新日本のプロレスラーたちの子どものころから若手時代、そして現在に至るまでの知られざる“めしの光景”を紹介していく「レスラーめし」新日本スマホ出張版。
第4回に登場していただくのはいかなるレスラーもからかってしまう頭脳派ヒールにして、飲食店経営という顔も持つレスラー兼実業家・矢野通選手の登場です。
聞き手/大坪ケムタ
撮影/山本正二
協力/『メシ通』編集部
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※以下、インタビューの序盤を無料公開!
7歳から父の指導のもとでアマレスをはじめ、全国高校選抜レスリング選手権・全日本学生選手権・世界学生選手権日本予選97kg級・国体など数多くの大会で優勝を重ねるトップアスリートに成長。そんなエリートが新日本プロレスに入団して3年目に本性をさらけ出し、それ以降は反体制ユニットで活躍し続ける異端児にして、どこか憎めない通称“YTR”。
また2012年に後楽園ホールも近いJR水道橋駅そばにスポーツバー『EBRIETAS(エーブリエタース)』をオープン。巡業時以外の多くは矢野選手もお店に顔を出していて、気づけばお客さんの背後に立ち急所攻撃を……ではなく優しく声をかける接客を見せています。
今回はその『EBRIETAS』にうかがって矢野選手の食、そしてお店のこだわりについて語ってもらいました。まずは「父親にアマレス重量級選手にするべく育てられた」という子どものころの話から。
■「ハッキリ言えば、うちの母親は料理が下手くそなんだよな(笑)」
--自伝『絶対、読んでもためにならない本』(ベースボール・マガジン社)で子どものころ父親から受けたアマレス教育については自ら書かれてますけど、食に関してお父さんにこだわりはあったんですか?
矢野「もう子どものころから『身体デカくするためにとにかく食え!牛乳飲め!』だよ。ご飯とかどんぶりめしが普通だったね。デカくしたいっていうオヤジの目的も『日本人で少ない重量級選手にして、軽く勝たせる』っていう動機が純なんだか不純なんだかわからないやつなんだけどさ」
--大きい子を産むために身長の高い奥さんと結婚したというお父さんですね(笑)。お母さんの思い出の料理ってあります?
矢野「ハッキリ言えば、うちの母親は料理が下手くそなんだよな(笑)。というのもけっこう食べれないものが母親にあったんだよ、肉とか」
--アスリートに育てたい家の母親が“肉NG”はつらいですね。
矢野「だから肉を焼くにしても美味いかマズいか勘でしか焼けないんだよね、自分で味見しないんで。カレーとか作る時も、オヤジは『豚肉入れろ』っていうけど、母親はシーフードカレーしか食べられない。だから二種類作る。そうするとシーフードの方が美味そうに見えるんだよな、肉入ってないけど」
--味見してるだけ、「ちゃんと美味いだろうな」と思いますね。
矢野「ただ、母親は料理にこだわりもないから、自分でスパイス入れたりとか工夫もなくて、いちばん無難な味なんだよな~。ハズレもないけどフラットな味。だったら母親が作るより自分が作った方が好きなもん食えるな!って思って、自分でラーメンとかカレーとか作って食べてたね」
--やっぱり量は食べてましたか。
矢野「そうだね。学生のころは昼は弁当食って学食食って、練習終わったら学校の前のパン屋でサンドイッチとハンバーガー食って、それで家帰って夜飯食う、みたいな。一日5食くらい食ってたんじゃない? でも中高時代のレスリング部はみんなそんな感じだよ」
■江古田の『芳々軒』の天津たけのこチャーハンってのが、もうレスリング部が爆ハマりしてさあ!
高校時代にレスリングですばらしい成績を残し、ロス五輪金メダリストの富山英明監督率いる日本大学レスリング部に入部するために日大に進学した矢野青年。自宅暮らしのころは外食などあまりしなかったそうですが、大学生活をきっかけに食生活もガラリと変わります。
--高校卒業後は日本大学レスリング部で活躍されますが、寮生活で食事当番なんかもしてたんですよね。
矢野「そうそう。今は変わっちゃったんだけど、俺らの時は伝統で一年生に一週間に一回朝食の料理当番が回ってくるんだよね。それでひとりで30人分くらい作らなきゃいけない」
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