7月4日(水)文藝春秋西館地下ホールにて行われた、「文春トークライブ 第25回『人生で必要な知恵はすべてプロレスのリングで学んだ』」に棚橋弘至選手が出演。
このイベントは、人生で最初に志望した職業がプロレスライターという水道橋博士さん、立命館大学でプロレス同好会RWFを旗揚げしながらも、芸人の道に進んだユリオカ超特Qさん、そして、プロレスラーに憧れてRWFに入るという道のりを経て新日本プロレスに入門し、団体のV字復活の先頭に立った棚橋選手という、プロレスに魅せられた男たちが語る“プロレストークライブ”。
この日のチケットは完売御礼で、会場には約250名のお客様が集まった。
まずは、ユリオカ超特Qさん、水道橋博士が入場曲に合わせてステージに登場。
そして、ユリオカさんのコールで入場曲「LOVE&ENERGY」が流れると、拍手と大歓声の中、棚橋選手が登場した。
トークライブは、ユリオカさんと棚橋選手の学生時代についての話からスタートし、時代はさかのぼり、小学校時代の夢の話へ。
棚橋選手は、「僕はプロ野球選手になりたかったんです。岐阜県出身なので、中日ドラゴンズに憧れて。高校生になる頃には、中日ドラゴンズの関係者にスカウトされたくて、あえて人通りの多いところでずっと素振りをしていました(笑)」と話し、会場の笑いを誘った。
そして、トークに花が咲き、「プロレスラーを志したきっかけ」「学生時代憧れていたプロレスラーは?」「当時どのようなトレーニングをしていた?」「どのような大学生活を過ごしていたか」「ヤングライオン時代の付き人エピソードについて」「道場での生活について」等、様々なテーマに話が及んだ。
大学時代は、少しでも身体を大きくするために日々トレーニングに励み、仕送りは全て食費に使っていたという棚橋選手。自慢の筋肉を見せるために蛍光カラーのタンクトップを着て学内を歩き、あえて人が多いところでプロテインをシェイクして飲んでいたという珍エピソードも…!
続いての話題は、棚橋選手が主演をつとめる9月21日(金)公開の映画「パパはわるものチャンピオン」の話へ。
ユリオカさんに「覚えるセリフもすごく多かったと思いますが、やってみてどうでしたか?」と聞かれると、「演技の正解がないから、OKと言われても何がOKなのか分からなかったんですよ。でも、監督の指導だったり、実際に撮影を進めていく中でだんだん感覚がつかめてきました。」と答えた。
そして自分の演技の出来については、「まあまあですね。まだ伸びしろはあります!!」と話し、会場からは大きな暖かい拍手が起こった。
イベントも終盤に差し掛かり、本日のトークライブのテーマでもある、「プロレスのリングで学んだ人生の知恵」の話に。
長いブーイング時代を乗り越えて不動の人気を獲得した棚橋選手は、「僕はプロレスから、『物事を正面から受け止めて次に進む』ということを学びました。ブーイングを受けていた時代もそうだし、プロレスでいう、『一回技を受け止めて、そこからまた立ち上がるということ。』人生においてのこれを学びましたね」と答えた。
最後には、お客様からの大きな声援に答え、シャツを脱ぎ自慢の肉体を披露した棚橋選手。
「愛してま~す!!」コールで、大盛況のうちイベントを締めくくった。