昨年、『BEST OF THE SUPER Jr. 26』に電撃参戦をはたしたDOUKI選手に初の単独インタビュー!
素顔のデビューからマスクマンDOUKIが生まれた瞬間とは?
そして、転機となったミラノコレクションA.T.さん、タイチ選手との出会いについても言及! さらには、IWGPジュニアヘビー級王者・高橋ヒロムに宣戦布告!
※プロフィール写真提供/DOUKI選手
※以下、インタビューの「序盤部分(※一部抜粋)」をWEBで無料公開!
■「DOUKIになるぞ!」って決めた時は、般若みたいなマスクを作ろうと思ったんだけど、届いたマスクが小学生の図工みたいな出来上がりで……
――DOUKI選手、後編も引き続きよろしくお願いします。前編の最後で2010年の「デビュー当時は素顔で試合をしていた」とおっしゃっていましたが、その時からリングネームはDOUKIなんですか?
DOUKI いや、違う名前でやってたよ。DOUKIになったのは、2012年に向こうの『ペロス・デル・マール』(2008年12月に旗揚げしたルチャリブレの団体)っていう団体にあがることになった時、「ほかにも日本人レスラーがいるし、キャラを変えていこう」と思ってDOUKIになったんだ。
――その時にマスクマンになったということですか?
DOUKI ああ。マスクもいまと同じような形だったけど、もっと色も単調だし柄も自分でデザインを書けるぐらいの簡単なマスクだったな。
――ちなみに、DOUKI選手のマスクは独特ですけど、何というマスクになるんですか?
DOUKI 名前はねーな。ただ、それまでに前例がないし、俺がこの形のマスクを作ったようなもんだから、早く名前を決めて商標登録を取らねーとな?(ニヤリ)。
――斬新な形のマスクですよね。
DOUKI まあ、鼻から下を隠すマスクは、エレクトロ・ショック(メキシコ・AAA)だったり、俺の前にも3人ぐらいはいたんだけど、この形のマスクのまま試合するっていうのは、ほぼ俺が元祖だと思う。
――現在使用してるマスクの形になった経緯というのは?
DOUKI 大前提として、「俺はほかの人間がやってることをやりたくない」っていうのがあるから、マスクもほかのヤツと違うデザインにしようと思ったんだ。
――なるほど。
DOUKI 最初、ペロス・デル・マールで「DOUKIになるぞ!」って決めた時は、般若みたいなマスクを作ろうと思ったんだけど、届いたマスクが小学生の図工みたいな出来上がりで「こんなの使えねーよ!」ってなって、その時たまたまいた女子のレスラーに「鼻から下を隠したらカッコよく見えるよね」って言われて、いまの形のマスクになったんだよ。
――そんな逸話があったんですね。少しデビュー前の話も伺っていきたいのですが、もともとプロレスラーを目指したキッカケというのは?
DOUKI 小学校の頃にやってた剣道の先輩が『闘龍門JAPAN』のビデオを持ってて、それを借りて観たのがキッカケかな。で、そこからプロレスファンになって、ほぼ全団体の試合を観たてきたんだけど、そのなかでメキシコのルチャのスタイルが「面白いな」「カッコイイな」「やりたいな」と思ってプロレスラーを目指したんだよ。
――やはりルチャがルーツだったわけですね。では、小学校の頃からプロレスラーになろうと決意したわけですね。
DOUKI ああ。マジで小学校6年の頃から「メキシコに行きたい」と思ってたんだけど、実際にメキシコに渡ったのは2010年の5月だったかな。
――ということは、2010年5月にメキシコへ渡り、その5か月後の10月にはライセンスを取得したわけですね。
DOUKI そういうことだな(ニヤリ)。
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