ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンの“新しいパレハ”として新風を巻き起こしている鷹木信悟、そしてリーダー格の内藤哲也。
デビュー前、アニマル浜口ジムでも一緒だった“同級生”の二人が初対談! 今回も負けず嫌いな二人の青春時代、秘蔵トークが満載!
なんと取材終了後には、驚きの新事実も発覚…!?
撮影/山本正二
※以下、スペシャル対談の「序盤部分」をWEBで無料公開!
■内藤「鷹木のボディビルへの挑戦? もうね、そういうのがいちいちイラッとくるわけですよ(笑)」
――前回に引き続き、お二人の浜口ジム当時のエピソードを伺います。なんでも、鷹木選手が急にボディビルの大会に出場して、周囲を驚かせたことがあったとか?
鷹木 うん。あれは浜口会長から「ボディビルをやってみろ」という助言を頂いたこともあり、レスラーコースを一時期休んで肉体の基盤を作りたかったっていうのがあるね。
――浜口会長もボディビルディングの大会で結果を残されていますが、そういったススメがあったんですね。
鷹木 もちろん自分でも興味があったけど、べつにボディビルダーになりたいと考えていたわけではなくて、身体作りの基礎を身につけるのはどんな競技でも大事だと思ったんで。
――鷹木選手はボディビルの大会でも入賞を果たして、しっかり結果を残されたそうで。
鷹木 まあ、俺が出た部門は出場者も少なかったんで。ただ、25キロの減量苦を乗り越えたことは良い経験になったかな。
――内藤選手はそんな鷹木選手をどうご覧になっていましたか?
内藤 いや~。もうね、そういうのがいちいちイラッとくるわけですよ(笑)。
鷹木 なんでイラッとくるんだよ(笑)。
内藤 コッチはレスラーコースで毎日がんばってるのに、鷹木はボディビルで鍛えて、身体を真っ黒にこんがり焼いて……。で、ボディビルが終わったら、すぐレスラーコースに戻ってきて。相変わらず体力はあるし、スパーリングだってあいかわらず強いわけですよ(笑)。
鷹木 ハハハハ!
――お話を伺っていると、本当に内藤選手は鷹木選手を意識しまくってたんですね。
内藤 してましたよ! だから、内心は「コイツ、早くいなくなんねえかな……」って(笑)。
鷹木 いや~、ショックだなあ。俺、そんなに嫌われてたのか(苦笑)。まあ、ボディビルへの挑戦は「みんなと違うこともしないと、プロの世界で通用しないかな」と思ったからなんだけどね。そういえば、その時期もわざと道場生がいる時間にジムで筋トレをしてましたよ。「俺、辞めたわけじゃないから」って感じで。
――周囲に「辞めてないぞ」アピールをしていましたか。
鷹木 俺もボディビルだけやってプロレスに入ったって思われるのもイヤだから、ジムに所属していた最後の頃に、内藤ともう一人と3人でレスリングの大会にも出て。ボディビルのコンテストが10月くらいにあって、高田道場の大会は次の年の1月?
内藤 1月だったかな。
鷹木 だから、3カ月間、短期集中型でレスリングの大会に備えて、またボディビルで絞った身体を戻して。
――さすがですね。聞くところによると、内藤選手も浜口ジムで揉まれただけあって、スパーリングやグラウンドには自信があったようで。
内藤 まず体力面はサッカーをずっとやってたんでついていけたんですよ。で、プロレスもずっと観てたし、グラウンドのテクニックとかの飲み込みは早かったほうだと思います。そういう意味では、浜口ジムでは俺の先をいっている鷹木っていう目標がいたからこそ、がんばれていた部分はあったかもしれないですね。……「早く辞めろよ」とは思いつつも(笑)。
鷹木 当時のことで、俺が少し覚えているのが、浜口ジムのスパーリングの雰囲気は殺伐としているのに、内藤とやるときは自分でもどこかで楽しみにしていたというか、どんなことをやってくるのか、コッチも様子を見ていた部分があって。
――ああ、あえて内藤さんの出方をうかがっていたと。
鷹木 そうやっていくうちに、徐々にコッチの仕掛けが効かなくなってきた。そのへんで、だんだん焦りが出てきたというか。だから、スパーリングで強くなっていくスピードは、俺よりも確実に内藤のほうが早かったと思いますけどね。
内藤 フフフフ。
■鷹木「内藤は俺のことが嫌いだったかもしれないけど、俺は内藤のことは嫌いじゃなかったから!(笑)」
――ちなみに、いろいろなところで話されますけど、BUSHI選手も内藤選手の紹介で浜口ジムに通いだしたんですよね。
内藤 そうです。俺のバイト先のコンビニまで訪ねてきたBUSHIを、浜口ジムまで連れていって。
鷹木 えっ、コンビニで?
内藤 そう。アルバイト中の俺のところに、セカンドバッグを小脇に抱えたBUSHIが「内藤さんですよね? ボクもプロレスラーになりたいんですけど……」って訪ねて来たんだよ。
鷹木 へえ! そんなことがあったんだ。もともと知り合いだったの?
内藤 BUSHIの一個上の先輩が、俺の高校の同級生で。BUSHIに「レスラーになりたいなら、内藤っていうレスラー志望の知り合いがあのコンビニで働いてるから、話でも聞きにいけば?」って教えたらしくて。……あれ、鷹木は浜口ジムでBUSHIとカブッてるっけ?
鷹木 カブッてるよ。俺が闘龍門に行くちょっと前に入ってきたんじゃないかな。
内藤 そうか。BUSHIは俺たちの一個下で、俺らが20歳か21歳くらいのときに入ってきたんですよ。
鷹木 BUSHIも最初はレスラーコースじゃなかったのか、浜口ジムでスパーリングをやった記憶はないけど、印象には強く残ってるね。当時から陽気な感じで、誰とでもフレンドリーなイメージがあって。
――内藤選手もよくおっしゃってますが、BUSHI選手は昔からコミュニケーション能力が高かったと。
鷹木 あと、じつはBUSHIもドラゴンゲートに一時期いたんだよね。
内藤 ああ、そうだそうだ。
――BUSHI選手は全日本プロレスでデビューする前に、ドラゴンゲートの練習生だった時期があるそうですね。
鷹木 ウン。たしか半年くらいいたと思うけど、当時はコッチも巡業で忙しかったから、それほど関わりはなかったかな。
内藤 鷹木が浜口ジムを卒業して、そのあとBUSHIは2年くらい浜口ジムにいたんですよ。で、本人から「闘龍門に行く」っていうのはチラッと聞いてました。やっぱり、BUSHIとは地元が近いこともあったし、ちょいちょい話してはいたんですよ。鷹木とは違って(笑)。
――今日は当時の二人の関係性をやけに強調しますね(笑)。
鷹木 いや~。ただね、これだけは言っておきたいんだけど、内藤は俺のことが嫌いだったかもしれないけど、俺は内藤のことは嫌いじゃなかったから!(笑)
内藤 ハハハハ!
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