2021年の年頭から『NJPW STRONG』参戦、TEAM FILTHYに加入して活躍していたクリス・ディッキンソン。
5月29日(土)の配信回では、同ユニットのトム・ローラーのSTRONG無差別級選手権に初挑戦も決定。いま注目を集める男、クリス・ディッキンソンとは何者なのか? 直撃インタビュー前編!
■『NJPW STRONG』
毎週土曜日 午前11時~新日本プロレスワールドで配信中!
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★5月29日(土)11時~ “STRONG無差別級王座戦”ローラー vs ディッキンソンが実現!
■“ナガタサン”との初遭遇……。一日でも早く、また彼に立ち向かいたいね!
――さて、ディッキンソン選手。まず、先日はジョン・モクスリー選手とタッグを組んで、永田裕志選手&成田蓮選手と闘いましたね。
ディッキンソン そうだ。あんなカードを組んでくれて、本当に『NJPW STRONG』には感謝しかないよ。試合前は、めちゃくちゃワクワクしていたからね。
――それほどエキサイトしていましたか。
ディッキンソン ああ、ナリタとは何度戦っても楽しいし、モクスリーとのタッグは初めてだったけど、凄くやりやすかった。俺たちがタッグを組むことで化学反応が生まれたんじゃないか? そして“ナガタサン”との初遭遇……。一日でも早く、また彼に立ち向かいたいね!
――新日本ファンたちは『NJPW STRONG』でディッキンソン選手の姿をよく見ていますが、アメリカではROHや、最近ではBLOODSPORTでも活躍していますね。
ディッキンソン ああ、いまこういう時期に忙しくしていられるなんて、俺はラッキーな男だよ。
――たしかに、新型コロナウイルスの流行はディッキンソン選手のようなフリーランスのレスラーにも影響を及ぼしました。現在の見通しはどんな感じですか?
ディッキンソン 確実に昨年よりも1000倍はマシだな。去年の状況とはまったく違う。去年の今頃は凄く不安定だったし、もうプロレスをやっていけるのかさえわからなかった。
――ディッキンソン選手は、昨年の春アメリカで度々ニュースの中心になっていたニューヨーク州に住んでいます。
ディッキンソン ああ、普通の生活からロックダウンまで、すべてが凄いスピードで起こった。プロレス界はしばらくの間、カオス状態だった。みんな、政府からどんな命令が出て、どう従えば良いか探っていた。けど、俺は幸いにもGCW (ゲームチェンジャーレスリング)で、プロレスが出来たし、何よりも『NJPW STRONG』でプロレスが出来たことが、本当に大きなことだった。そしていま俺は、凄く忙しくしているし、こうした素晴らしい環境にいる。とても感謝しているよ。
――毎年、『WRESTLE MANIA』が開催される4月頃は、アメリカのプロレス界にとって繁忙期ですが、昨年新型コロナウイルス感染が拡大する前にディッキンソン選手はアメリカのいくつかの団体でビッグマッチを控えていましたよね?
ディッキンソン そうだ。コロナですべての予定が崩れる前は、ミノル・スズキ(鈴木みのる)やシンゴ・タカギ(鷹木信悟)とも闘う予定だった。当時は、「ついに俺が注目を集める時がやってきたんだ!」と本気で思っていた。俺の脳内では閃きがいくつもあったんだ。
――鈴木選手との試合や鷹木選手との試合が正しい人たちの目に留まれば、将来ビッグマッチを闘うチャンスを掴めるかもしれないと。
ディッキンソン 一度、GCWとFREEDOMSのツアーに参戦して、日本でプロレスをしたこともあった。それから、日本に戻るためなら何でもしたいと思っていた。そして、スズキやタカギとの試合が決まった時、「これは日本に戻れるだけじゃなく、日本最大で最高の団体でプロレスができるチャンスかもしれない」と思ったんだ。
――なるほど。
ディッキンソン 結局、物事は思っていた方向と違う方向に進んでしまったけど、『NJPW STRONG』が始まると聞いた時は、すぐに電話の前で待機してニュージャパンから連絡が来るのを待っていたよ。そして、結果的に(ニュージャパンから電話が)来たってわけだ。
■いま俺はジョシュ・バーネットとよくトレーニングをしているんだ
――ディッキンソン選手は、世界中でプロレスをした経験が少しあります。かなり若い時にデビューしましたよね?
