3月1日『旗揚げ記念日』日本武道館大会の試合前に行われた「旗揚げ50周年記念セレモニー」に登場したOBのみなさんのバックステージコメントを掲載。
※試合に登場する選手のコメントは速報記事に掲載します。
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■坂口征二さんのコメント
「ちょうど創立2年目に自分が日本プロレスから合流して49年、どっぷり新日本にいます。まあ、その間、選手をやったり、副社長をやったり、社長やって、会長やって、今は相談役として残ってますけど、自分の中で49年間、いろんなことがありましたよね。苦しい時もあったし楽しい時もあったけど、やはり残った人間みんなで選手とかスタッフが頑張って、こうして50周年を迎えられて本当に嬉しく思います。その間、テレビ朝日さんをはじめスポンサーの方、今のブシロードとか前のユークスさんとか、そういう企業からの支援も受けて、それを力に選手も頑張ってきたしね。それで今の新日本があると思います。何千試合ってやったけどね。30歳で新日本に来て、45~46で社長になるまでの15年間、何千試合とありましたけどね、やっぱりみんなも認めてくれてるし、自分でも思うけど、(アントニオ)猪木さんとの対決ね。昔の『ワールド・リーグ』とかでやって、2~3日前にテレ朝チャンネルでやってたけどね(笑)。猪木さんとどっかで…広島だったかな? 30分ドローで引き分けた試合(1974年4月26日、広島県立体育館大会)。そういう試合とか、いろんな外国人ともやったしね。(アンドレ・ザ・)ジャイアントとか(ハルク・)ホーガンともやったしね。錚々たる昔のメンバーとやって。(スタン・)ハンセンとかにもやられて首を悪くしてね(笑)。そういう昔の強豪外国人ですか? まあ一戦一戦が思い出に残る一戦だったですね。なんて言っても50周年ね。50年前に猪木さん、(山本)小鉄さん、藤波(辰爾)、木戸(修)とこの4人からスタートして、その間にもいろんなことがありましたけど、携わった人、頑張った人のおかげでこの日があると思います。本当にありがとうございましたとお礼を言いたいですね」
■木村健悟さんのコメント
「(50周年は)やっぱりひとつの大きな節目ですよね。50年、100年と続く中で、本当にそのひとつの節目で。50年ということは、大変な長い年月ですから、よくここまで新日本がプロレス界のリーダー的な役目をよく果たしてきたな(と思う)。その1人としてやってこれたことに対しても、すごく誇りに思いますし、これから新日本がもっともっと発展することを心から願っています。(印象に残っている試合は)やっぱり対藤波戦(1987年1月14日)ですかね。やっぱり自分のライバルとして、心の中でずっと思い続けてきた、この試合が実現できたことが、やっぱり1番うれしいことかなと(感じる)。これからもそのことをですね、自分のこれからの生き様の中でも、やっぱり対藤波戦、いまもちょっと本人と顔を合わせましたけども、やっぱりいつ見ても本当にライバルという気持ちは、これからもずっと持ち続けていきたいなと思ってます。先ほども言いましたけれども、これがあと60年、70年と続くように、我々の世代の人間が、これからもそれを見届けられれば大変うれしいなと思いますし、それをひとつの目標に、我々自身も新日本と共に頑張っていきたいなと思ってます」
■長州力さんのコメント
「新日本が創立してから50周年、本当におめでとうございます。振り返ると、いろんなことがあったし、それがこの業界のマジックみたいなものだよな。この業界……プロレスラーには、ゴールはないですね。今だから言えるけど。その時代時代の流れが強く影響してくる世界だなあと思いますよね。今日は50周年ということでありがたくお招きいただいて、何年ぶりかな? まあ、東京に来た時は新日本の道場を使わせてもらってるから。でもあんまり選手たちと会話することもなく。適度なトレーニングをさせてもらっていて、感謝してますよ。
