1月7日(月)新日本プロレス事務所でおこなわれた『WRESTLE KINGDOM 13 in 東京ドーム』大会の二夜明け会見後、菅林直樹会長より、「飯伏幸太選手に関して」、「飯塚高史選手の引退」、「KUSHIDA選手の契約満了」についての発表がされた。
※会見にはKUSHIDA選手が出席した。
■飯伏幸太選手に関して
「1月4日東京ドーム大会でのウィル・オスプレイ戦において負った脳震盪により次期シリーズを欠場いたします。また、復帰時期は未定となります」
■飯塚高史選手の引退
「飯塚高史選手がこの度、引退することとなりました。つきましては、2月21日後楽園ホール大会『NEW JAPAN ROAD』は『飯塚高史引退記念興行』として開催いたします」
■KUSHIDA選手の契約満了
「KUSHIDA選手が1月末を持って、契約満了となりました。」
■KUSHIDA選手のコメント
「よろしくお願いします。先ほど、菅林さんから発表がありました通り、1月末を持って新日本プロレスを退団します。この選択、決断に関しまして、木谷さん、そしてメイさん、菅林さん、本当に懐の深さ、器のデカさを感じまして、ボクの人生の選択に理解していただきました。本当にありがとうございました。
今後につきましては、海を渡りプロレスを隅から隅までもっともっと自分の目で見てみたいと。知ったかぶりとか、見て見ぬふりじゃなくて、この目で見ていきたいなと思っております。
8年という時間をこの新日本プロレスのリングで過ごしてきました。会社の人、最初にこの会社に来た時に、社員の人の数にビックリしました。この会社がボクをプロレスラーにさせてくれました。そして、何よりお客さんが温かい言葉も厳しい言葉もかけてくださることによって、いまこのプロレスラーKUSHIDAが形成されていると思っております。本当に感謝しております。ありがとうございました。
ホントにプロレスの興行にはいろんな方が携わっていて、リングスタッフの方々、お客さん、そして控室のレスラーたち、ライバルたち。ホントにいろんな要素が重なり合って、ボクを成長させてくれました。
今回の決断はホントに一つでは言い切れない、いろんな想いがあって決断しました。あとは質疑応答をしながら、自分の気持ちをお伝えできたらなと思います」
■質疑応答
――1.4東京ドームで、『BEST OF THE SUPER Jr.』の優勝決定戦が両国国技館でおこなわれることが発表されましたが、このことに関してはいかがですか?
KUSHIDA 今年、ようやく両国国技館で決勝戦ができるということを初めて聞いた時は、ホントに率直な感想としてメチャクチャ嬉しかったです。数年前、『SUPER Jr.』を優勝して、「明るい未来に連れて行きます」とボクは言いました。
この両国国技館になることだけが“明るい未来”だとは言いませんし、ボク一人がこのまま新日本プロレスで闘っていく立場であれば、「俺が両国まで連れてったんだぞ」と言うかもしれませんけども、いまの率直な気持ちを言わせていただくと、いまこれだけジュニアが上がってきたのはいろんな選手の頑張り、盛り上がり、ジュニアへの想い、これが形になって会社が動いた結果だと思います。それはホントに嬉しいです。
もう一つ思ったのは、「明るい未来に連れて行きます」と言った明るい未来に、言った張本人が舞台に立って優勝したいというのは、ボクの趣味じゃないなと。ただ、これで勘違いしてほしくないのは、これが理由で今回の決断に至ったというわけではないということです。両国国技館ということを聞いて、そう思いました。絶対大丈夫だと思います、新日本プロレスジュニアは。
――背中を押した最大の要因は? そして、海を渡るというのは具体的にどういうことですか?
