新日本のプロレスラーたちの子供のころから若手時代、そして現在に至るまでの知られざる“めしの光景”を紹介していく「レスラーめし」新日本スマホ出張版。今回は矢野通選手編の後半です。
前回は新日本プロレス入団までの奔放すぎる日大レスリング時代までうかがいました。いま回は闘魂クラブ入団からの新日本プロレス入団から現在までの話、そして自ら経営するスポーツバー「EBRIETAS(エーブリエタース)」の話もたっぷりうかがいます。
聞き手/大坪ケムタ
撮影/山本正二
協力/『メシ通』編集部
※以下、インタビューの序盤を無料公開!
■俺らの若手時代は、ちゃんこというか“肉そのもの”が良かった
--やっと新日本プロレス入団の話にたどりつきましたが、ちゃんこ生活も大学時代に経験してるから、矢野選手にとってはそんな苦ではなさそうですね。
矢野「それはぜんぜん大丈夫。難しいことはなかったね。小林さん(小林邦昭。現在の新日本寮管理人)もいるんで、ちゃんこの苦労ってのはいまの選手もないんじゃないの?」
--矢野選手の頃といまの若手のちゃんこはそんな変わらないと。
矢野「あ~、でもな……俺らのころはちゃんこにかける金額が結構デカかったんだよ、いまに比べて。ちゃんこというか肉そのものが良かった」
--矢野選手の時代の方が、いまよりいい肉だったと。
矢野「肉屋に『何枚持ってきて』っていうと、また店も高い肉持ってくるんだよ! それで牛のバター焼きとかやってさ。いま考えると、団体の景気に対して肉がバブル状態だった(笑)。いまは適正な料金になったんじゃねえかな」
--新日本のV字回復の理由には、ちゃんこの肉が普通の値段になったのも少しあるんですかね(笑)。あと若手のころは付き人も経験されたと思いますが。
矢野「中西学とか佐々木健介とかやってたよ。中西は食にこだわりがあるから、いろんなとこに連れてってもらったな。その時は『チーム中西』ってのがあって、垣原賢人とか田中稔と昼食バイキングとか食いに行くんだよ。試合がある日とか、そんな食えないのに『食え食え!遠慮するな!』って言ってくるんだよなあ。『遠慮じゃないんだけど……』って毎回思ってたよ(苦笑)。もうちょっと後輩の空気読んでほしかったな!」
--めしの席でも押しが強すぎる中西選手(笑)。あと佐々木健介さんはよく後輩はシゴかれて大変だったと聞きますけど……。
矢野「俺はそんなことなかったよ?『あたりまえのように厳しい』ってだけで。厳しいけどきっぷも良かったしね。『牛丼買ってこい!』って言われて一万円渡されて、おつり渡そうとしたら『いいよ、なんか食え』って言ってくれたしね。あれは何より嬉しい!」
--練習の厳しさもチャラになるくらいに(笑)。
矢野「そんなだから『今日は牛丼食わないですか!』って毎日聞きに行きたかったよね(笑)。『ここの吉野家美味いらしいですよ!』とかさ」
■若手時代、竹村と棚橋と俺で、使命感に満ちて毎日のように飲みに行ってた時期はあったな
そしてもちろん聞きたいのはプロレスラーになってからのお酒の話。大学で学んだ酒の席でのふるまいと酒豪っぷりは、新日本プロレスでも通用したのでしょうか?
--あとレスラーになってからの酒の話もうかがいたいんですが。
矢野「上の人たちにはよく酒の席連れてってもらったな。他の若手に比べるとスイスイ飲むからね。気持ちよく飲んで面白いってんで。まあ、先輩からすると“処理班”だよな。スポンサーとかすると気持ちよく飲んでほしいし、こいつ連れていけば大丈夫っていう。けっこう偉い人に連れてかれることも多くてさ、長州さん(長州力)とか坂口さん(坂口征二)、あと一度猪木さん(アントニオ猪木)にも連れてってもらったことあるよ」
--おお! 猪木さんとはやっぱり豪華な席でした?
矢野「だったねえ。20万くらいするワインをグラス半分くらい置き去りにしていったから、後ろからついていくふりしてガッと飲んで立ち去ったね(笑)。あんまり味わかんなかったのが正直な意見だけど」
--まあレジェンドと一緒だと落ち着いて飲めないのが正直なところなんでしょうね。若手の頃は誰が飲み仲間だったんですか。
矢野「ある時期、寮にいたのがおれと竹村豪氏、あと棚橋弘至で、3ヶ月くらい3人しかいない時期があったんだよな。それで用がなくても使命感に満ちて毎日のように飲みに行ってた時期はあったな」
--矢野選手が棚橋選手と! 後のことを思うと意外な感じですけど。
矢野「アイツは酒はぜんぜん強くないけどね!」
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