今年、プロデビューから20周年を迎えた田口隆祐。それを記念し、田口監督の濃厚な半生を振り返る連載インタビューがスタート!
第1回は知られざる幼少期~高校生時代を激語り!
聞き手/鈴木佑
撮影/中原義史
★以下、インタビューの序盤を無料公開!!
■出身は宮城県岩沼市、……だが実際の生まれは“東京”だった!?
――田口さん、このたびはデビュー20周年。おめでとうございます。
田口 ありがとうございます! まあ、デビュー記念日の当日、11月22日後楽園では自分の試合はないんですけど(苦笑)。前日(11.21後楽園)と翌日(11.23立川)には『SUPER Jr. TAG LEAGUE』の公式戦がありますので、そっちのほうでがんばります。
――なるほど(笑)。まずは田口選手の生い立ちから伺わせてください。出身は宮城県岩沼市ということですが、実際の生まれはじつは東京なんだとか?
田口 はい……、これはちょっと“経歴詐称”になるんですかね?(笑)。出生は母親の実家がある足立区で、そのあと一時期は渋谷にも住んでたそうです。で、3歳くらいの頃に名古屋に引っ越し、5歳からは神奈川の藤沢に住んでました。
――じつは“シディーボーイ”であり“湘南ボーイ”だったわけですね(笑)。
田口 でも、それらしいエピソードというか、当時の記憶はあんまりないですけど(笑)。数少ない藤沢の思い出として、幼稚園のトイレでウンチをするのを恥ずかしくて我慢してたら、送迎バスの中でもらしたのを覚えてます。
――数少ない思い出が下ネタ(笑)。引越しが多かった理由というのは?
田口 父親がNTTに務めてたんですけど、転勤族でけっこう全国を転々としていて、小学校を5回転校してるんですよね。小学1年生までは藤沢にいて、2~3年生が宮城の仙台。4年生で青森に引越して、5年生になるとまた仙台に戻ってきて。で、6年生の頃に親が岩沼に家を建てたので、大学で上京するまではそこに住んでました。
――幼少期は病気がちと伺ったんですが?
田口 そうですね。扁桃腺の病気を持っていて、幼稚園も休みがちでしたし、当時は繊細でおとなしい性格だったみたいです。そのあと、小学1年生の夏休みに扁桃腺の手術をしてからは、活発になったというか。
――リングを下りた田口選手はわりと物静かで少し人見知りというか、それは転校が多かったのは関係ありますか?
田口 いや、逆に小学校の頃は人見知りせず、わりとすぐ友だちができるタイプだったんですよね。女の子ともふつうに遊んでましたし、転校自体もべつにいやではなく。
――コミュ力が高かったんですね。単純に転校が多いぶん、それだけ友だちも増えて、関係も続いていった感じですか?
田口 いや、そこは転校すると終わりですけど(笑)。でも、当時は楽しくやってたと思います。運動も勉強も得意で、自分でいうのもなんですがちょっとモテて。でも、それが小6あたりで、人見知りの傾向が現れたというか。
――それは思春期を迎えて心境に変化が?
田口 そうですね。6年で転校した岩沼と、それ以前の学校でハッキリ違ったのが、“マセてる子”が多かったんですよ……。
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