プロレス界随一の論客・“GK”金沢克彦氏の独特の視点から、現在進行形の新日本プロレスに関するコラムを続々レポート(不定期連載)!!
今回は「“出色の内容”だったUS王座戦、vsオスプレイで“独り立ち”したデビッド・フィンレー」9.25神戸決戦を総括!!!
スマホサイト会員の方、全文はコチラ!
※以下、コラムの序盤を無料公開!
■試合が進むにつれて館内は徐々に盛り上がり、メインイベントで大爆発という理想的な興行を見せてもらったような気がする。
『バーニング・スピリット』最終戦となった9.25神戸ワールド記念ホール大会。同日は、3大タイトルマッチと10.10両国『超実力派宣言』の前哨戦カードが組まれた。
神戸ワールドという大きな器からいくと、カード的にというか、マッチメイクとしては「すこし弱いかな?」と戦前は思っていたものの、試合が進むにつれて館内は徐々に盛り上がり、メインイベントで大爆発という理想的な興行を見せてもらったような気がする。
今回は、セミファイナルに組まれたNEVER無差別級選手権、カール・アンダーソンvs棚橋弘至と、メインのIWGP USヘビー級選手権、ウィル・オスプレイvsデビッド・フィンレーの2試合に焦点を絞って総括してみようと思う。
■両者の発言からわかったことは、言葉ではなく、体をぶつけ合って6年の空白を埋めてみたい。そんな気概であった
まず、6年ぶりの新日本マット復帰早々にしてタマ・トンガを破りNEVER無差別級王者となったWWE帰りのアンダーソンに、棚橋が挑んだ一戦。
思い起こせば2008年に、欠場選手の代役として新日本の旧ロサンゼルス道場(以下、ロス道場)から日本に呼ばれたアンダーソン。新日本のジャージを着た新参者の外国人選手は、思わぬチャンスを掴んだ。
ロス道場と新日本道場、さらに新日本マットの実践で揉まれたアンダーソンは着実に実力を磨いてきた。
最大の出世試合は、2012年の『G1 CLIMAX』で優勝決定戦まで進出したこと。
惜しくもオカダ・カズチカに敗れたものの、堂々たる準優勝。
また、優勝戦進出を決めた最終公式戦では、初めて棚橋を破りファイナル進出を決めている。その実績もあって、翌2013年の2.10広島大会では棚橋が保持するIWGPヘビー級王座に初挑戦も果たした。
一方、タッグのほうは実績充分でパートナーを代えながらも、IWGPタッグベルトを4度巻いている。結局、日本育ちで日本で名前をあげたアンダーソンは2016年にパートナーのドク・ギャローズとともにWWEに引き抜かれていった。
6年前までのアンダーソン。エースである棚橋のことを”師匠”と呼ぶほどにリスペクトしていた。また、中邑真輔とはロス道場で同じ釜の飯を食った間柄。友人にして最高のライバル関係も築いていた。
あれから歳月が流れ、王者=アンダーソン、挑戦者=棚橋というカタチで実現したNEVER無差別級選手権。当初、棚橋は「あの頃と自分が変わっていないことを(アンダーソンに)教えたい」というニュアンスの発言を残した。
これには多少の違和感というか、なんとなく棚橋らしくないなあと思った。つまり、「オレは衰えてなんかいないし、まだオマエには負けないよ」というアンダーソンに向けてのメッセージであったのかもしれない……。
※無料公開はここまで!
※この続きは、NJPWスマホサイト or NJPWスマホプレミアムでご覧ください。