プロレス界随一の論客・“GK”金沢克彦氏の独特の視点から、現在進行形の新日本プロレスに関するコラムを続々レポート(不定期連載)!!
今回は「引退目前! ライガー“最高のライバル”佐野直喜とはどんな選手なのか? 注目の“二冠戦”も大展望!!」
※以下、コラムの「序盤部分」をWEBで無料公開!
■当時、時代の波、流行に乗ったのが総合格闘技であり、プロレスがその時代にちょっとばかりソッポを向かれていただけなのだ
先だって、おもにプロレス・格闘技関連の『You Tube』の番組をスマホでハシゴしながら視聴していた。そこで突然出てきた番組に驚いた。2003年の年末、2004年の夏、同じく2004年の年末に、テレビ朝日の深夜帯で3度オンエアされた“特番”がアップされていたのだ。
『朝までTVプロレス』という約3時間の討論会形式のプロレス特番。その1回目と3回目が視聴できたのだ。番組名の通り、テレ朝の名物番組である『朝まで生テレビ』のプロレス版である。
当時、プロレス専門誌『週刊ゴング』の編集長を務めていた私は、マスコミ代表として3回とも同番組に出演している。とくに、3度目は「プロレス界の田原総一朗」というキャッチフレーズのもと、総合司会まで任されてしまった。
記憶を掘り起こしてみると……そこまでのキャッチフレーズで呼ばれた以上は相当シビアに進行するつもりで挑みながら、本来どこかでギャグを言わずにいられない性格が災いしてか、『朝まで生テレビ』の緊張感にはほど遠く、どちらかというと『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ系)に近い和やかな空気の番組となってしまった(笑)。
そんなほろ苦い記憶があるものだから、3回目の映像は観る気になれなかった。ただし、初回の番組はフルに観てしまった。まず、パネラーとして出演している自分自身への驚きが一番にきた。痩せている。顔がシュッとしまっている。
さらに、感嘆したのは立て板に水のごとく喋りまくる弁舌ぶり。早口なのに、まったく噛まないし、滑舌がいい。周囲はもう、ひと癖もふた癖もある大物レスラーばかり。蝶野正洋、獣神サンダー・ライガー、高山善廣、鈴木みのる、中邑真輔とそろっている。プロレス界を代表するような個性派にして、みんな雄弁だし、とくに高山とみのるの毒舌ぶりは周知の通りである。
そんな彼らを向こうにまわして、反論を許さない論陣の張りかたは我ながら見事だった。
「オレって、凄いなあ……」
自分のことなのに他人事のように感心する。溜息が出るほどに自画自賛! と、同時に「おい、今のオレもっとがんばれよ!」と自分に檄を飛ばしたくもなった(笑)。
ただし、当時のプロレス界の状況を顧みれば、よくわかる。私だって、選手たちに負けないほど、いや選手たち以上の危機感をもって、毎週毎週“本”を世に送り出していたのだ。だから、感覚が研ぎ済まれていた。外野からなにを言われようと、絶対に屈しない信念も持っていた。
それにしても、この番組を収録し、オンエアした2003年の12月下旬というのは、プロレス界にとって本当に大変な時期だった。
すでに3年前から格闘技人気にプロレスが押されはじめているなか、プロレスの存在意義さえ問われはじめていたのだ。それが同年12月31日の大晦日ではまさにピークを迎えようとしていた。
『K-1 Dynamite!!』(ナゴヤドーム、TBS系)
『PRIDE男祭り』(さいたまスーパーアリーナ、フジテレビ系)
『INOKI BOM-BA-YE 2003』(神戸ウィングスタジアム、日本テレビ系)
俗にいう『三大格闘技祭り』が“打倒! 紅白歌合戦”を掲げて、民放3局で生中継された。新日本プロレス、新日本マットを主戦場とするレスラーたちも、もろに影響を受けている。
『イノキ・ボンバイエ』には永田裕志が出場し、エメリヤーエンコ・ヒョードルとの対戦が決まっていたし、対戦相手の怪我で試合は流れたものの、当初同大会のメインでは高山vsミルコ・クロコップの試合が発表されていた。
『Dynamite!!』には新日本から2選手が出場。成瀬昌由がヤン“ザ・ジャイアント”・ノルキヤ、中邑真輔がアレクセイ・イグナショフと総合ルールでの対戦が決定。
とくに、中邑にはとんでもないプレッシャーがかかっていた。同年12月9日、天山広吉に勝利して、デビュー1年2カ月、22歳で最高峰IWGPヘビー級王座初戴冠。
その最高峰のベルトを持参して、K-1のリングに乗り込むことになったのだ。賛否両論が渦巻く中、快挙を達成し新日本の歴史を変えた中邑の周囲は敵だらけ。結局、イグナショフとの闘いはノーコンテストとなったものの、まさに冷や汗もののチャレンジであった。
無論、この『朝までTVプロレス』は、年明けの1.4東京ドームを盛り上げることが主題であり、2005年の1.4東京ドームのメインは、中邑(IWGPヘビー級王者)vs高山(NWFヘビー級王者)のダブルタイトルマッチで決定済み。
高山、中邑の主張も激しくぶつかり合っている。
なぜ冒頭から、新日本が冬の時代へと向かいつつある時期の象徴的な出来事を記したかといえば、この時代に選手たちがプロレス復権のためになにが必要なのかを、真剣に考えて討論する姿が心に響いてきたからだ。
本当に、彼らの真摯な姿勢を食い入るようにみればみるほど、涙が出そうになった。
