新日本プロレスの創設者であり、元プロレスラーのアントニオ猪木さん(本名・猪木寛至さん)が10月1日、都内で死去されました。猪木さんは、数万人に一人の難病と言われる「全身性トランスサイレチンアミロイドーシス」で闘病中でした。享年79歳。
猪木さんは、神奈川県横浜市出身。14歳の時に家族と共にブラジルに移住し、コーヒー農園等の仕事に従事していましたが、遠征で現地に訪れた力道山さんにスカウトされるかたちで日本プロレスへ入門。
1960年9月30日、東京・台東区体育館にて本名でプロレスデビューし、1962年から「アントニオ猪木」とリングネームを改名しました。
その後、日本プロレスとの確執から追放を経て、1972年1月には新日本プロレスを創設し、3月6日に大田区総合体育館で旗揚げ戦を開催。
生涯のライバル、ジャイアント馬場さんの全日本プロレスに対抗して、ストロングスタイルを標榜する過激なプロレスを推し進め、“燃える闘魂”をキャッチフレーズに数々の名勝負を展開。日本中にプロレスブームを巻き起こしました。
また、1976年6月26日には日本武道館で、ボクシング世界ヘビー級王者 モハメド・アリとの“世紀の一戦”異種格闘技戦を実現させて、世界中の話題を集めました。
1989年には政界にも進出し、スポーツ平和党を立ち上げて、第15回参議院選挙に初当選。史上初のレスラー出身の国会議員となり、参議院議員を2期務めています。
2022年1月4日東京ドーム大会のオープニングでは、場内ヴィジョンにVTRのかたちでご登場頂き、新日本プロレス旗揚げ50周年にメッセージを送っていただきました。
アントニオ猪木さんのご冥福を心からお祈りいたします。
新日本プロレスリング株式会社