10.8両国国技館大会で衝撃のデビューを飾ったロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンの新しいパレハ、こと鷹木信悟選手。
『SUPER Jr. TAG LEAGUE 2018』にBUSHI選手とのコンビで本格参戦をはたしている鷹木選手に、新日本マット上陸の真意を直撃!
※このインタビューはシリーズ開幕前に収録。
撮影/山本正二
※以下、インタビューの「序盤部分」をWEBで無料公開!
■あのずぼらの極みみたいな男が連絡してきたわけだから、それ相当の思いがあったんだろうなって。
──さて、鷹木選手。今回、ロス・インゴの新しいパレハとして新日本マットに電撃的に登場したわけですけど、まず周囲の反響はどうですか?
鷹木 もしかしたら予想していた人間もいたかもしれないけど、俺の周囲の大多数は驚いていた感じかな。
──鷹木選手は9月にフリー宣言をされて、その時には「世界中のプロレスラーと闘いたい」というコメントもありました。ただ、先日の東京スポーツでは今回の件は「内藤選手から声がかかった」と書かれていましたけど。
鷹木 ウン。最初は、内藤から連絡が来て。でも、内藤から連絡が来るっていうことは、ほぼ初めてじゃないかな? だいたいこっちから連絡することがあっても、アイツはLINEで10回ぐらいして1回やっと返ってくるぐらいだから。既読がついてもほとんど返ってこない(苦笑)。
──内藤選手はいわゆるずぼらな性格というか(笑)。逆に、そんな内藤選手から連絡が来たということは、「ただごとじゃないな」みたいな予感はありましたか。
鷹木 たしかに、あのずぼらの極みみたいな男がわざわざ連絡してきたわけだから、それ相当の思いがあったんだろうなって。俺自身もフリーになるっていうのは、一歩踏み出さなきゃいけないっていうのがあったから。内藤が4月ぐらいに「一歩踏み出す勇気」っていう発言をした時も、コミュニケーションを取っていなかったんだけど実は胸に響いていたから。
──その頃は新日本プロレスに上がることは意識されていなかったかもしれないですけど、胸には響いていたということですね。
鷹木 現在のプロレス界において内藤の存在ってもの凄く影響力があるわけで、俺自身も内藤のTwitterもフォローしていたから、彼の発信することや、雑誌やスポーツ紙での言動も常に見ていたから。彼のほうが名前もあるだろうけど、俺も彼とは同級で一緒に汗を流した時期もあるから、彼を意識するところはかなりあったし。
──それはプロレス界に入る前にアニマル浜口道場で一緒に切磋琢磨したという経験が大きいですか?
鷹木 ウン。この業界に入る前にライバル意識を抱いた人間が内藤だったから。
■マスクを取るか取らないかのあの瞬間、あのときは……、相当緊張した。
──なるほど。9月にフリー宣言された時には、新日本というのは頭の中にあったんでしょうか? それとも内藤さんの誘いがきっかけになった?
鷹木 あの~、これは無意識的なものかもしれないけど、「上がったことのないリングに上がってみたい」っていう気持ちはあった。その筆頭に新日本プロレスという名前はもちろんあったけど、やっぱり敷居が高くて、フリーの選手がさっと上がれるリングではないっていうイメージもあったから。「なかなかチャンスはないだろうな」と。ただ、それは諦めに近い状態ではなくて、「可能性があるならいつでも出るぞ!」っていう気構えは持っていたけど。それはフリーになる前から意識していた部分もあるし。
──そして電撃的な形で新日本の両国という舞台に実際に立ったわけですけど、あの空間はいかがでした?
鷹木 やっぱり、マスクを取るか取らないかのあの瞬間、あのときは……、相当緊張した。
──お客さんの反応はさすがに気になったと。
鷹木 いや~。内藤にえらいハードルを上げられてたから(笑)。
──事前から煽りに煽ってましたからね。登場前にもパレハをミラノさんだと言い出してみたり。
鷹木 内藤にドッキリをやられたんじゃないかと思うぐらい盛り上げてたから(笑)。
──ただ、マスクを抜いだ瞬間は凄い大歓声でした。
鷹木 あのマスクを取った時にシーンとして、「誰?」みたいな感じになるか、ある程度、予想している人からは「鷹木なんてノーだよ!」っていう雰囲気になるかなんて考えたりもしたんだけど。予想に反して地鳴りのような反応があったから。あれだけの観衆の前に立つのは俺自身も8年ぶりぐらいだったし、あの歓声でスイッチが入った。「やるしかないぞ!」っていう感じで。
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