印象に残っている試合? こういうことは、言わない方がいいと僕は思うんだよ。悪いけど。それはファンや記者の人たちが考えて書いてくれればいいと思いますよ。元プロレスラーだったんだから、『何かありますか?』って聞かれれば答えるんだけど、僕は元レスラーっていうのは自分でよく理解してるし、もっとこの業界とは距離をあけたいなと思ってますね。自分なりには距離をあけてて、余計なことも言わないし。YouTubeをたまにやったりしてるんだけど、僕はまあ、トボけたものを作りながら、自分で分かってやってるんだけど、あまりこの業界の近くにいると、チャンネルを変えたくなるというか、見たくもない。俺のやってきた世界が、そんな風に、同じ選手たちがリングを降りて発してるものは……ファンにはそういうのは面白いんだろうけど、そんなものは見たくもないし聞きたくもないというか。だからさっき言った通り、距離をあけたいというのは、その時代時代の後押しがあって、作り上げられていく世界だから。ただあまりにも、自分がやってきた仕事に対して何を言ってんだっていう気持ちにもなりたくもない。人それぞれ、選手もそれぞれだから。一切関わりたくない。ただそれだけ。
だから思い出の試合とかも言いたくない。もし自分の気持ちの中にあったとしても、関わった選手たちがまだリングに上がってるわけだから。遠くから離れて見て、気持ちの中では応援してますよ。新日本だけじゃないんだけど、コロナ禍で大変なところに突入してしまったなあという。時間帯はずいぶん違ったりしてるんだけど、新日本の道場に電気がついてたりすると、『ああ、誰か頑張ってやってんだなあ』って。それぐらいだよ。今日も朝早くから行ってきたんだけど、そうすると若い選手たちも来ていて、でも会話することもなく。その中でトレーニングして。そういうとこです」
■前田日明さんのコメント
「50年……もうそんなに経ったんですね。1972年というと……俺が小学校6年生の時か。高校1年か2年の時に猪木vsアリ戦があったんだよね。もうそんなに経ったんだね。途中、経営者が代わったりとかいろいろありましたけど、新日本という名前が残って。今じゃ新日本のアーカイブを海外で放送したりとかやってるっていうので、自分もFacebookやってると、海外のファンが自分の動画を集めて『ファンです』って送ってくれたりとかして、ビックリしますよね。今、鈴木みのるが海外でサーキットしてたりとか、海外で新日本の興行があったりして、ビックリしますよね、何かね。
ただ一つ残念なのは、新日本が作り上げてた、世界のどこにもないオリジナルの日本スタイルっていうのが、絶えちゃいましたね。それはしょうがないですけどね。(印象に残る試合は)外国人で言うと、アンドレvsハンセンの田園コロシアムでやった試合。アレは本当にビックリしましたね。俺自身の試合は……藤波さんとやった試合とか、アンドレとやったシングルマッチも印象に残ってますね。
プロレスの定義っていうのは、どんどん難しくなってるんですよね。しょうがないんですけど、若い選手がそれぞれ自分でこうじゃないか、ああじゃないかって思ったことをどんどんどんどん実践して、やっていってもらいたいですね。自分たちの頃は、決着がつかない、なぜなんだ?っていうのがあったし、一般のプロレスファンの素朴な疑問、ロープに振ったら何で返ってくるのかとか、そういうのに対して、『じゃあ、こういうのはどうなんだ』っていうので、自分たちが問題提起したんですよね、ファンに応えて。プロレスってずっとその繰り返しだと思うんですよ。激しい試合、凄い試合っていうのは何なんだっていうね。それを永遠に問い続けるっていう。まあしょうがないですね。これが正解だっていうのはないんで、いろんな人が試行錯誤してやっていけばいいんじゃないですかね、特に若い人がね」
■小林邦昭さんのコメント