「格闘技を『あちら側』なんて考えてちゃ、絶対いけない」(高山)
「いい試合をすればいいとかじゃないんだよ。勝たなければチャンピオンになれない。プロレスも勝つことが優先だから」(鈴木)
「格闘技人気がどうこうってフラフラする必要はない。プロレスはおもしろいんだから。みんな自信を持ってしっかり足もとを見つめればいい」(ライガー)
「いまの自分は漫画みたいな生きかたをしていると思う。大晦日を乗り越えて、東京ドームのメインに立つ。そこで勝利するという、少年時代からの夢を現実のものにしたい」(中邑)
ちなみに、私はこう言っていた。
「新日本プロレスに必要なものは若返り。最近、女性ファンが少ない。若いスター選手が出てくることが人気復興の条件。高山選手には申し訳ないけど、高山選手には男性ファンを任せて(笑)、女性ファン獲得のためにも中邑選手、棚橋選手には、飛びぬけた存在になってほしい」
どれも間違ってはいない。どれもこれも正解なのだと思う。もっと言うなら、時代の波、流行に乗ったのが総合格闘技であり、プロレスがその時代にちょっとばかりソッポを向かれていただけなのだ。
やはり何度か涙がこぼれそうになった。同時にあのころの選手たち、そして私自身にもタイムスリップして教えてやりたい衝動にかられた。
「大丈夫! ライガーの言う通りなんの心配もいらないよ。すこしの辛抱だから。いいかい、16年後の2019年になったら、2020年の東京ドームは史上初の1.4と1.5のドーム連戦として控えているんだから。プロレスは大丈夫、超Ⅴ字回復、人気沸騰中だからね!」
まあ、さすがにあのころの真輔だけには現状を言えないだろう(笑)。というか、真輔は未来から出向いた私が現状の真輔の立ち位置を伝えたところで「そんなことは冗談でもあり得ませんよ」と一笑に伏すだろう。
閑話休題――。
■その伝説を創る1.5東京ドームでは、同時にひとつの伝説が終焉を迎えることになる
16日、ダークマッチをふくめて、1.4&1.5東京ドーム大会の全カードが出そろった。今回、私が書いておきたいメインテーマは、獣神サンダー・ライガーの引退試合、とくに2日目のカード編成に関するものがひとつ。
もうひとつが、1.4を経て実現する1.5のメインイベント、IWGPヘビー級王者vsIWGPインターコンチネンタル王者の闘い模様について。
「人生変えるイッテンヨン、伝説創るイッテンゴ。」
その伝説を創るほうである。その伝説を創る1.5東京ドームでは、同時にひとつの伝説が終焉を迎えることになる。いやいや、終焉を迎えるから伝説になるという意味にも捉えられるだろう。
いうまでもなく、獣神サンダー・ライガー引退試合Ⅱが第1試合で行なわれるから。カードは、ライガー&佐野直喜vs高橋ヒロム&リュウ・リー(前ドラゴン・リー)というタッグマッチ。
同じく、1.4の第1試合で行なわれる“引退試合Ⅰ”のカードは、ライガー&藤波辰爾&ザ・グレート・サスケ&タイガーマスクvs佐野直喜&大谷晋二郎&高岩竜一&田口隆祐の10人タッグとなっている。
ライガー自身に言わせると、「4日は、自分のジュニアの歴史との闘い、5日は新日本ジュニアの未来との闘い」となる。
そこで、2試合ともライガーとからむ唯一の男が佐野直喜である。現在、夫人の実家がある京都市内で焼肉店『焼肉巧真』を経営している佐野は、そちらが本業であり、試合に関してはオファーがあったときにスポット参戦をする程度。
もちろん、店名と同じく現在のリングネームである佐野巧真で出場している。ただし、今回の連戦ではライガーからデビュー時のリングネーム(本名)で上がってほしいという要望に応え、約24年ぶりに本名の佐野直喜で東京ドームのリングに立つことを快諾した。
その佐野の名前だけは、いまやファンの間ですっかり浸透したと思う。今年3月の引退発表のときも、それ以降あらゆる媒体において、最高のライバルを聞かれると、「佐野さん」とライガーは答えるし、「もっとも印象に残っている試合は?」と尋ねられたら、「佐野さんとの試合」と即答しているから。
ただし、実際に「佐野とはどういうレスラーなのか?」となると、ビギナーファンはほとんど知識がないのではないか? 名前は憶えても、その試合はまったく見たことがないというファンのほうが多いような気がする。
だからこそ、ライガーというプロレス史に残る名レスラーがそこまでこだわる男である佐野に関して、当コラムから予備知識を仕入れて頭にインプットしたうえで、ライガー引退試合、とくに1.5のファイナルマッチを見とどけてもらいたいと強く思うのだ。
■ふだんの2人の性格は正反対。明るく元気でアグレッシブな山田に対して、シャイで無口で黙々とやるタイプの佐野。
ライガーにとって新日本プロレス道場での唯一の同期生が佐野だった。1983年3月16日に入門したのが佐野で、遅れること3ヵ月の同年6月21日に入門したのが素顔のライガー、山田恵一だった。
2人は同学年で、佐野は1965年2月2日生まれ、山田は1964年11月10日生まれ。デビューはともに、1984年3月3日の後楽園ホール大会。
ライガーが入門から現在に至るまでずっと「佐野さん」と呼んでいるのは、やはり入門日が3カ月先輩にあたるためだ。
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