ディッキンソン ああ、修行を始めたのは15歳の時だ。ニューヨーク州のスタテンアイランドっていうニュージャージー州の隣にある島に住んでいたんだけど、ジャージーオールプロレスリング(JAPW)っていう団体でプロレス活動を始めたんだ。
――新日本の2011年のアメリカ遠征、『NJPW INVASION TOUR 2011〜ATTACK ON EAST COAST〜』の時は、JAPWとのコラボ開催でした。
ディッキンソン その通りだ! 当時、俺は膝を負傷してしまったから、まったく出場できなかったんだけど、ツアーが行われていたのは覚えているよ。
――JAPWは、ディッキンソン選手がいた地域では割と有名な団体だったんですね。
ディッキンソン JAPWは、テレビで観るWWE以外にインディ団体があるんだって気付かせてくれた団体だ。俺が通っていた学校にJAPWのプロレス教室に行くヤツがいるって知っていたから、ソイツに頼んで連れて行ってもらったんだ。
――その時からずっとプロレスをしているんですか?
ディッキンソン いや。いくつか基礎を学んで2年間プロレスをした。何試合か闘ったけど、当時は自分が何をしているかよくわかっていなかった。だから、休みを取って、普通の10代の若者がするようなことをやっていたよ(笑)。高校を卒業して、女の子たちと遊んで、バンド活動をやったり……まあ、そんな調子だ。けど、それでもプロレスに戻って、もっと真剣に取り組みたくなった。そこから本格的にトレーニングを始めたんだ。
――当時は誰がディッキンソン選手を教えていましたか?
ディッキンソン ジェームズ・マリタートだ。プロレスファンには、リトル・グイドーって言ったらわかるかもしれないな。
――リトル・グイドーはECWで人気のあるレスラーで、WWEでも多くのファンを虜にしました。彼は滑稽なイタリア人というキャラを持つ一方で、本格的な格闘家でもありました。日本のスネークピットでトレーニングをしたり、UWFで活動していた経験もあります。
ディッキンソン おもしろいよな。だって、いま俺はジョシュ・バーネットとよくトレーニングをしているんだ。ジョシュ・バーネットは、カール・ゴッチ、ビリー・ロビンソン、アントニオ猪木とも歴史のあるレスラーだ。ジェームスも、ロビンソンから修行を受けたんだ。
――彼とのトレーニングは、ディッキンソン選手の今のファイトスタイルに影響を与えましたか? 彼とのトレーニングによって、より日本のファイトスタイルに触れることは出来ましたか?
ディッキンソン そういうわけでもないんだ。彼が直接あのスタイルで俺にプロレスを教えることはなかった。けど、彼は俺が今まで経験したコーチとはまったく違った。ジョシュは、マットの上では他のコーチたちよりも荒っぽかった。決して悪い意味じゃないぞ。彼とのトレーニングでは、常に努力しないといけないし、もっと動かなくちゃいけない。そうやって、物事がどうなっていくのかを学んだよ。無意識的に、俺がどう闘うかに影響を与えた気がする。
■海賊版ビデオで、ニュージャパンのジュニアヘビー級戦士たちがやっている試合を目撃したんだ。日本のプロレスに、興味がどんどん膨らんでいったよ。
――どのようにして、日本のプロレスに惹かれたのでしょうか?大好きな日本人レスラーはいますか?
ディッキンソン 1997年か1998年頃、俺はまだ子どもだったんだが、インターネットを使い始めたんだ。真っ先にに訪れたウェブサイトはwwf.comだったのを覚えているよ。ハハハ! そして、他のプロレスファンと同じように俺も海賊版のビデオテープをトレードしていた。だから、今でもたくさんのビデオテープを持っているよ。当時は“ドクター・デス”スティーブ・ウィリアムスの日本でのベストマッチのテープを持っていたな、何度も何度も観たよ。そのあと、ニュージャパンのジュニアヘビー級戦士たちがやっている試合を目撃したんだ。日本のプロレスに、興味がどんどん膨らんでいったよ。
――最近の若いレスラー達はYouTubeや新日本プロレスリングワールドなどから影響を受けています。インターネットが始まった最初の頃と状況が違いますよね。
ディッキンソン そうだな。「WCWナイトロにいたマサヒロ・チョーノ(蝶野正洋)って誰だ?」って思った時とか、NINTENDO64のゲームでジュウシン・サンダー・ライガー(獣神サンダー・ライガー)が出てきた時に、自分の力で彼らがどういうレスラーなのか、どんな試合をしているのか見つけなきゃいけなかった。
――インターネットがない状況で探すのは、難しいことですよね。
ディッキンソン それから、マサト・タナカ(田中将斗)、彼は俺にかなり大きな影響を与えたレスラーだった。彼のECWでの活躍は凄かったからな。
※前編はここまで! 後編は『NJPW STRONG』について言及!
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