日本とアメリカのマット界を股にかけて活躍し、新日本プロレスでも数々の名勝負を残した名プロレスラー・マサ斎藤さんが、7月14日(土)午前1時5分に死去した。享年75歳。
マサ斎藤さんは、現役引退後の1999年頃から発症したパーキンソン病との闘病生活を続けていた。
1964年の東京オリンピックにレスリング代表として出場したマサ斎藤さんは、1965年には日本プロレスに入門。アメリカでは60年代から80年代にかけて、NWA、AWA、WWF(当時)など、全米のメジャー団体でトップヒールとして活躍した。
新日本プロレスのリングでは、長州力の維新軍の参謀として参戦。1987年10月4日には、ライバルのアントニオ猪木と巌流島でノーピープルマッチを行い、2時間5分14秒という伝説の死闘を繰り広げた。
90年代には、『ワールドプロレスリング』(テレビ朝日)の解説も担当し、独特で自由奔放な解説ぶりが人気を集めた。
謹んで、マサ斎藤さんのご冥福をお祈り致します。
新日本プロレスリング株式会社
※新日本プロレスでは、7月19日(木)後楽園ホール大会の試合前に、マサ斎藤さんの10カウントゴングセレモニーを行います。