2013年から2014年にかけて新日本プロレスのスマホサイトで連載されていた、逸材が半生を語る自伝『棚橋弘至のHIGH LIFE!!』。このたび、なんと6年ぶりに第2部スタート!
復活第1回は、2004年12月にタイムスリップ!“終生のライバル”中邑真輔とのIWGPタッグ王座奪取から、2005年1.4東京ドームでの初シングルまでを激語り!
聞き手/鈴木佑
ポートレイト撮影/棚橋弘至
【無料で読めます!】逸材自伝『棚橋弘至のHIGH LIFE!!』(第1部)がGW期間限定でフリー公開中!
スマホサイト会員の方はコチラから!
※以下、逸材自伝『棚橋弘至のHIGH LIFE!!』(第2部)の序盤を無料公開!
■パートナーは中邑しかいなかったですね。自分でいうのもなんですけど、若い俺たちが新日本の一筋の光だったというか。
――今回より、2013年から2014年にかけて新日本プロレスのスマホサイトで連載していた、棚橋選手が半生を語る『棚橋弘至のHIGH LIFE』が、6年ぶりに再開することになりました!
棚橋 今回から第2部の開始ってことみたいですけど……。そもそも、なんでこんなにあいだが空いたんですかね?(笑)。
――当時の状況を振り返ると、まず中邑真輔選手の自伝連載の第一部が終了したあと、この棚橋選手の『HIGH LIFE』の第一部が開始されたんですよね。で、14年5月に名著『棚橋弘至はなぜ新日本プロレスを変えることができたのか』が発売されるタイミングで、棚橋選手の第一部を終了し、中邑選手の自伝の第2部とバトンタッチをして。そのあと中邑選手の第2部が終了しても、なぜか棚橋選手の第二部が開始されなかったという……(苦笑)。
棚橋 きっと、何か事情があったんでしょう(苦笑)。まあ、仕切り直しということで気を取り直していきますか! で、その6年前の第1部はどのあたりで終わったんでしたっけ?
――2004年の11月19日の大阪ドーム大会ですね。この大会では当初、ファン投票で棚橋選手と中邑選手の初シングル(IWGP U-30無差別選手権試合)が予定されるも、直前に当時の新日本プロレスのオーナーであるアントニオ猪木さんの強権発動でカードが急遽変更。棚橋選手は天山広吉選手とのタッグで、当時話題を集めていた『ハッスル』の小川直也&川田利明組と対峙することになって……。
棚橋 ああ、時代を感じさせますねえ。まさに暗黒期の真っ只中というか(苦笑)。あの頃はフラストレーションがありつつも、目の前に課された難題を乗り越えようと必死になってた頃ですね。当時の新日本プロレスは“外敵”が幅を利かせてましたし。これは03年とか04年あたりだと思うんですけど、北海道巡業のときに新日本の選手の欠場が重なって、大会ポスターの真ん中が高山さんだったんですよ。
――ああ、新日本の大会なのに、ポスターの中心が外敵選手だった、と。
棚橋 あれは悔しかったな……。まだ二十代でしたけど、「もっと俺に力や知名度とかあれば、なんとかできるのに!」っていう不甲斐なさを感じてましたよ。たぶん、当時の“外敵天下”な状況に対しては、中邑も似たような気持ちだったんじゃないかな。
――この大阪ドーム大会の後はまさに外敵天下というか、IWGPヘビーを佐々木健介選手、IWGPタッグを高山善廣選手と鈴木みのる選手のタッグが戴冠していました。そんな中、棚橋選手はタッグ奪還に名乗りを上げ、中邑選手との次世代エースタッグを結成します。
棚橋 ハイ。じつは、その時点で中邑は一度、IWGPヘビーを巻いてたんですよね。後輩なのに自分よりも先を行ってるという部分で、組むことに多少葛藤はありましたよ。一方的にライバル視してたし、ジェラシーの対象だったんで。ただ、自分の中で天秤にかけたんでしょうね。外敵天下の中、新日本所属としてベルトを取り返すことのほうが、自分のエゴよりも大事だ、と。
――そこで組むなら中邑選手だ、と?
棚橋 中邑しかいなかったですね。自分でいうのもなんですけど、若い俺たちが新日本の一筋の光だったというか。当時は俺が28歳で、中邑はまだ24歳とかでしたから。
※無料公開はここまで! 続きは有料サイトでご覧ください。
【“新緑の大プレゼント祭り”開催中!】もちねこナオル&ダリルステッカーを50名様に! 内藤ベースボールシャツ!モバイルバッテリーも大放出!
【無料で読めます!】逸材自伝『棚橋弘至のHIGH LIFE!!』(第1部)がGW期間限定でフリー公開中!
★加入するなら今! 新日本プロレス・スマートフォンサイトの詳細はコチラ!!
★月額=330円(税込み)