「僕が入門したのも50年ですから。ちょうど新日本プロレスが旗揚げして、昭和47年(1972年)の10月にここへ入ったものですから。僕もちょうど新日本プロレスと共に50年(を迎えた)。(印象に残っている試合は)やっぱりタイガーマスクですね。いまだに街を歩いていても、覆面を破いたこととか(笑)、いろんなこと言われますよ。だから、あのころのファンというのは、視聴率が平均23%あった時代ですから。やっぱりそうとう影響があったんですね。あのころは僕が30前ですから、27、8かな? ちょうどそのころ見ていた高校生とか中学生・小学生ぐらいは、みんなもういい歳になってるんじゃないですか?(笑) そういう人たちにずっと覚えていただいて、やっぱり声をかけられるとうれしいですよね。(今後は)棚橋選手とか、これからずっとあとに続く選手もいっぱい出てきてますから、期待できますね」
■山崎一夫さんのコメント
「僕は実は、今年60(歳)になるんですね。それで、『10歳のときにこの新日本プロレスができたのか』という思いと、僕が入ったのが18歳なんですけどれども、そのとき、1年ぐらいしてデビュー戦がブラックキャット戦だったんですね。福岡スポーツセンターで。よく印象に残っている試合を聞かれるんですけども、それはもう橋本真也選手と『G1(CLIMAX)』(1998年)の決勝をやらせていただいたのが、すごく印象に残っていますし、逆さに“ドン!”と落とされたときの首の“グシャッ!”って音は、忘れられません、ハイ(笑)。これからもどんどん若い新日本プロレスの選手が育っていると思います。楽しみに見ておりますので、皆さん頑張ってください」
■武藤敬司選手のコメント
「いやあ、やっぱり継続は力なりということで、なんか素晴らしいことだと思いますよ。1月8日(横浜アリーナ)の試合も非常に……まあ俺はコンディション的にあまり良くなくてあれなんですけど、非常に有意義に戦えました。(印象に残っているのは)やっぱり1995年の東京ドームでやった髙田延彦戦かな、どうしても。多分、大きな影響をファンの人に与えたという手応えがあったからですね。1試合となったらあれをあげますね。この調子で頑張って、60周年、70周年に向けて頑張っていただいて、俺もいつまで現役でやってられるか分かんないけど、また機会があったら新日本のリングに上がりたいなとは思っております」
■垣原賢人さんのコメント
「50周年ですからね、凄い長さ、重みを凄く感じます。改めておめでとうございます。印象に残っているのは、やっぱり『BEST OF THE SUPER Jr』で優勝した試合ですね。そういう大きな大会で優勝するというのはずっと狙っていたので、その時はグッとくるものがありましたね。50年の新日本プロレスの歴史の中で、自分も関われたということが本当に心からうれしく思っております。この先、100年、200年とずっと続く新日本プロレスであってほしいと願っております。頑張ってください!」
■ミラノコレクションA.T.さんコメント
「50周年って自分の年齢より上なので、本当に凄いことだなっていうのは身をもって感じますし、自分が新日本で試合したのって3年弱ぐらいなので、それでこの場に立ち会わせていただけるっていうのは、本当に感謝しかないです。印象に残る試合は、2007年に『BEST OF THE SUPER Jr』に初出場しまして、初優勝できたという、その優勝決定戦ですね。井上亘さんとの戦いだったんですけど。あとは同じ年に、『BEST OF THE SUPER Jr』で優勝してデジタルの体重計に乗ったら『888』って出たんで、888kgだと思ったんですね。壊れてるだけだったんですけど、『俺はヘビー級だ』って言ってそのまま『G1 CLIMAX』に出て、初戦が矢野通選手で。花道にパラダイスロックをしてリングアウト勝ちだったんですけど、今でもたまに同じ光景を見るんで、あの試合は印象的だったのかなって思ってますね。50周年、新日本プロレス、おめでとうございます! 今、解説の方でやらせてもらってますんで、より、新日本プロレスの魅力っていうものを、皆さんに少しでもお伝えできるようにお手伝いできればと思っておりますので、これからもよろしくお願いします」
