6.21後楽園ホール大会で新日本プロレスに電撃復帰をはたしたKUSHIDA。3年半ぶりの新日本マット、王者・石森太二、現在の新日本ジュニア、そして自身の夢にも言及!!
現在の心境に迫る、復帰後初のロングインタビュー(後編)を更新!!
★【前編はコチラ】「『LAに住みながら、世界でも日本でも試合をする』新日本の中にそういうレスラーがいてもいいんじゃないか」新日本復帰後、初のロングインタビュー!
※以下、インタビューの序盤を無料公開!
■ボクが退団する前の新日本プロレスと一番違うのは、「歓声があるか・ないか」ですね
――KUSHIDA選手は6.21後楽園で、新日本のリングに約3年4カ月ぶりに登場しました。7.3後楽園で復帰戦を行ないましたが、ひさびさの新日本マットをどのように感じましたか?
KUSHIDA 率直に懐かしかったですね。後楽園という会場もとても心地よくて。あと、リングの状態が物理的によくて動きやすいのをすごく感じました。アメリカのリングとは違うので。
――新日本のリングは改めてとても動きやすいと。
KUSHIDA 一つだけネガティブなことをいえば、「まだお客さんが声を出せない」ってことですかね。アメリカはパンデミックになって以降、すごく早い段階で割り切って、お客さんが歓声を送ることを容認したんですけど。とくにフロリダではメチャメチャ早かったんですよ。
――あ、そうなんですね。
KUSHIDA マスク着用の有無に関しても寛容で、そこは「個人の自由だよ」「自己責任だよ」という国なので。だから、ボクが退団する前の新日本プロレスと一番違うのは、「歓声があるか・ないか」ですね。
――KUSHIDA選手が退団した一年後くらいに、コロナ禍に突入して、いまのような状況になりましたね。
KUSHIDA 「若い選手がかわいそうだな」って思いました。歓声がないと何を基準にしていいかわからないので……。それと、新日本プロレス全体でいえばボクがいなかった3年間の中で、『NJPW STRONG』っていう番組が始まって、アメリカに根付いたのは本当にすごいと思います。
――テーピング番組の『NJPW STRONG』はコロナ禍の20年8月にスタートし、丸2年が経ちました。
KUSHIDA 本当にすごいことをやってるので、もっと日本のファンの注目が集まるべきだと思いますし。振り返ると2012年に、新日本の主力選手がROHの北米ツアーに参戦したことがあって。オカダ(・カズチカ)さんや棚橋(弘至)さん、中邑(真輔)さんもいましたね。あの時から今日の新日本の世界進出ってのが本格的に始まったと思ってるんですけど、それがいまや花開いて、こうして定期的に海外で大会を開催できてるっていうのは、本当にすごいことだと思いますね。
――この10年で、それだけ海外に“NJPW”が浸透したというか。
KUSHIDA ボクもつい先日、シャーロット大会に参加できたのは光栄だと思いますし。これを10年、20年、定期的にずーーっと続けて繁栄させていくのも、絶対にやっていかないといけないことだと思います。
■じつは柴田さんとはWWEにいるときも、何度かメールのやり取りをすることがあったんですよ。
――6.21後楽園の登場についても伺いたいんですが、あのサプライズ登場は誰にも話していなかったんですか?
KUSHIDA そうですね。前日にオーランドから日本にやって来て、翌日にはまたオーランドに戻ったんですけど。とくに事前に誰ともやりとりはしてなくて。……ただ、WWEを辞めたときに最初に連絡したのは柴田(勝頼)さんでしたね。
――あ、WWEを辞めた後、最初に柴田選手に連絡を。
KUSHIDA ハイ。で、6.21後楽園ホールの当日の朝に、棚橋さんに連絡しました。
――LA DOJOでヘッドコーチを務める柴田選手と連絡されてたのは、少し意外というか。
KUSHIDA じつは柴田さんとはWWEにいるときも、何度かメールのやり取りをすることがあったんですよ。というのも、あまりにも『NJPW STRONG』に出てた選手が、WWE・NXTにやってくるんですよね。
――ああ、たしかにそうでしたね。
KUSHIDA しかもボクが相手をする機会が多かったので。
――『NJPW STRONG』から来る選手なら柴田選手がよく知っているだろうということですね。
KUSHIDA 逆にNXT辞めた連中が、『NJPW STRONG』に戻ったりもして、そこの選手の往来が非常に多かったんですよ……。
※無料公開はここまで! このあとは、IWGPジュニア王者・石森太二について、現在の新日本ジュニア、高橋ヒロム、エル・デスペラードに関して。そして今後の野望、夢にも言及!!
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