎ「炎のファイター」とともに大猪木コールが沸き起こった。
その後、献花式ではご遺族、お別れ会に参列した関係者、そして来場者が両手を合わせ、それぞれ思い思いの言葉を掛けながら特設リングに真っ赤なカーネーションを献花した。