■井上亘さんのコメント
「新日本プロレス、選手の皆様、スタッフの皆様、そしてずっとプロレスを応援してくださってる皆様、本当にどうもありがとうございます。50周年、凄いとこに来たなと思っています。私自身、プロレスから凄いエネルギーをもらって人生が変わったと思っています。これから新日本プロレスが50周年、60周年、70周年っていく中できっと多くの方々にいいエネルギーを連鎖させるスポーツだと思っていますので、これからも新日本プロレスにご注目していただきたいです。(印象に残っている試合は)初めてベルトを巻いたIWGPジュニアタッグ選手権(2005年3月4日後楽園ホール大会)が、自分の夢が叶ったという意味で今でも大事な思い出ですね。私が勝った瞬間の会場の爆発具合がたまらなかったです。新日本プロレスはこれからもたくさんの人々に素晴らしいエネルギーを届けると思いますので、これからもリング上をご注目ください。よろしくお願い致します」
■獣神サンダー・ライガーさんのコメント
「やはり50年という歴史があったからこそ、これだけのメンバーがリングに集結出来たというのもありますし、新日本プロレスの重み、強み、いろんなものが詰まった50周年じゃないかと思います。やはり同期の佐野直喜選手との一連の抗争、試合ですね。ああいう強くてどう攻略していいのか分からないぐらいの同期がいた。それが僕のレスラー人生を決めてくれたと思っています。彼がいたからこそ今の僕があると思うんで感謝しています。50周年、長い時間だなと思いますけど、まだまだ新日本プロレスは100周年、150周年と進めていくと思いますので、皆さんも応援よろしくお願いします」
■タイガー服部さんのコメント
「いやぁさすがに、日本には何団体もあるけど、新日本プロレスほどの歴史というか、50年ということは、また50年続くように、またいい選手もいっぱい出てきてるし、本当に歴史のある会社だなあと思いますね。レフェリーとして印象に残る試合は、長州vs藤波戦が物凄く印象に残ってる。猪木さんの時は僕はあんまり裁いてないから、長州vs藤波が一番印象に残ってますね。本当におめでとうございます。自分も長い間携わってこられて本当に幸せだと思ってるし、先ほども言いましたけど、あと50年続くように、陰ながら思ってますから、選手も一生懸命頑張って、日本を引っ張っていってください」
■保永昇男さんのコメント
「50周年、ほんのちょっとだけ50年の間に、歴史の中に、ほんのちょっとだけ足跡を残したかなって。両国で(獣神サンダー・)ライガーとやりましたっけ、俺? とか、今日は来てないけど、金本(浩二)と……あっ、金本と両国でやったのかな? うん、そういうのを未だに憶えてますね。(新日本プロレスは)プロレス界をドンドンリードして、引っ張ってってもらいたいですね。もう恥ずかしくないようなレフェリングをしたいと思います」
■田中秀和さんコメント
「半世紀、凄く長いようで短かったかなという感じがします。リング上の選手を見てみると、その重みっていうものを凄く感じて、よかったイベントじゃないかと思います。今日は懐かしいコールが多かったんですけど、ただ(自分が)コロナ明けなので、100%じゃなかったのがちょっと悔しいかなと。100%のコールができなかったのが、自分の中で悔しさがあります。
印象に残っているコールは、直近ですけども、ライガー選手の引退試合。ドームのコールが一番ですね。あれも自分の中では失敗コールだったので、凄く悔いていて。最高のコールで送り出したかったのにできなかったので、ライガーにはもう一回復帰してって言ってますけども。50年はまだ通過点です。51年、52年、100年に向かって、新日本プロレス、ますます頑張っていただきたいと思ってます。今日は本当にありがとうございました」
※NJPWスマホサイトで「旗揚げ記念日」日本武道館大会をリアルタイム速報中!!