6月13日に急逝されたプロレスリング・ノアの三沢光晴さんへ向け、14日の後楽園ホール大会に出場した選手、並びに関係者が、追悼コメントを述べた。
菊地毅
「何を言っていいか分からない感じです。今、自分が言える事は、三沢さんがやってきた事をこれからも自分のプロレスで主張していかないといけない。心労というか、色々と辛い事があったのだと思う。今の俺が言える事は、レスラーとして胸を張って頑張っていく。それが三沢さんに対する恩返しになる。俺にとっては三沢社長であって、超世代軍のリーダーであって、自分がレスラーとしてやっていく上で一番のキーマンであって、相談する相手でもありました。いい思い出をありがとうございました。今後も三沢さんの意思を継いでやっていきます」
青木篤志
「話でしか聞いてないので、まだ信じられないというのが正直なところです。本当に実感がないです。この前、シングルで闘いましたし、デビュー戦の相手も三沢社長でした。今日も試合があるので、正直そういう事(三沢さんの言葉)を思い出すのはどうかと思いますが、最後に大阪でお会いして、その時に『頑張れ』と(言われました)。その言葉の意味をきちんと考えながら挑みたいと思います」
中西学
「昨夜、知り合いから聞きました。何とか生還してほしい、蘇ってほしいと祈っていたんですが、間もなくして亡くなられたと聞いてショックでした。ほとんど面識がなかったのですが、プロレスラーの先輩として、またアマチュアレスリングの先輩として、尊敬していた方でした。闘ってみたかったです。本当に驚いてしまって言葉にならないんですが、ノアの皆さんも頑張っていますので、残された我々が死に物狂いでこの業界を盛り上げていくのが三沢さんに対してできる事だと思います」
永田裕志
「昨日の試合のあと、京都で訃報を聞きました。凄く動揺して、ちょっと自分を抑えるのが困難な状況でしたね。ZERO-ONE(現ZERO1)の旗揚げの時(2001年3月2日)、初めてタッグマッチで試合をやらせてもらって。そのあと、ノアに参戦した時にも4〜5回やらせてもらったと思います。恪とかそういうものを抜きに、堂々と正面から永田の攻撃を受け止めてくれた凄く大きな人だったですよね。その分、お返しというのはハンパじゃなく強烈でしたけど。以前より体調がよくなくても、対戦相手の攻撃を正面から受け止めるファイトスタイルが変わってないのを(1月4日東京ドームで)見て、僕もこういう風になって行きたいと思いました。僕が新日本とノアの国交を開いたとはいえ、まだまだお互いにシビアな空気の中、広い心で受け止めて下さった。本当に温かく器が大きい人だったなと思います。本当に残念というか、凄く悲しみが大きい。ZERO-ONEの旗揚げ戦で当たった時、僕のキックをさんざん受け止めたあとに、三沢さんから反撃でもらったエルボーが首から胸骨まで響いてグシャッと来た。『キツいな、これが三沢さんのエルボーか』と思いました。考えてみると、あの旗揚げ戦で闘った三沢さんと自分のパートナーだった橋本(真也)さんも亡くなってしまった。早すぎますよね」
天山広吉
「本当に突然というか、今でも信じられないです。本当に残念な事になってしまって、何と言っていいか分かりません。小橋(建太)さんとの試合で(5月6日ノア日本)武道館へ行った時にご挨拶をさせて頂いたんですけど、それが最後でした。いつか三沢さんとも闘えればと思っていたので、本当に残念です。プロレス界にとって大きな財産だった方なので本当に悲しいです。心からご冥福をお祈りします」
S・S・マシン
「昨夜、知人からメールが来て、突然の事で驚いています。彼がタイガーマスクだった時代、20年ぐらい前にカルガリーハリケーンズというチームで全日本プロレスのリングに上がっていた時期があって。その頃は2日に1回ぐらい対戦していて、センスのいい選手でした。彼と試合をしていて楽しかったという印象が残っています。年齢的にも近いですから、若い頃と比べたらコンディションづくりは大変ですよ。そういう中で社長としても頑張っていたし、色んなストレスもあったと思うんですよね。そういうものが積み重なったのかなと。かなり無理をしていたんでしょうね、俺が引っ張っていかなきゃというので。ご冥福をお祈りします」
棚橋弘至
「京都大会終了後、京都に残っていまして、そこで(聞きました)。信じられなくて、自分なりに情報を探したり、色んな人に電話をしたりしました。(三沢さんは)どんな技でも正面から受けに来る(という印象)。プロレスっていうのは、死というものと近いところにある職業なんだと改めて意識しました。業界を引っ張ってくれた先人の気持ちを受け継いでいかないといけないと感じています」
中邑真輔
「本当に突然のことで信じられないというか、言葉も出てきません。団体も違いますし、世代も違う選手ですけども、自分としてはノア=三沢光晴でした。プロレスの象徴である存在と思っていました。まだ闘うチャンスもあったでしょうし、壁になって欲しい存在でした。本当に信じられない。信じようがない。呆然として言葉も出てきません。(1月4日東京ドーム大会で対戦した時)真っ向勝負を挑んでも、ノーガードで立ちふさがるというイメージが非常にありました。かかわれること自体がなかなかなかったことなので、一度でも対戦できたということは、大きな財産になると思います」
タイガーマスク
「昨日(6月13日)、京都での試合が終わった後に聞いたんですけど、その時は『嘘だろ』と。物凄くショックでした。三沢さんは、プロレス界を何十年も引っ張ってきた方ですし、2代目タイガーマスクとして佐山(聡=初代タイガーマスク)さんとは別に、タイガーマスクというレスラーを育て上げた方なので。闘った事はないですが、何度かお話をさせて頂いた事はあります。リング上と違って物凄くユニークで冗談を言う方でした。本当にプロレスというのは、素晴らしい方達をどんどん亡くしてしまうというか。ノアの青木選手と菊地選手が「(BEST OF THE )SUPER Jr.」の方に上がっていますが、彼らは自分たちよりも辛い気持ちだと思う。三沢さんを安心させるような試合をして欲しいと思いますし、団体とか関係なく、ノアの選手に頑張って頂きたいです」
菅林直樹
「昨夜、ノアさんの広島大会へ新日本の営業マンも行っておりまして、すぐに報告が入りました。言葉も出ないのが正直なところです。悲しい知らせが届いてしまい、非常に残念でなりません。リング上は闘いですが、ノアさん、全日本さん、新日本の3団体で協調路線を組んで、プロレス界を以前の隆盛な業界に戻そうと話し合っておりました。その途中でこのような事になりまして非常に残念ですが、三沢さんの意思をこれからも糧にして各団体で協力していきたいと思っております。お悔やみ申し上げます」
山本小鉄
「このような事になって大変残念です。心よりご冥福をお祈りします」
坂口征二
「非常に残念でなりません。自分たちの世代は、三沢社長とは入れ替わりなんですけど、ああいう性格ですので、ノアを作り上げて心身ともに苦労されていたのだと思います。心よりご冥福をお祈りします」
- 2009.6.15
- #Topics