いよいよ目前に迫った『バルサン Presents WRESTLE KINGDOM 15 in 東京ドーム』。例年恒例のカウントダウンインタビュー第6弾!
今回は、1月4日(月)東京ドームで飯伏幸太を挑戦者に指名、5日にはジェイとの防衛戦を目論む“二冠王者”内藤哲也に直撃インタビュー!
同い年のライバル、飯伏戦ヒストリーを激語り、そして東京ドーム2連戦で“やりたいこと”とは? 12000文字以上、大ボリュームの濃厚インタビュー!!
撮影/タイコウクニヨシ
※以下、インタビューの「前半部分」をWEBで無料公開!
■『バルサン Presents WRESTLE KINGDOM 15 in 東京ドーム』
1月4日(月) 15:00開場 17:00試合開始
東京・東京ドーム
☆対戦カード情報
★チケットは販売終了しました。当日券の販売もございません。
※新日本プロレスワールドの生配信もご利用ください。
1月5日(火) 15:00開場 17:00試合開始
東京・東京ドーム
☆対戦カード情報
★チケットは販売終了しました。当日券の販売もございません。
※新日本プロレスワールドの生配信もご利用ください。
★『バルサン presents WRESTLE KINGDOM 15 in 東京ドーム』特設サイトはコチラ!
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■飯伏幸太という存在は雑誌を通して知ってました。ただ、俺と同い年で先にデビューしてる人間なんで「こういう選手がいるんだ」と
――さて、内藤選手。いよいよ東京ドーム2連戦が間近に迫りました。内藤選手は初日の1.4ドームの飯伏幸太選手との二冠王座戦に向け、2020年の年内最終シリーズで前哨戦を繰り広げてきたわけですが、率直な感想としては?
内藤 やっぱり“楽しい前哨戦”でしたよ。何度も言ってるように、飯伏幸太とプロレスをしてる時間は非常に楽しいので。
――内藤選手だけでなく、飯伏選手も常に同じような発言をされてますよね。今回はあらためてお二人の戦いの歴史も振り返っていただければと思います。
内藤 わかりました。
――そもそも飯伏選手との初対面は覚えてますか?
内藤 たぶん、彼が初めて『BEST OF THE SUPER Jr.』(2010年)に出たときですかね。
――あ、いわゆる“57年会”(団体の垣根を越えて昭和57年生まれのレスラーが集う会)で会ったのではなく、新日本のシリーズが最初なんですね。
内藤 そうです。もちろん、その前から飯伏幸太という存在は雑誌を通して知ってました。ただ、俺と同い年で先にデビューしてる人間なんで「こういう選手がいるんだ」と思って。直接会ったのは、彼が新日本のシリーズに出場したときですね。
――飯伏選手は2009年の5.5後楽園で新日本に初参戦(棚橋弘至&金本浩二vs森嶋猛&飯伏)をはたし、その直後の『SUPER Jr.』にエントリーしましたが、それ以前に飯伏選手の試合を観たことは?
内藤 ちゃんとはなかったです、基本的に自分は他団体の試合は観ないし、雑誌でパラパラと目にした程度で。
――では、飯伏選手の第一印象、初めて言葉をかわした瞬間は覚えてますか?
内藤 うーん……。それはちょっと記憶にないですね。自分がデビューする前、浜口ジム時代なんかは自分と同い年で先にプロになってる飯伏や鷹木(信悟)あたりを意識することはありましたけど、新日本に入ってレスラーになって以降はとくにという感じだったんで。
■当時は「自分よりも飯伏のほうが先を走ってるな」っていう印象はありましたよ。
――そういう関係性だったのが、強く飯伏選手を意識するようになった時期というのは?