KUSHIDA 1月末まで新日本プロレスの契約選手ですので、他の交渉ごととか、書類にサインをしたりとか、そういうのも一切ないんですけども、昔からの夢「世界で活躍したい」という希望を叶えられる活躍の場所で闘い続けたいなと思っております。
この決断に至った、背中を押されたというかですね、さっき昔からの夢と言いましたけども、やっと新日本プロレスに入ってプロレスでメシを十分に食えるようになって、安堵する自分がいて良きライバルにも恵まれ、たくさんのシングルマッチ、たくさんのタイトルマッチ、自分の中では一生懸命頑張りました。作品を残せたと思っております。
そんな数年前ですかね、この夢が完全にボクの中ではなくなってました。ですが、『SUPER Jr.』を2度優勝して、ベルトを何度か巻きまして、去年一年、ベルトがない状態で「さて、どうなるのかな?」と思った時に、ヤングライオンと一緒に試合をする機会だったり、試合前にプロレスを教えるというよりは一緒に学ぶ、自分が経験してきたプロレスを伝えるという意味で、そういう役割がちょっとずつ増えてきたと。
そんな中で、ムクムクと今年36(歳)になります。「プロレスラーとしての命はそう長くないな」ということを2年前ですかね、ベルトを2つ巻かせてもらった時期があります、ROHと新日本。で、日本とアメリカを行き来する中で。あとは仲間の怪我、「そんなに明日はないぞ」とキャリアを重ねて活躍する方もいらっしゃいますし、他のレスラーから比べちゃうと「甘いこと言ってんじゃねーぞ」と言われるかもしれませんけども、これは現実問題としてプロレスラーとして活躍できる人生の中の時間において、「すごく僅かだな」ということをすごく実感しまして、「夢がムクムクとまた湧き上がって来たな」というのが正直な本音です。
具体的に言うと去年、ロス道場へ、柴田さんのところにセミナーで自分から志願して行きまして、柴田さんが怪我をした状況もわかってるし、柴田さんの生き方とか含め、「プロレスを教えるってとても難しいことだな」とその時に思いました。
分厚い本を読むようにすごく難しいですよね。「隅から隅まで読みたいな」というたちなので、プロレスに対する探究心がそこで刺激されたなというのと、プロレスを次の世代に伝えるっていう部分で、「自分は何ができるんだろう?」って思ったんですよね。
柴田さんだったり、ライガーさんだったり、真壁さんだったり、身近には新日本プロレスの道場を次の世代に伝えていく雰囲気を、技術を、空気を伝えられる先輩がいる中で、「自分は何ができるんだろう?」って思った時に、自分のパーソナリティーというか、アイデンティティーっていうのは、やっぱりいろんな道場を経て新日本プロレスにたどり着いたところなんですよね。そこが自分を原点に帰らせてくれたロス道場だったんですけど、すごくあそこはポイントになりましたね。
※会見を後ろから見守っていた棚橋選手が、「新日本プロレスで楽しかったことと、新日本プロレスで辛かったこと。なにかあれば教えてください」と質問。
KUSHIDA (※目に涙を浮かべ)辛かったことはないです……。フゥ……(※言葉を震わせ)やっぱ、ボクは……ハァ、ダメだ。棚橋さん、ズルいですね。(※涙をぬぐい)やっぱり、ボクはプロレスが大好きなので、プロレスで生活できない、メシが食えないっていうのが一番辛いことなので、そこをゼロベースで考えると、こんなにも最高な環境で、こんなにも最高なお客さんがいて、ホントにプロレスラーとしてメチャクチャ充実していた8年間でした。
楽しかったことは、巡業バスに乗ると、座席の隣が棚橋さんなんですけど、そうやって仲間と……(※言葉につまりながらも)仲間と人生の旅をできることがすごく楽しかったです。自分でも何で涙が出てくるのかわからないですけど、自分で選んだ道ですので、後悔、悔いなどまったくないです。なんか矛盾してる涙なのでわからないですけど、とにかく楽しくて最高だったから、いま泣いてるんだと思います。ありがとうございます。
※棚橋選手からも「ありがとうございました」という声がかけられた。
――まだ1月末で契約はありますが、やり残していることはありますか?
KUSHIDA そうっすね。やり残したことがもしあるとするならば、辞めてはないんですけども、そもそも。退団するっていう決意には陥ってないと思うんですけど、1ヶ月新日本のレスラーとして1月31日までこのプロレスラーとしての命をまっとうするという意味では、この8年間、すごく影響を受けた先輩っていうのがいて。ライガーさん、棚橋さん、柴田さん、真壁さん、そしてタイガー服部さんですかね。
全員、プロレスをメチャクチャ、エンジョイしてるんですよね、そういう先輩方の姿を見て。あとはチケットを1枚売る大変さ、新しいプロレスファンを一人つくる大変さ、貪欲さ、丁寧さ。そういうところをボクは先輩方から学んで、「カッコいいな」「デカいな」「追いつきたいな」という風に思ってました。この挙げた先輩の中で唯一、肌を合わせてない先輩がいるとするならば、唯一、棚橋さんだけになります。まぁ、おこがましいですけれども、そういう風になります。
※最後に清野茂樹アナより、「8年間で一番印象に残っている試合は?」と質問。
KUSHIDA そうですねぇ……(2016年5月3日)福岡国際センターでIWGPジュニアヘビー級選手権をやった獣神サンダー・ライガー戦です。