いよいよ2月22日(日)後楽園ホールでの引退が迫ってきた“野人”中西学選手。今回は、中西のプロレスデビュー時から、よく知る男、“GK”金沢克彦氏が現役ラストインタビューを敢行!
引退を決意した経緯、そしていままでのプロレスキャリアを総括するロングインタビューをお届け!
聞き手/金沢克彦
撮影/タイコウクニヨシ
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※以下、インタビューの「序盤部分」をWEBで無料公開!
■長州さんには身体で教えてもらいました。できなくても当たり前だけど、それでもやる根性があるかどうかなんですよ。
──さて、前回からの続きですが、プロレスをコーチしてくれた馳(浩)先生は、中西選手がオリンピック選手だからと言って、もちろん特別扱いはなしだったんですよね?
中西 もちろんですね。馳さんも、学生時代から自分を見てくれているんで、「こいつは時間かかるヤツだ」っていうのはわかってたと思うんですよ。
──ビックリしたのはまだ練習生になった段階なのに、どのプロレスラーよりも凄い身体をしていたことなんですよ。
中西 そんなことないですよ(笑)。まあ、見た目は筋張っていたけど、馳さんからは「おまえのような剥き出しの身体の上にエアバッグのようなものをまとってこそ、いい試合ができる。この身体で動いたらバテバテになって酸欠になっちゃうよ」って言われていたんですけど、その通りでしたね。
──見た目は凄かったけど、まだまだアマチュアレスリングの身体だったということですね。
中西 プロレス的な動きをしたらすぐにアップアップになっちゃいましたね。だから、見た目だけっちゅうか、中身が詰まってない身体だったんですよ。……いまだに詰まっているかどうかわからんけど(笑)。
──いまは詰まりすぎでしょう(笑)。
中西 いやいや、詰まって反吐が出てますよ。ハッハッハッハ!
──意味がわからん(笑)。当時は馳先生の他にコーチをしてたのは佐々木健介(引退)さんですよね。健介さんは口よりも手が出るほうでしょ?
中西 受身とかでも一番キツいのをダーンとやられましたね。「これに耐えられれば、どんな落とされ方をしても耐えられる」と。頭からドーンと落とされるヤツなんですけど、最初は失敗して脳震盪を起こしながらもやってましたね。まあ、それをやっていてよかったですけどね。
──長州(力)さんはどういう感じで中西選手と接していたんですか?
中西 長州さんには身体で教えてもらいました。できなくても当たり前だけど、それでもやる根性があるかどうかなんですよ。やっぱり殴られて、蹴られてっていろいろと教えてもらいましたけど、言葉ではわからないですからね。
──でも、長州さんは当時の中西選手のことを「オバケ」って言っていましたよ。最高の褒め言葉ですよね。
中西 その当時はなんでそんなことを言われるのかわからなかったですけどね(笑)。
──もう、規格外の身体とパワーですからね。
中西 でも、その身体をうまくコントロールできない自分が歯がゆかったですね。「クソー!」と思いつつ、指の先まで力を発揮できるようになるまで10年以上かかったです。
■デビュー戦後にやった四方に礼? マシンさんじゃないけど、「しょっぱい試合ですみません」っていう気持ちですよ。
──でも、そんな状態なのに思いもよらぬ形でたった2カ月でデビューとなりました。あれはビックリしました?
中西 ビックリしましたけど、逆らう気もないですから。「やれ!」って言われたらやるしかないと思うて。ただ、それまでガンガンちゃんこを食ってたのが、急に食えなくなったっちゅうか、……痩せちゃってね(笑)。永田に「デビューが決まってから、急に痩せちゃいましたね」って言われたんですよ。
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