内藤 それはやっぱり初めて試合で当たったときじゃないですかね。『G1』公式戦で当たったんですけど。
――2013年の8.2後楽園ホール大会ですね。
内藤 その頃になると飯伏は新日本プロレスにちょくちょく上がるようになってましたけど、『G1』まで俺とシングルで当たる機会はなかったんですよね。そもそも階級が違いましたし。
――当時の飯伏選手は、ジュニアヘビー戦線で大活躍してましたね。
内藤 たしか俺が2012年の8月にヒザのケガで長期欠場に入って、その頃に57年会ができたんですよ。そのあたりから徐々に飯伏を意識するようになって、2013年の6月に俺が復帰して、直後の『G1』で初めて当たったっていう流れですね。
――当時の飯伏選手はジュニア戦線で確固たる地位を築き、大きな期待を背負って『G1』に初出場を果たしました。あの頃から菅林直樹会長も「新日本所属になってほしい」とラブコールを送っていて。
内藤 当時は「自分よりも飯伏のほうが先を走ってるな」っていう印象はありましたよ。鷹木もそうですけど、57年会で集まったときに「あ、俺はこの中で先頭を走ってるとは言えないな」って思ってましたから。
――そこは新日本の場合、選手層が厚いというか
内藤 もちろん、新日本プロレスにいるということで、ステージがほかの選手とは違うっていう誇りはありましたけど、「この中で俺が一番だよ」って胸を張って言える自信はなかったですね。
――当時、内藤選手もメインイベンターの一角ではありましたが、そういう心境だったんですね。
内藤 そうですね。飯伏にしろ、鷹木にしろ、自分の団体のトップのベルトを巻いたりしてましたけど、俺はまだIWGPヘビーも獲ってないし、『G1』でも優勝してなかったんで。しかも57年会が始まった頃の俺はケガで欠場してたのもあって、どこかで遅れを感じてたというか……。
――内藤選手が本隊にいた頃、飯伏選手とは対談をお願いしたこともありました。二人の関係性は、つかず離れずの微妙なところがおもしろかった印象があります。おたがいを牽制しまくっていたというか。
内藤 なんか、おたがいに“アラ探し”ばっかしてましたね(笑)。試合で少しおかしなところが目につくと、わざわざ「アレ、なんだったの?」って聞きにいったり。
――逆に飯伏選手は、内藤選手のおかしなところを見ると「あれ、よかったですね!」とイヤミを言いにきてたみたいで(笑)。
内藤 フフフ。まあ、そうやってイジられるのが楽しくもあり……。まだ、どっちも新日本のトップという感じではなく、「コイツより先に俺が!」っていう緊張感もありつつ、同い年ということでシンパシーみたいなものもあって。
――ちょっとほかにはない関係性ですかね。
内藤 そうですね、俺は同期もいないので。飯伏のほうがキャリアは先輩ですけど、プロレス界の中でどこか特別な存在ではありましたね。
■俺も飯伏戦になると、小中学生の頃とかに体育館にマットを敷いて、夢中でプロレスごっこしてたときの気持ちが蘇ってきちゃうんですよね(苦笑)
――その2013年の『G1』の初対戦は、飯伏選手がフェニックススプラッシュで内藤選手から勝利を収めていますが、あの試合自体は覚えてますか?
内藤 わりと覚えてますよ。同い年の人間と初めて『G1』で当たるっていうのと、しかもウチの父親が飯伏ファンで。父親から「この試合は、楽しみだな!」って、試合へのプレッシャーはだいぶかけられましたから(笑)。
――そんなことがあったんですね。
内藤 それで実際に飯伏と初めて肌を合わせてみて、いままでにない感覚になったのを覚えてます。もちろん、勝つことを目指してるわけですけど、飯伏と闘ってる時間というのがすごく心地よくて……。率直に「プロレスの好みが似てるんだろうな」とも感じたし。
――これはいい好敵手を見つけたなという感じで?
