『新日本プロレスの選手へ一問一答!』は永田裕志選手!
後編では、IWGPヘビー級王座V10でのターニングポイントになった試合、アントニオ猪木さんからの教えについても激白!
そして、青義軍結成から井上亘さんと獲得した「G1 TAG LEAGUE」優勝までの苦難な道のりについても初告白!?
永田選手が皆様からの質問にお答えします!
※前編・後編の2部構成となっております。
※以下、インタビューの「序盤部分(※一部抜粋)」をWEBで無料公開!
●北海のエース中村圭佑(恋するぞ!)さんからのご質問
こんばんは。IWGP10度の防衛戦でターニングポイントとなった相手は誰ですか?
永田 ジョシュ・バーネットとやったタイトルマッチだね。(2003年1月4日)東京ドームのメインで、「よりによってプロレスデビュー戦の相手を連れてくるか」って思いましたよ(苦笑)。
――バーネット選手は総合格闘技のスターだったとはいえ、プロレスデビュー戦が東京ドームでIWGPヘビー級選手権というのは前代未聞でしたね。
永田 「未知なる者と闘う」っていうプレッシャーが凄かったよ。個人的には「とにかくタイトルマッチの形にはできたな」と思ったけど、お客の反応がイマイチで凄い落ち込みましたね。
――ファンの反応に落胆されましたか。
永田 ただ、不思議と関係者やマスコミからの評価は凄い高くて、「あれは永田だからできたんだ」って言われた時は報われましたよ。まあ、いまはそういう時代じゃないけど、いまのチャンピオンじゃ絶対できないよ。
――V10を振り返ると、そのジョシュ戦がターニングポイントとなる試合ですか?
永田 そうだね。記録を意識したのはジョシュ・バーネットとの防衛戦のあとだから。やっぱり、俺ってどうしても記録を意識するんですよ。当時は「記録よりも記憶に残ることをやらなきゃダメだ」とか、昔のおじさんは言ってたけど、俺は逆だと思うんだよ。
――記憶よりも記録が大事じゃないかと。
永田 記憶なんてものはいつか忘れられちゃうけど、記録がシッカリ残ってれば記憶ってまた掘り起こされると思うんですよ? だからこそ、当時は凄く記録にこだわりましたし、記録っていうことを“煽り”としても言ってましたね。
――煽りというのは?
永田 記録っていうことにこだわってムチャなことを言い続けて、ドンドン背伸びをして、ファンに「アイツ、どうなるんだろう?」って興行に注目させたかったんですよ。それは(アントニオ)猪木さんに教わったんですけどね。
――なんと猪木さんの教えでしたか。
永田 2002年4月5日に東京武道館で安田忠夫の持つIWGPヘビー級王座に挑戦する前、ロス道場開きの時に記者会見をやったんだけど、「切羽詰まってますから、次が最後のつもりで頑張ります」みたいな感じでたいしたことを言えなかったんですよ。そしたら、猪木さんに「おまえ(永田)はマジメだな?」って言われたんですよ。
――会見の感想として、「おまえはマジメだな」と。どういう意味だったんでしょう。
永田 正直、その時は意味がわからなかったんですよ。でも、そのあとみんなの前で「ベルトっていうのは興行の看板であり、団体の象徴であり、全世界の注目を集めなきゃいけないのに、あの発言はなんだ?」「それじゃあ、お客さんは絶対に注目しないよ」ってボロクソに言われたんですよ。
※無料公開はここまで! 続きは有料サイトでご覧ください。
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