今年の5月3日で結成7周年を迎えたBULLET CLUB。新日本マットからやがて全世界を席巻する一大ムーブメントとなるこの悪の軍団。
そのオリジナルメンバーであり、現在の中心メンバーであるタマ・トンガにBULLET CLUBの創世記~現在に至るまでロングインタビューを敢行! 今回は後編をアップ!
★インタビュー前編はコチラ!
スマホサイト会員の方はコチラから!
※以下、タマ・トンガ選手インタビュー(後編)の序盤を無料公開!
■俺自身も迷っていたが、最終的には「ニュージャパンに残ろう」と決意した
――さて、タマ選手。BULLET CLUBが世界的な成功を収めている中、2016年1月にAJスタイルズ選手、ドク・ギャローズ選手、カール・アンダーソン選手が新日本を退団しました。
タマ あの頃、彼らはなんだか精神的に不安定だったんだ。ある時、ホテルでミーティングをやった時に彼らから退団を伝えられた。もちろん悲しかったし、先のことを考えると俺も不安になったよ。というのは、俺に関しても退団のウワサが流れていたんだ。実際、俺自身もニュージャパンに残るべきかどうか迷っていたしね。
――タマ選手の心も揺れていましたか。
タマ ただし、最終的には「ニュージャパンに残ろう」と決意した。なぜなら俺たちがニュージャパンでしようとしていたこと、ニュージャパンで築き上げてきたことを強く信じていたからだ。そして、その時点でアンダーソン、ギャローズ、AJたちは過去の存在になった。残ったBULLET CLUBのメンバーが乗り越えなきゃいけないハードルになったんだ。
――2016年1月5日、ケニー・オメガ選手がAJスタイルズ選手をBULLET CLUBから追い出し、ユニットの新リーダーになりましたね。
タマ みんなで話し合って、今後はケニーがいろいろと仕切る人間、リーダーになることを決めたんだ。俺は「オーケー。やってみようじゃないか。俺はまた“働き者”としてユニットのために闘う」と誓ったよ。
■あの試合で俺たちはタッグチームとして初めて本領を発揮した。「やっとスタートラインに立ったぞ!」って感じだった。
――この2016年の4月には、初めてゲリラズ・オブ・デスティニー(以下、G.o.D)がリングに登場しました。タマ選手と弟のタンガ・ロア選手は真壁刀義&本間朋晃組を倒して、いきなりIWGPタッグ王者になりました(2016年4.10両国国技館大会)。
タマ まさに、俺たちにとって一か八かの闘いだったな? もちろん、俺たちはいまも走り続けている。タッグを組み始めたころは、凄く大変だったし、何度か気が狂いそうなこともあったけど、やがて俺たちは「自分たちが何者なのか?」ということに気付いたんだ。だからこそ、俺たちはいまもG.o.Dとしてここで闘い続けている。
――タマ選手とタンガ選手は兄弟タッグですが、タッグ結成に至るまで2人の歩みは異なるものでしたね。
タマ そうだ。たしかに教わってきたこと、そのすべてが完全に真逆だった。俺は、ドージョーでニュージャパンスタイルのプロレスを教わってきた。アイツはアメリカでWWEスタイルのプロレスを学んできた。誰が見ても一目でわかるほど異なったスタイルだ。だからこそ、チームとしてシッカリ機能できるよう、アイツがニュージャパンのリングで活躍するレスラーになれるように、俺たち自分たちを変えようと努力していったんだ。
――2016年12月10日の『WORLD TAG LEAGUE 2016』決勝戦(宮城・セキスイハイムアリーナ大会)では真壁&本間組に敗北を喫してしまいましたが、G.o.Dの魅力が全開になりましたね。
タマ フフフ。よくわかってるじゃないか? あの試合で俺たちはタッグチームとして初めて本領を発揮した。「やっとスタートラインに立ったぞ!」って感じだった。俺のプロレスキャリアの中でもあの試合はお気に入りの一つだ。おまえも俺たちの息がピッタリのところを見ただろ。
――ハイ。2020年2月21日後楽園ホールでは、棚橋弘至&飯伏幸太組に負けてしまいましたが、試合後、飯伏選手はとくにタンガ選手の成長に驚いたと言っていました。
タマ はあ? イブシのヤローがどう思っているかなんてどうでもいい! 他のヤツらが何を言おうが、俺は、“ティー”(タンガ・ロアの愛称)のことを誇りに思っている。アイツは短期間でいままでと違うスタイルに順応しなきゃいけなかった。たしかにWWEではトップレベルのレスラーではなかったかもしれない。でも、いままで住んでいた国と違う国で、いままでとは違うファイトスタイルで、いきなりトップレベルの闘いをしなきゃいけなかったんだ。アイツは本当によくやったよ。
■アイツらは俺たちから離れて自分たちのやりたいことばかり、勝手にやっていた。正直、もう我慢の限界だった。
――ケニー・オメガ選手の話に戻ります。AJスタイルズ選手からBULLET CLUBを引き継いだケニー選手はリーダーとしてどのような存在でしたか?
タマ 最初にケニーがBULLET CLUBをリードすると決まった時、俺はいちメンバーとして彼を応援した。俺は物ごとを客観的に引いて考えるタイプだから、いつもユニットとしてベストな道を考えているんだ。だからケニーがBULLET CLUBのリーダーになるのは構わなかった。だけど……。
※無料公開はここまで! 続きは有料サイトでご覧ください。
★タマ・トンガインタビュー(前編)はコチラ!「デヴィットとマシンガンに『ヒールとは何か?』を教わった」
★加入するなら今! 新日本プロレス・スマートフォンサイトの詳細はコチラ!!
★月額=330円(税込み)