内藤 そうですね。ただ、階級は違ったんで、また次があるのかどうかわからなかったですけど。負けたものの「予想どおり、おもしろい相手だったな」って思いました。
――その後、飯伏選手はヘビーに転向。おふたりは2015年の3.15広島での『NEW JAPAN CUP』準決勝戦で再戦しますが、このときも飯伏選手が勝利を収めました。
内藤 よりによってカープのご当地で負けちゃったんですよね……(苦笑)。あそこで敗れたことで、完全に“飯伏が上、内藤が下”っていうのが、自分の中でもそうだし、お客さまにもハッキリ見えてしまったというか。
――あの試合では、飯伏選手が初めて新日本マットで“ひとでなしドライバー”を繰り出しました。
内藤 そうでしたね、最近はちょいちょい観ますけど。
――飯伏vs内藤戦になると、おたがいにエグい技を解禁してくるというか。
内藤 あのー、俺も飯伏戦になると、小中学生の頃とかに体育館にマットを敷いて、夢中でプロレスごっこしてたときの気持ちが蘇ってきちゃうんですよね(苦笑)。何も考えずに危険なことをやったり、跳び箱の上からムーンサルトをやったり。
――プロレス少年だった頃にフラッシュバックしてしまいますか。
内藤 俺にとっては、“あの頃の気持ち”を思い出させてくれる貴重な相手ですよ。そのへん、もしかしたら飯伏も同じ感覚なのかも知れないですね。「もっと凄いことやってやろう」みたいな。
――同い年ということで、同時代に観てきたプロレスもかなり近いと思いますし。
内藤 そうですね。だから、飯伏戦になると、普段出さないことを「あれもやりたいな、これもやりたいな」ってワクワクしちゃって。
――それが観ている側にも伝わるというか。当初は飯伏選手がシングルで2連勝し、先をいくかたちになりましたが、内藤選手が15年5月にメキシコでロス・インゴベルナブレスに出会ったことで、その関係性もまた変わってきましたよね。
内藤 ああ、そうですね。
――2015年の8.5岩手の『G1』公式戦では内藤選手がデスティーノで飯伏選手に初勝利。その翌年の4月には、内藤選手がIWGPヘビー初戴冠を果たし、一気に新日本の中心に躍り出て。一方、13年10月から新日本とDDTのダブル所属だった飯伏選手は16年2月にフリーとなり、新日本マットから一時期離れます。この時期の飯伏選手のことをどうご覧になってましたか?
内藤 いや、そもそも見てなかったです。俺自身は自分のレスラー人生を賭けてロス・インゴベルナブレスを持ち帰ってきたので、ハッキリ言って周りを見ている余裕はなかったし。自分のやることに夢中になり、それが楽しかったので、イチイチ自分に関係のないことを気にするヒマはなかったですね。
――飯伏選手のことが頭から消えていた、と?
内藤 当時は、完全に消えてましたね。
■新日本にひさびさに戻ってきた飯伏に勝ったことで、「完全に立場は入れ替わったな」とは思いました。「完全に逆転したな、俺のほうが上だな」って
――その後、飯伏選手は2017年の『G1』に2年ぶりに参戦すると、その初戦で内藤選手と対峙します。あの試合も飯伏選手が雪崩式パイルドライバーを繰り出すなど、危険度の高い攻防を繰り広げた末、内藤選手がデスティーノで勝利を収めてます。
内藤 あの試合も、なんか賛否両論が起こっちゃったんですよね。「あんなことやってたら死ぬぞ?」とか。まあ、たしかに一歩間違えたら即引退になってしまうような、デンジャラスな攻防だったとは思いますけど。でも、やってる側からすると、メチャクチャ楽しい時間でしたよ。もちろん、本当にギリギリのギリギリの状況でしたけど、「やっぱり、飯伏とのプロレスは楽しいな」って思いながら試合してました。
――極限の闘いでも、そう思えるような相手なんですね。
内藤 ただ、この時、新日本にひさびさに戻ってきた飯伏に勝ったことで、「完全に立場は入れ替わったな」とは思いました。「完全に逆転したな、俺のほうが上だな」って……。
※無料公開はここまで! インタビュー後半は、「楽しい=デンジャラスではない」「飯伏は大人になった」など、注目発言が満載! さらにオカダ選手の「IWGPの闘い」発言にも返答!
続きは有料サイトでご覧ください。
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