いよいよ2月19日(水)に“レフェリー引退”を迎えるタイガー服部レフェリーに現役ラストインタビューを敢行! 今回は大ベテランの目から見た“現在の新日本プロレス”について言及! 服部レフェリーの目から見た現在のトップ選手は? インタビュー後編!
撮影/山本正二
★「この業界で一番、俺が手が合って、尊敬してるのは長州。あの生き様が好きなんだよ」タイガー服部レフェリーにインタビュー(前編)!
※以下、インタビューの「序盤部分」をWEBで無料公開!
■プロレスも昔とはだいぶ変わったよな。俺はオールドスクールの人間で、タナ(棚橋弘至)あたりからがニュースクールなんじゃない?
――服部さんはこれまで数々の名勝負を裁いてきましたが、とくに印象に残っている試合として、たびたび1995年4.29平壌でのアントニオ猪木vsリック・フレアーの一戦を挙げられてますよね。
服部 あのときは20万人近く入ったらしいけど、猪木さんとフレアーは初めてプロレスを観るような人々を手のひらの上に乗せて、ドカンドカン沸かせてさ。「これ、レフェリー、いらないな」って思ったもん(苦笑)。……あと、自分がレフェリーをやった試合だと、(スタン・)ハンセンと(ビッグバン・)ベイダーがバコンバコンやり合った試合も凄かったな。
――90年2.10東京ドームでの新日本と全日本プロレスの対抗戦の一つとして、ベイダー選手のIWGPヘビー級王座にハンセン選手が挑んだ一戦ですね。壮絶な試合の末、結果は両者リングアウトとなって。
服部 途中、ハンセンのパンチでベイダーの目玉が飛び出そうになっちゃってさ。やっぱりメチャクチャになった試合は記憶に残るよ、橋本(真也)と小川(直也)の抗争とか。猪木さんもそういう試合のほうが好きだったんじゃないの?
――80年代の新日本では不透明決着に対して暴動騒ぎとかありましたよね。
服部 当時の猪木さんは「暴動? 起きりゃいいじゃねえか」ってぐらいの感じだったよ(笑)。あの人、大一番になると控え室を暗くして妄想するんだよ。
――それは妄想というか瞑想ですかね。猪木さんの付き人をされていた蝶野正洋さんも「猪木さんは大一番の直前に精神統一をする」とおっしゃってましたね。
服部 で、俺が猪木さんに用事があって覗くと、「早く部屋を閉めろ、そこで待ってろ」って言われるんだけど、それがイヤでイヤでさ。まあ、昔のプロレスはもっと殺伐としてたよ。いまみたいにプロとしてキレイに決着がつく試合もすばらしいけど、プロレスも昔とはだいぶ変わったよな。俺はオールドスクールの人間で、タナ(棚橋弘至)あたりからがニュースクールなんじゃない?
――服部さんからすると、棚橋選手の世代ぐらいからが新しいプロレスなんですね。
服部 昔はアンドレ・ザ・ジャイアントとか化物みたいなレスラーが多かったけど、最近は太ったレスラーなんか少ないじゃん。みんなグッドシェイプで、いまのファンにガッチリはまるプロレスをやって、新日本もこれだけ盛り上がってるんだから、いいと思うよ。
――服部さんが二回目に新日本に戻った00年代中盤は、まだ新日本プロレスが苦しい時代でしたよね。そこからいわゆる“V字回復”を果たすわけですが、その流れについて何か思うことはありますか?
服部 ハッキリ言って、このビジネスは水商売だから、ずっと浮き沈みの繰り返しだよ。その都度いろんな原因があって。格闘技のほうが流行ったり、選手がいっぱい辞めたりさ。まあ、いまの新日本はいい社長さんも来て、体制がしっかりしてるよ。俺が二回目に戻ってきてからの10年で、ずいぶん変わったと思うよ。
■新日本復帰の時にバーナードに声をかけてたんだけど、アイツにとっても俺にとってもよかったよ。俺、おもしろい関係なんだよ、バーナードとは。
――そのとき、服部さんは新日本復帰の“手土産”としてジャイアント・バーナード選手をブッキングしたそうですね。
服部 そうそう。いや、やっぱり俺は二度目の出戻りじゃん? 当時の会社の中には快く思ってない人間もいてさ。そんな頃に六本木に行ったら、全日本(プロレス)に来日してた外国人のレスラーが何人かいたんだよ。バーナードとか、あのうるさいヤツ。いまROHにも上がってて、服着て試合するデカい……。
――ブリー・レイ(ブラザー・レイ)選手ですかね?
服部 ああ、それだ! そのパートナーの黒人のレスラー(ディーボン)とか、何人かいて。で、アイツらが新日本に上がりたがってたんだよ。
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