『新日本プロレスの選手へ一問一答!』第51回目は、中西学選手!
中西学選手がWCW“クロサワ”時代のエピソードを激語り!
そして伝説の『中西ランド』復活についても言及!!
撮影/山本正二
※以下、インタビューの「序盤部分(※一部抜粋)」をWEBで無料公開!
●梅村 勇作 梅ちゃんさんからのご質問
一番のライバルと感じた選手は誰ですか?
中西 永田であり、天山(広吉)であり、小島(聡)さんであるっていう同じ年代っていうかね。歳は俺が一番上なんだけど、キャリアは俺が一番浅いんですよ。
――やはり、いま挙げた3選手というのは特別な存在ですか?
中西 やっぱり25年以上やってると、みんな個性が凄いね。シルエットを観るだけでお客さんは「オォ!」って言うやろうし、あの3人の姿に刺激を受けますよ。俺が先に引退するから申し訳ないっていう気持ちもあるけど、いまは残された時間を無駄にしないで、想いが伝わる試合をしていきたいですね。誰もが迎える引退ではあるけど、自分が何を伝えたいかっていうことをみせるのがプロレスやからね。
●PYU〜作さんからのご質問
90年代後半に白色ショートタイツを身につけた時期がありましたが、すぐにやめてしまったのはなぜでしょうか?
中西 「身体もしっかりしてるんだから、足も上半身も見せなさい」と。「ストロングスタイルはそれでええやないか」って、長州さんと馳さんの勧めだったし、別にええかなと思って、黒パンにしたんだよな。まぁ、たまにイベントがある時だけ、迷彩のパンツや力道山先生みたいな黒のロングを穿いたり、革の長いズボンを穿いたりとか、格闘技の時はボクサーパンツを穿いたり、覆面被ってライオンマスクもやったりしたけどな。
――いろいろなコスチュームを経験されてきましたが、やはり黒パンが一番シックリきますか?
中西 俺は身体を鍛えてなんぼやと思ってるし、あれは逃げられへんからな。あと、「この歳で黒パン穿いてる」っていうのはおいしいし、「新日本プロレスですよ」っていう感じもするしな。
●みのっち@みのみの(ゆうかたん命名)
WCW時代の「クロサワ」での思い出やエピソードなどを教えてください。
――改めて、1995年にWCW時代へ行った経緯、クロサワというリングネームになったキッカケについて教えていただけますか?
中西 まぁ、WCWから「身体のデカい日本人を使いたい」っていう話があって、マサさんと長州さんに推薦されて行ったんだけど、行く前に「名前はどうするか?」っていう話になったんだよね。そこで「アメリカの人でもわかる名前はないかな?」と思って、「ホンダやマツシタとかあるけどどうやろう?」って話してるなかで、「世界のクロサワでどうだ?」っていう流れで決まったんだよね。
――なるほど。世界的に有名な日本人映画監督、黒澤明さんから名前を頂戴したと。
中西 ただ、そんな驕ること無かれで、「『苦労していきます』っていう意味で“クロサワ”でいけよ」って言われて向こうに行ったら、クロサワやなくて“クラサワ”って呼ばれちゃったんだよな(笑)。
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