いよいよ2月22日(日)後楽園ホールでの引退が迫ってきた“野人”中西学選手。今回は、中西のプロレスデビュー時から、よく知る男、“GK”金沢克彦氏が現役ラストインタビューを敢行!
今回は最終回! 伝説の『G1』優勝から、迷走の格闘技チャレンジ、ついにIWGPヘビー級王座獲得、そしてレスラー生活を総括!
聞き手/金沢克彦
撮影/タイコウクニヨシ
★試練だらけのデビュー戦! 合宿所での“青春時代”にも迫る! 中西学に“GK”金沢がインタビュー!!(第2回)
★「引退試合? なんでもやりますよ!せやけど…」中西学に“GK”金沢克彦がラストインタビュー!!(第1回)
※以下、インタビューの「序盤部分」をWEBで無料公開!
■じつは、優勝した『G1』開幕前に筋肉断裂をやってしまって。とにかく「すぐ治せ」って言われて、治しには行ったけれど治らないですよ。
――さて、90年代も後半になると、上にはもちろん闘魂三銃士がいて、その上にはまだ長州(力)さんと藤波(辰爾)さんもいるという状況で、第三世代も力をつけてきました。その中で誰が飛び出すのかと注目されている中、99年の『G1』を中西選手が獲りました。
中西 そうやったね。
――これは忘れもしないんですが、……本人も言わなかったことだけど、じつは開幕の3日前に左足ふくらはぎをケガしていたんですよね。
中西 やっちゃいましたね。しかも筋肉断裂やから、結構酷かったんですよ。
――これは今だから言える話ですけど、合同練習の打ち上げでキックベースをやっているときにケガしてしまったと。
中西 ええ。普通のトレーニングではケガしないのに、そういう時に限ってケガするヤツなんですよ、ボクは……(笑)。
――現場監督の長州さんにもの凄く怒られたでしょ?
中西 ケガしたっていうのもそうやけど、「あまりにもドジすぎる」っていうんでね。とにかく「すぐ治せ」って言われて、治しには行ったけれど治らないですよ。もう応急処置だけです。だから、やっぱり痛みはある。せやけど、ケガせえへんかったら、動き回るレスリングで追いつけない相手に、自分から捕まえに行くような試合をしてたと思うんですよ。それが痛みがあることで、「来い!」っちゅうてガッチリ構えてやってると、今まで捕まえられなかった相手が、向こうのほうから必ず来る。その中で受けきってやるっちゅう自分のプロレスの型ができたんですよね。
――まさにケガの功名ですね。でも、あの時、本隊と反体制派に分かれていたけど、新日本からOKをもらって、レセプション(前夜祭パーティー)の会場で第三世代の永田、中西、天山、小島の4人で写真を撮って、それを『週刊ゴング』の表紙にしようとしていたんですよ。「誰が『G1』で突き抜けるのか?」っていうのをテーマにね。ところが、中西選手が「諸用により欠席」ってことで飛んでしまったんです。
中西 ハハハ。どんな諸用や(笑)。
――あのとき小島(聡)選手がすごく残念がってね。「ニシオ君のせいで表紙が飛んだ」ってしばらく愚痴ってましたよ(笑)。
中西 これが本当の“拍子抜け”ってね(笑)。
――うまい! 引退を前に冴えてますねえ(笑)。でも、あの状態でテーピングもしないまま全試合を闘いぬいたわけですからね。
中西 いや、試合前はしてたんですよ。せやけど、長州さんに「ふざけんな! なんのために治療に専念させたと思ってんだ!」って言われて取ったんですよ。それで「たとえアキレス腱が切れても、その時はその時やわ!」って腹を括って。せやけど、やっぱり動けへん。そこでさっき言った、横綱相撲じゃないけど、どっしりと構えて受けて立つプロレスができたんですよ。せやから、やっぱりケガの功名ですね。長州さんの一言が無茶なものだったとしても、ええ方向に向かったんです。これも親からもらった頑丈な身体のおかげですね。
――でも、ケガのことをいっさい表に出さないで優勝したのは立派でしたよ。
中西 ……ヘタなことしたら、長州さんに何されるかわからんかったからね(苦笑)。
――試合中に乱入してきた長州さんのリキラリアットを食らったかもしれない(笑)。
中西 地方でボクだけ宿泊先がないとかね(笑)。とにかく当時、何を考えてプロレスやってたか言うたら、逆らったらどうなるかわからへんというか。「やれ!」言われたことはやるしかないっちゅうことですよね。
――とても理不尽に聞こえるけど、今はそういうこと全てに感謝しています?
中西 感謝もしてるし、結局、自分は勇気がないから、抵抗することはできひんのですよ。それを乗り越えられたのはこの身体のおかげやし、親に感謝です。他の選手には無茶振りのように見えても、自分にとっては決して無茶振りじゃなかったんですよ。しかも、墓穴を掘ったところから自分のスタイルができたっちゅうのは、なんかボクらしいですよね。
■藤田戦は、最初に鼻を折られて何が起きたかわからんかったけど、「血が出てるやんけ」って思うたら、燃えてきたなっちゅうのはありましたね。
――そして『G1』に優勝したことで、第三世代で最初に突き抜けたし、誰もが最初にIWGPヘビー級王座を獲ると思っていたんですけど、足踏みが長く続いてしまいました。
中西 そうやね。
――その間にPRIDE(総合格闘技イベント)から戻ってきた藤田和之選手が先にIWGPヘビー級王座に就いたり、永田(裕志)選手が獲ったりして、目指していたものがドンドンと届かなくなっていきました。その時期には迷いとかありました?
中西 他の人と感覚がおかしいのかもしれないけど、「何かの拍子で獲れる日が来るかもしれんから、とにかく体力だけはつけておこう。だから、練習だけはしておこう」って思っていましたね。もっと前の話になるけど、アメリカ遠征(クロサワのリングネームで約1年間のWCW遠征)に出させてもらったときもそうで、アクシデントもあって試合から干されてしまってね。高い金を払ってるのに、練習だけしに来てどないすんねんって会社は思うてたかもしれんですけど、練習環境が凄くよかったんでね。とにかく「恥はかきたくないけど、汗はかくぜ」って感じで練習してました。
――いつ何があってもいいように、すでに米国マット修行時代から練習して備えていたということですね。ただ、名勝負として記憶に残る2003年3月9日の名古屋レインボーホールで行なわれた永田選手とのIWGP戦。60分フルタイムドローとなって、この最高の勝負の場面でもベルトは獲れなかった。そして、会社からの指令で同年5月2日の東京ドーム大会で藤田選手と総合格闘技ルール(アルティメット・クラッシュ)で試合をしましたよね。
中西 もう「やれ」言われたら「やるしかないわ!」思うて。
※無料公開はここまで! 続きは有料サイトでご覧ください。
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