山本尚史選手が新日本プロレスを退団! アメリカのメジャー団体WWEの所属選手に!
9月12日、新日本プロレスの大会議室で記者会見が行なわれ、山本尚史選手がアメリカのメジャー団体WWEの所属になったと発表された。
山本選手は2007年11月2日の後楽園ホール大会を最後に戦線を離れ、無期限の海外武者修行に出発。以来、アメリカのフロリダ州タンパを拠点にし、WWEのファーム(2軍)団体であるFCWなどで活動を続けていた。しかし、さらなる高みへ上るため2008年2月の時点で新日本プロレスとの契約を解除。4月に行なわれたWWEのトライアウト(テスト)に見事合格し、正式にWWEの契約選手となったのである。
=山本選手とマスコミとの質疑応答=
山本「実は、2月いっぱいで新日本プロレスを退団しておりました。その後、4月の頭にWWEのトライアウトを受けて合格し、WWEと契約を交わしました」
–トライアウトを受けた経緯は?
山本「海外遠征に行く時、心の中ではWWEのトライアウトを狙っていました。その際、新日本との契約が問題になってくると思ったので、『辞めて行きます』と菅林(直樹)社長に言ったんですけど、『お前は必要な選手だから辞めるな』と言っていただき、一度留まった形になりました。その後、2月17日両国(国技館)で、中邑(真輔)がカート・アングルに勝った時、『このまま海外遠征して日本に帰っても、コイツ(中邑)は超えられないな』と、正直思いました。それで、俺の中で全てが終わったと言ったらおかしいけど、新日本を退団する決心がつきました。それから、菅林社長と何回か話し合いをして、最終的には理解していただき、2月いっぱいで新日本プロレスを退団しました」
–今後のビジョンは?
山本「目標は大きい方がいいので、僕はファームからのスタートになるんですけど、やっぱりレッスルマニア(WWE最大のビッグイベント)出場というのを1つの目標に掲げたいですね」
–新日本とWWEの違いを感じますか?
山本「表面的な違いは感じるんですけど、向こうで実際に中に入ってプロレスをしてて思ったんですけど、結局、根底に流れているものは一緒だと思いました」
–新日本への未練は?
山本「ないと言ったらウソになりますけど、自分はもうWWEの所属選手ですので。WWEに骨をうずめるつもりで行きます」
–新日本プロレスの選手たちへの挨拶は?
山本「済ませました。予想していた以上に、みなさんに暖かく接していただきまして、感謝しております。『頑張って来いよ。いつかまたお前と試合をしたい』と同期の選手(中邑、後藤洋央紀、田口隆祐)から言ってもらえたので、それはうれしく感じました。実は、今年の『G1 CLIMAX』が気になったので、日本へ帰って来てナマで見ていたんですよ。そうしたら、後藤が優勝したんで本当にビックリしました。俺が出た時(2006年)は全敗だったのに(苦笑)」
–それが刺激になった?
山本「後藤は同期で、国士舘大学時代から一緒だったので、凄く触発されましたね。帰ってきて見てよかったと思います」
–アメリカでのスタイルは?
山本「基本的には変えていません。キックを主体とした黒パン(黒ショートタイツ)、黒レガースというスタイルです」
–いずれ、WWEの日本公演で凱旋したいと思う?
山本「正直言って、WWEのファームはメチャクチャ層が厚い。日本公演には参加したいけど、まずは1軍に上がることを目標にしてやります」
——自分の信じた道を、自分のやり方で切り開いて行くことになった山本選手。会見に出席した菅林社長は、「WWEはアメリカだけじゃなくてワールドワイドな会社ですので、世界規模の選手になって、いつかはこの新日本のリングに帰ってきて欲しい」と、将来への期待を込めたエールを山本選手へ送っていた。
また、山本選手は「私事ですが、昨年6月に結婚し、子供も生まれました」と、この場を借りてマスコミに報告。今後は家族3人で一緒にアメリカで頑張って行くと力強く語った。
こうして、充実した陣容を誇る2002年入門組の1人である山本選手は新日本プロレスを去り、ライバルたちへの思いと、ライオンマークの誇りを胸に秘め、WWEという世界最高峰のステージへ挑むこととなった。山本選手のさらなる活躍に期待しよう!
=山本選手からファンへのメッセージ=
「海外遠征に行く前、壮行試合が終わったあと、リング上で『次に戻って来る時はライオンマークが一番似合う選手になって戻って来る』って言ったんですけど、そのことをかなえられなくてファンの皆様には申し訳ないと思います。でも、そのぶん、新日本プロレスの凄さというのを世界で証明して来たいと思います。これからも応援よろしくお願いします!」