「あっという間の“濃い1年”だった」/後藤洋央紀選手独占インタビュー(前編)
約1年間のメキシコ遠征を経て、ヘビー級戦士へと変貌を遂げた後藤洋央紀選手。自らが所属していたC.T.Uの解散を受け、かつてのパートーナーであった稔選手らと新ユニットを結成。
そして、自らのターゲットとして選んだのは、IWGPヘビー級王者の永田裕志選手と、「G1 CLIMAX 2007」覇者の棚橋弘至選手の“ヘビー級2大王者”。
今後のヘビー級戦線のキーパーソンとなるであろう、後藤選手の現在の心境に迫った——。
–まずはメキシコ遠征時の事についてお聞かせください。
後藤「メキシコにある闘龍門のジムにお世話になっていました。あとは週に2回、アレナ・メヒコ内にあるルチャ・ドールが通うジムへ練習に行ったり、個人的にウェイトトレーニングをやったりと。まぁ、練習漬けの毎日でしたね」
–ルチャ・リブレのスタイルについてはいかがでしたか?
後藤「最初は戸惑いました。メキシコでのデビュー戦は、自分を全くアピール出来ずに、何もしないままいつの間にか試合が終わっていたという感じで」
–新日本Jr.で闘ってきた経験は生かせましたか?
後藤「自信はあったのですが、ルチャの動きやルールの違いに若干……。
あとはお客さんの“ノリ”が全然違うので、そういう部分でのやりにくさも多少あった。食べ終わったチキンの骨とか、中身の入ったビールとか、色んな物を投げつけられて(苦笑)。まぁ、行く前はあまりいい噂を聞かなかったのですが、行ってみたらそんな悪い所ではないなと。メキシコ人はいい加減だという話だったが、自分もいい加減な人間なので(苦笑)。そんなに気にはならなかったですね」
–中でも環境への順応は大変だったのでは?
後藤「最初の1〜2ヶ月はずっとお腹を壊していましたね。でも、闘龍門の選手の話だと、『日本人は誰でもお腹を壊すから、早く壊して早く慣れた方がいい』という事だったので、行った初日にいきなり屋台のタコスを食べて(苦笑)。まずは体の内部、胃腸から強くしていったというか。
それで、メキシコに渡って1ヵ月後くらいしてから急に試合が決まって。CMLLという団体の興行だったのですが、会場に行って対戦カードを見たら(自分の名前のところに)“MAZADA”と書いてあって。どうやら、(MAZADA選手の)代わりだったみたいで、試合前のコール時も『MAZADA』と呼ばれて(苦笑)。興行主も自分が“後藤”という事を知らないみたいで。それだけルチャ・ドールの数が多いんだろうけど、それくらいテキトーなんで(苦笑)」
–メキシコではNWAインターナショナルJr.ヘビー級王座を奪取しましたが?
後藤「メキシコに慣れて、一番いい時期にチャンスが巡って来たのが勝因というか。“運も実力の内”と言うけど、あのベルトは俺の実力で勝ち取った物。ただ、プロレスって国によって全然違うので、まだまだ色んな国に行ってみたいという欲求も出てきた」
–メキシコにいた時は、新日本プロレスの情報は得ていたのですか?
後藤「インターネットで、オフィシャルのホームページは見ていました。あまり気にはしないようにはしていたのですが、ライバルの田口(隆祐)がIWGP Jr.のベルトを獲った事は素直に嬉しかったですね」
–メキシコに行った段階でヘビー級転向は視野に入れていたのですか?
後藤「いや、俺は新日本プロレスに入った時から、ずっとヘビー級戦線で闘う事を目指していたので、やっと自分の描く“プロレスラー像”に近づけたかなと。でも、メキシコへ行った当初はお腹を壊した影響で、85キロくらいまで体重が落ちてしまって。そこから徐々に、ウェイトトレーニングをやって増やしていきました。今振り返ってみると、あっという間の“濃い1年”でしたね」
※明日は後編を掲載します。お楽しみに!!