ここ数年で劇的な“V字回復”を遂げたことで知られている現在の新日本プロレス。しかし、その“復活”に至る道程には、いったい何が推進力となり、どんな選手が活躍したのか?
その過程を最前線で随時見届けてきた“GK”金沢克彦氏が2010年代からの生まれ変わった“シン・新日本プロレス”に至る歴史を紐解く集中連載! いよいよブシロード体制へ移行、そして衝撃のレインメーカーショック!
文/金沢克彦
※以下、金沢克彦氏「シン・新日本プロレスが生まれた時代」第9回の序盤を無料公開!
■オカダは一夜明け会見に外道とともに乱入。太々しい態度で再度IWGPヘビー級王座への挑戦を要求し、半ば強引にタイトルマッチを決めてしまった。
2012年の1.4東京ドーム。メインイベントのIWGPヘビー級選手権で鈴木みのるを下してIWGP防衛レコードⅤ11を達成した棚橋弘至に、この日の第3試合に組まれた凱旋マッチを白星で飾ったオカダ・カズチカが宣戦布告。
大観衆は一斉にオカダへブーイングを浴びせ、棚橋の「IWGPは遠いぞ!」のひとことに喝采を送った。プロレスファンの気質を考えれば、当然の現象だろう。
「顔じゃない!」
だれもが、そう思った。この時点でヒール扱いされたオカダは、さらに大胆な行動に出る。翌5日の一夜明け会見で棚橋がコメントを発している最中に、マネージャーの外道とともに乱入。太々しい態度で再度IWGPヘビー級王座への挑戦を要求し、半ば強引にタイトルマッチを決めてしまった。
その舞台は、2月12日、大阪府立体育会館。西のプロレスの聖地である。両選手のタッグマッチによる前哨戦は、1.25福島・白河大会を皮切りに、2・10大阪・世界館大会まで9試合組まれている。
その最中、新日本プロレスにとって、いや日本プロレス界にとってビッグニュースが舞い込んできた。1月31日、都内・信濃町の明治記念館で、新日本の新体制に関して大々的な記者会見が行なわれたのだ。
■6年2カ月のユークス子会社体制にピリオドを打ち、新日本は旗揚げ40周年の節目にブシロード体制で新たなスタートを切ることになった
この31日付けで新日本プロレスリング株式会社の親会社が株式会社ユークスから株式会社ブシロードへと移行、新体制となったことが発表された。
会見には、ユークスの谷口行規代表取締役社長、ブシロードの木谷高明代表取締役社長、新日本の菅林直樹代表取締役社長と坂口征二相談役、さらに新日本の全選手がそろった。
6年2カ月のユークス子会社体制にピリオドを打ち、新日本は旗揚げ40周年の節目にブシロード体制で新たなスタートを切ることになったのだ。
「世界一のレスリングカンパニーを目指して、みんなで頑張っていきたいと思います!」
木谷社長(新日本プロレス会長に就任)はそう宣言した。有言実行。実際に2012年、ブシロードは新日本の宣伝広告費に約3億円を投入した。
それによって新日本プロレスと所属選手たちの顔が、一般に顔を出す機会が格段に増えた。さらに時代の先端をいったのが、動画配信システムを確立させたこと。
約1年の準備・制作期間を経て、新日本とテレビ朝日の共同開発事業として、2014年12月から『新日本プロレスワールド』の配信をスタートさせたのだ。
パソコンでもスマホでも、つねにプロレスをリアルタイムで観戦できる環境。また、過去のコンテンツも豊富にそろっている。
いま現在、『新日本プロレスワールド』の視聴者は、世界中で10万人を超える会員数をもっている。
ブシロード体制となってから3年、新日本プロレスは劇的Ⅴ字回復を果たし、プロレスブームという言葉とプ女子(プロレス女子)なる言葉を世間にとどけるまでに復活を遂げた。
それが新日本プロレス新時代を支えるハード面だとしたら、ソフト面……つまりプロレスラーという人材を代表する男がオカダ・カズチカとなった。
■連日行なわれる棚橋とのタッグ前哨戦を通して、ファンの見る目も、マスコミの見る目も、1.4東京ドームの凱旋試合のときとは、変化してきた
オカダがCHAOSに入ったことも正解だった。口八丁手八丁の外道がマネージャーに付き、先輩として手本になるべき男も数多くいた。中邑真輔、矢野通、石井智宏、高橋裕二郎と試合巧者がズラリ。
連日行なわれる棚橋とのタッグ前哨戦を通して、ファンの見る目も、マスコミの見る目も、1.4東京ドームの凱旋試合のときとは、変化してきた…。
★『“シン・新日本プロレス”が生まれた時代』第9回「内藤との名勝負数え唄がスタート! 王者・棚橋がついに“V11”達成! “凱旋帰国”オカダにファンが拒絶反応!?」
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