さまざまな“外国人レスラー”に聞くインタビュー連載!『YOUはどうして新日本へ?』
第3回は、あのチェーズ・オーエンズが登場! ミラノコレクションATさんも絶賛する新日本マット最高の“クセ者”に初の直撃インタビュー!
当初はNWAからの刺客としてジュニア戦線で活躍していたチェーズ。その謎に包まれたキャリアがついに明らかに!
撮影/山本正二
聞き手/鈴木佑
通訳/小池瑞香
■クラスメイトにもプロレス好きなヤツは何人かいたけど、オレがズバぬけて詳しかったな。いわゆる“マニア上がり”のレスラーさ(ニヤリ)。
――今回はBULLET CLUB髄一の“クセモノ”であるオーエンズ選手に、レスラー半生を振り返りながらいろいろと伺えればと思います!
オーエンズ ああ、べつに構わないよ。ただし、俺の話がおもしろいのかどうかはわからないけどな……(淡々とした口調で)。
――普段のオーエンズ選手はわりと物静かな感じなんですね……。この企画は外国人選手の知られざる素顔に迫るものなんですが、オーエンズ選手を取り上げてほしいというファンからの声も多かったんですよ。
オーエンズ へえ~。そうなのかい?(少しうれしそうに)。まあ、なんでも聞いてくれよ。
――本題の前に、新日本プロレス中継の解説者であるミラノコレクションA.Tさんが、わりと早い段階からあなたのプロレスセンスを絶賛していたのはご存知でしたか?
オーエンズ ああ、その話は聞いたことはあるよ。彼は元プロレスラーなんだろ?プロレスをよく知っている人に、そういう評価をもらえるのは素直にうれしいよ。
――ミラノさんが以前「ボクの“オーエンズ愛”が本人に伝わってるのかどうか」と心配されてたので、耳に届いていてよかったです(笑)。ちなみにあなたが仕掛けるのに苦労していたパラダイスロックの元祖がミラノさんなんですよ。
オーエンズ ああ、あの技のオリジナルはSANADAじゃなかったのか? それは研究しがいがあるな。じゃあ、今度は彼の試合も探して観てみるよ。
――それから、あなたの“ザ・クラウン・ジュエル”(王冠の宝石)というニックネームの由来も教えてもらえますか?
オーエンズ そもそもオレがニュージャパンに上がる前に参戦していたインディー団体で、そこを運営していたレスラーが “ザ・クラウン・ジュエル”と名乗っていたんだ。
――オーエンズ選手の前にもう一人“ザ・クラウン・ジュエル”がいた、と。
オーエンズ イエス。そのレスラーが、オレがインディーでさまざまなベルトを巻いたのもあってか、「オマエが名乗ったほうがベターだな」っていうことで譲ってくれたってわけさ。そこから、自分自身も気に入って“ザ・クラウン・ジュエル”を使い続けているんだ。
――では、ここから半生を伺います。オーエンズ選手はアメリカのテネシー州ブリストル出身ですけど、プロレスとの初めて出会いは?
オーエンズ アレはまだ幼稚園とかそのくらいだから、90年代前半だね。もともとウチの両親がプロレス好きで、気づいたら自分も一緒に観るようになってた。当時、活躍していたのはハルク・ホーガン、“マッチョマン”ランディ・サベージ、ロード・ウォリアーズ……。
――当時のアメリカのレスラーたちは、わりとWWF(現WWE)とWCWを行ったり来たりという感じでしたよね。
オーエンズ イエス。オレはWWFとWCW、どっちも観てたよ。当時は、ご多分に漏れず、オレもハルカマニア(熱狂的なホーガンのファン)だった。その後、10代になってからはTNA(現インパクトレスリング)なんかもチェックするようになったんだ。まあ、学校のクラスメイトにもプロレス好きなヤツは何人かいたけど、オレがズバぬけて詳しかったな。いわゆる“マニア上がり”のレスラーさ(ニヤリ)。
――当時の友だちはあなたがレスラーになったことについて驚いているのでは?
オーエンズ たしかにプロレスラーを目指していた頃は「マジかよ? 無理だろ?」って言われてたよ。母親もレスラーになった当時は「プロレスなんて!」みたいな感じで、息子の行く末を心配してたもんさ。いまでこそ応援してくれてるけどね。
■リッキー・モートンはプロレスの師匠である同時に、歳は親子ほど離れているけどベストフレンドと言える存在だ
――ところで、オーエンズ選手がレスラーになる以前のスポーツ歴は?
オーエンズ 小さい頃から父親にレスリングを習ってた。というのもオレの父親は高校のレスリング部のコーチをやってたんだ。
――そうだったんですね。戦績的にはいかがでしたか?
オーエンズ 高校1年のときに地区の最多勝利選手になり、バージニア州の大会では3位になってる。それ以外にも野球とかアメフト、いろいろやったけど運動神経自体は悪くなかったと思うよ。
――その後、オーエンズ選手は学校に通いながら07年2月に弱冠16歳という年齢でプロレスデビューしているそうですが、この経緯は?
オーエンズ じつは、年上の友人がアメリカのインディー団体界隈のリングアナをやっていて、その繋がりでCWA(チャンピオンシップ・レスリング・アライアンス)のオーナーにつなげてもらったんだ。で、その団体でトレーニングをやらせてもらえることになったのさ。
――それからどのくらいでデビューを?
オーエンズ 半年くらい経って、地元のブリストルの小さな大会でデビューした。それからは学校に通いながら、レスリングの練習がないシーズンの週末にプロのリングに上がるようになった。その頃にオレはWWEのホール・オブフェイマー(殿堂入り選手)のリッキー・モートンに出会い、いろいろなことを教わったんだ。
――リッキー・モートンといえば、ロバート・ギブソンとのロックンロール・エクスプレスとして80年代から活躍した名レスラーじゃないですか!
オーエンズ そのとおりだ。どこかに遠征に行くときはリッキーと行動を共にするようになり、彼の家に泊まることもよくあった。オレにとってリッキーはプロレスの師匠である同時に、歳は親子ほど離れているけどベストフレンドと言える存在だね。
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