新日本プロレスで働くスタッフにインタビューシリーズ! 今回は、前編が大反響! 2015年から、新日本プロレスで活躍する阿部誠リングアナにインタビュー(後編)!
今回は、リングアナウンサーの“お仕事”としての側面、さらに全日本プロレス時代からよく知るBUSHI選手、SANADA選手への想い、そして一番印象に残っている試合は?
※以下、インタビューの「序盤部分」をWEBで無料公開!
★前編はコチラ! EVIL選手になぜ狙われる? 当初、リングアナはやりたくなかった? 新日本プロレス入りの経緯にも言及!!
■新日本プロレスは、それぞれの部門で専門職の人がいるので、いままでよりもリングアナという仕事に集中できるのは助かってます。
――現在、新日本プロレスには二名のリングアナが所属しています。2015年入社の阿部さんにとって、もう一人のリングアナである尾崎仁彦さんは先輩に当たりますね。
阿部 ハイ。尾崎さんは「新日本プロレスと同い年」と言われていたので、今年で49歳ですかね。ボクより5つ年上になります。
――尾崎さんから、新日本でのリングアナウンスについて教わったことは?
阿部 場外カウントの際、レフェリーに合わせてリングアナもマイクで数えることとか、“新日本流”のやりかたを教わりました。
――という意味では、いまの阿部さんは新日本流と全日本流のミックスという感じなんでしょうか?
阿部 そうなると思います。それプラス、自分が子供の頃に観ていたリングアナの方々のいいところを取り入れてますね。自分はリングアナをやり初めてからこの職業が好きになっていきまして、過去の映像を研究するようになったんですよね。たとえば新日本の大先輩でもある田中ケロさん(2006年2月に退社。現在はフリー)のアナウンスとか。
――田中さんはレジェンド的なリングアナですよね。新日本を2006年に辞められてからも、12年3月の旗揚げ40周年大会でのオカダ・カズチカvs内藤哲也のIWGPヘビー級王座戦や、昨年の1.4ド東京ームの獣神サンダー・ライガーさんの引退試合など、節目で特別リングアナを務められていて。
阿部 やはり、田中さんはリングアナという職業に光を当てた先駆者だと思います。
――では、阿部さんが新日本という会社に入って何か驚かれたことは?
阿部 選手数もそうですけど社員数が多くて、一つの企業としてシッカリしてるなって思いました。それぞれの部門で専門職の人がいるので、いままでよりもリングアナという仕事に集中できるのは助かってます。リングアナ以外で、ボクが担当するのは基本的にリング設営とリング運搬だけなので。
――団体によっては、リングアナの方が一人で何役もこなさないと回らないと聞きますね。
阿部 そうですね。ボクも新日本に入る前は、ほかにグッズ販売や売上の集計までしてました。全日本を辞めてから入った団体ではオーナーがすぐに売り上げ報告をしなさいという方だったので、試合中に本部席で売上を集計してたこともありましたから(苦笑)。
――試合中に電卓で計算を(苦笑)。
阿部 そうなると、仕事の全部が中途半端になっちゃうんですよね。そういう意味では、いまは非常に集中できています。
■リング設営から、撤去まで。大会時の阿部さんのタイムスケジュールとは?
――このへんで、いま現在、大会があるときの阿部さんのタイムスケジュールを教えてもらえますか。
阿部 では、東京ドーム大会の場合を例にしましょうか。朝4時に起床したら、5時過ぎには自宅を出て、リングを積んでるトラックを都内某所まで取りにいきます。そこを7時に出発し、東京ドームについてリング設営をスタート。それが終わったらお弁当を食べて、進行の打ち合わせをこなして、試合開始を迎える、と。
――今回は東京ドーム2連戦でしたけど、試合が終わったあとは?
阿部 だいたい、1時間くらいでリングは撤収します。リングを積んだトラックを戻し、家に着いたのが夜中の0時前後。で、巡業が続く場合は、トラックを走らせて次の開催地まで移動する、と。
――阿部さんは大型自動車免許を取得して、4トントラックの運転も担当されてるんですよね。
阿部 そうなんですよ。36~7歳のときに教習所で学生さんたちに混じって、講習を受けました。そういえば2012年2月19日に仙台で開催された『ALL TOGETHER』(東日本大震災復興支援チャリティープロレス)で全日本プロレスのスタッフとして参加したんですいけど、会場で新日本のトラックを見かけたとき、「新日本のトラックって、どんな感じなんだろう?」と思って覗いてみたことがあって。そのとき、なぜか「アレ? 俺、いつかコレ、運転するな?」っていう直感があったんですよね(笑)。
――それは凄いですね。ちょっと怖いくらいの直感というか(笑)。
阿部 ハイ。それから4年くらい経って、本当にそのトラックを運転することになったので……。天からのお告げだったのか、アレはいったい何だったんだろうと。あと、当時の全日本プロレスって、年一で台湾大会を開催してたんですよ。台湾は占いが有名なんですけど、そのときに日本のテレビでも取り上げられるようなところに、診てもらいに行ったんです。
――台湾の有名な占い師に占ってもらった、と。
阿部 そのあと、新日本に入って2~3年してから、実家を掃除してたときに台湾で占った紙が出てきたんですね。それを確認してみたら、そこには「職場が変わる」っていうことや、「子供が生まれる」っていうことが書かれていて、見事に一致していて。
――あとになって、現実との一致に気づいた、と。
阿部 ええ。そのときは、「新日本で働くのは運命だったのかな」って思いましたね。
■自分が在籍時の全日本プロレスは毎年1月に公開オーディションをやってたんですけど、その第1回に応募してきたのがSANADA選手やBUSHI選手で。
――前編では小島選手について少し伺いましたが、やはり同じ全日本出身で、いま新日本で活躍してるレスラーには思い入れはありますか?
阿部 そうですねえ。自分が在籍していた時の全日本プロレスは毎年1月に公開オーディションをやってたんですけど、その第1回に応募してきたのがSANADA選手やBUSHI選手で。
――SANADA選手、BUSHI選手のお二人は全日本の同期なんですね。
阿部 ハイ。年齢はBUSHI選手が少し上で。当時、ボクは応募で集まった履歴書を整理して、テストの開催場所を受験生に郵送してるんですよ。だから、SANADA選手やBUSHI選手にもボクが書類を送っていて(笑)。それに公開オーディションにも立ち会っているんですよ。
――レスラーになる“入口”の時点から濃密な関わりがあった、と。BUSHI選手は阿部さんよりも先に新日本に移籍していましたね。SANADA選手は阿部さんのあと、16年4月から新日本に上がるようになりましたが、両国に突如登場したは驚かれたのでは?
阿部 ホントにビックリしました! あの日、オカダ(・カズチカ)選手と内藤(哲也)選手のIWGPヘビー級王座戦にドクロのマスクの男が乱入してきたんで、「アレ? 誰か来たぞ!?」と思って。それでマスクを脱いだら、髪型はボクが知ってるSANADA選手とは全然違いましたけど、本人だったんで「エエーッ!?」となって。
――あの会場で一番驚かれたのは、もしかしたら阿部さんだったかもしれませんね(笑)。
阿部 いやー、ホント「何やってんの!?」って思いましたから(苦笑)。
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