11/3館林大会に特別参戦の茂木正淑選手を直撃!
11月3日 館林市民体育館大会に特別参戦した茂木正淑選手(ガロガ)。新日本プロレスへの登場は約9年ぶりとなる。今回はそんな茂木選手を試合前にキャッチ。直撃取材を試みた——。
–初めて新日本マットに上がった時の事を覚えていますか?
茂木「あれはたしか1994年の『BEST OF THE SUPER Jr.』の時ですね。出場者は(獣神サンダー・)ライガー選手、(エル・)サムライ選手、大谷(晋二郎:現ZERO1-MAX)選手、ワイルド・ペガサス(クリス・ベノワ)、ブラックタイガー(2代目:故エディ・ゲレロ)など、今にしてみれば凄いメンバー。インディー育ちの自分としては、名前を売る絶好のチャンスだと思いましたよ。でも、今だから言えるけど、ちょっとビビッてしまって、本来の力が出せなかった(苦笑)」
–しかしその後は、ライガー選手の保持するIWGP Jr.タイトルに挑戦する(1997年3月20日 愛知県体育館)までになりますね?
茂木「最初はライガーさんに『茂木は小手先だけだ』なんて叩かれてしまって。でも、それがあったからこそ、自分で奮起する事ができて、自分自身が変われたんだと思う。そういう事があったからこそ、今の自分がいると思っています」
–茂木選手と言えば、“ちゃぶ台”がトレードマークですね?
茂木「今日は久しぶりの新日本プロレスなので、新品を持って来ました! といっても、いつものように自分で手作りしている“マイ・ちゃぶ台”ですけどね(笑)」
–ご自分で作られていたんですか?!
茂木「ホームセンターでコンパネ(合板)を買って来て、自分でカットして作っているんですよ。(“ちゃぶ台”を手で触りながら)この曲線を出すのは技術がいるんです。コンパネは、軽くてとても丈夫。しかも、これさえあれば、どこでもドレッシングルーム(控室)になるというわけです」
–茂木選手は館林出身だそうですね?
茂木「はい。小さいころはよく、この館林市民体育館にプロレスを観に来ました。僕はアントニオ猪木さんとタイガー・ジェット・シンの闘いに感動して、プロレスラーになろうと思ったんです。だから、この体育館は原点であり、初めてプロレスに目覚めた場所なんです」
–久々の新日本マットでの試合に向け、意気込みをお聞かせ下さい。
茂木「相手はCTUイチオシのプリンス・デヴィット。いかにして“ちゃぶ台”を出すかが“キー”になる。今日の“ちゃぶ台”は新品だけど、デヴィットの血で赤く染めてやりますよ(ニヤリ)」
——この宣言通り、試合での茂木選手は自慢の“ちゃぶ台”をデヴィット選手にクリーンヒット。そのまま勝利するかと思われたが、大事な勝負のポイントで“ちゃぶ台”を紛失。そのスキを突かれ、デヴィット選手に不覚を取ってしまった。
しかし、グラウンド、打撃技、空中殺法、そして“ちゃぶ台”でのラフ攻撃と、変幻自在のファイトでデヴィット選手を追い詰め、その実力ぶりを超満員の新日ファンに見せつけてくれたのだった。