昨年、記念すべきキャリア20周年を迎えた田口監督。現在も唯一無二の存在感を放つ監督の濃厚な半生を振り返る連載インタビュー企画!
第6回は「伝説の“野毛決起軍”は足並み揃わず…。壮行試合で“仙台セーラーボーイズ”結成!? 待望のメキシコ修行でハプニング続出!」
聞き手/鈴木佑
撮影/中原義史
★以下、インタビューの序盤を無料公開!!
――田口選手の若手時代について伺っています。2004年は春の『ヤングライオン杯』で優勝し、そのあとに5.13後楽園で棚橋弘至選手のIWGP U30王座に挑戦を果たすなど実績を積み、2度目の『BEST OF THE SUPER Jr.』出場を迎えます。このときは5.23後楽園の公式戦初戦で、あの獣神サンダー・ライガーさんにドロップキックの連発で、ヤングライオンながらわずか45秒で勝利を収めたのが大きなインパクトを残しました。
田口 とにかくドロップキックを「ポン! ポン! ポン!」と連発して、気づいたら勝てたという感じだったんで、自分でもビックリしました。ある種の作戦勝ちというか、速攻勝負を仕掛けたからこそピンフォールを取れたのかなと。言うまでもなくライガーさんは大きな存在ですから、この公式戦は若手時代の中でもとくに印象に残ってる試合の一つですね。
――最終的にこのときの『SUPER Jr.』は1勝4敗2分で終わりましたが、デビュー1年半としては順調に進んでいましたし、ご自身的にも手応えはありましたか?
田口 手応えよりも、逆に怖い部分がありました。同じヤングライオンの中では結果を残していても、怖いくらい順調にステップアップしてるので「どこかで足を踏み外して転げ落ちていくんじゃないか?」と、性格的なものもあってか、どこか冷静に捉えていたというか。リング上では前のめりなんですけど、まだまだ若手なので。
――その若手の面々、02年組を中心とした“野毛決起軍”が結成されたのもこの時期で、これは当時すでにトップ戦線で活躍していた中邑真輔選手の呼びかけによるものでした。
田口 これがまた、全然足並みが揃わなかったんですよね(苦笑)。僕はいい試みだと思いましたし、長尾(浩志)も「まあ、おもしろそうやからやってこうか」みたいな感じでしたけど、後藤(洋央紀)は加入しなかったですし。ヨシタツは入りつつも、中邑にリーダーシップを取られるのが気に入らなかったみたいで。もっと「オレたちでやるぞ!」みたいな感じでまとまればよかったんですけど。
――そういえば中邑選手が03年12月に天山広吉選手を下し、デビュー1年4カ月でIWGPヘビー級王座を戴冠したときに02年組がセコンドにつきましたが、中邑選手いわく「アイツらは先輩に言われてついただけで、本心はどうだったかわからない」と発言されていました。
田口 僕はとくにヘンな気持ちはなかったんですけどね。自分は中邑と階級が違うこともあって、あの活躍を見てもとくにアセりもなかったですし。単純に同期の活躍は刺激になるので、応援していたというか。逆にヨシタツは早い時期から中邑にジェラシーを燃やしてましたけど。
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