Circuit2008 NEW JAPAN ISM
- 日時
- 2008年1月27日(日) 18:00開場 18:30開始
- 会場
- 東京・後楽園ホール
- 観衆
- 2005
-
第1試合 20分1本勝負
ブラック・キャットさん追悼 メモリアル6人タッグマッチレフェリー|マーティー浅見
MATCH REPORT
故ブラック・キャットさんの追悼メモリアルマッチとして行なわれたオープニングマッチ。この試合に出場した6選手は、キャットさんのTシャツを着用して入場した(中西組の3人は黄色、飯塚組の3人は白色)。
ゴング前、平澤は「中西、来い!」と中西を挑発。これで中西と平澤が先発に。平澤は突っ込んできた中西を担ぎ上げてコーナーへ押し込み、エルボー連打、サイドスープレックス。しかし、ショルダータックル合戦で打ち負け、サッカーボールキック、逆水平チョップを見舞われる。
こ れを機に平澤は中西組の3人から厳しい攻めをされ、リング上で孤立。だが、ブレーンバスターを狙った石狩を逆に投げ飛ばし、ようやく自軍コーナーへ生還す る。タッチを受けた飯塚は、石狩にショルダータックル、エルボードロップ。さらにキャットさんの得意技だったセントーンもお見舞いする。
ここから 飯塚組は、石狩を的に絞る。苦戦を強いられる石狩だったが、カウンターのレッグラリアットを飯塚にヒットさせ、タイガーにタッチ。タイガーは飯塚にミサイ ルキック、トペスイシーダ。さらにダイビングヘッドバットでダイブするが、飯塚はこれを回避。裕次郎、平澤が中西と石狩を分断する中、スリーパーホールド でタイガーにギブアップを迫るが、中西にカットされてしまう。
裕次郎は平澤と共に、滞空式ダブルブレーンバスターでタイガーを投げ飛ばす。しかし、タイガーは裕次郎のスピアーを平澤に誤爆させ、中西とスイッチする。
中 西は、飯塚組全員に野人ハンマーを食らわせ、平澤にショートレンジラリアット。しかし、平澤もカウンターのスパインバスターで応戦。そして、飯塚のブリ ザードスープレックス、裕次郎のダイビングヘッドバットから、ジャーマンスープレックスホイップで中西をカバーするが、カウントは惜しくも2。
続けて平澤は、串刺し攻撃を狙うが、中西はカウンターのラリアットでこれを迎撃。そして、アルゼンチンバックブリーカーで平澤を一気に仕留めた。
試合後、勝利した中西へキャットさんの妻である幸枝さん、長男の亨さんが花束を贈呈。そして、中西は亨さんへ新日本のジャージを贈った。最後はキャットさんのテーマ曲が流れる中で、皆が記念撮影に収まった。
COMMENT
タイガー「最初の絡みで平澤と中西さんがやったけど、平澤があ れだけ向かっていくのは、それだけの何かがあるでしょうから。見せてもらったんですけど、まだまだ。中西さんの体見てくださいよ。これに食いついていくと いうのは、相当ですよ。アイツもそれくらいの覚悟があるんでしょうから。僕は今日、中西さんと組ませてもらって、物凄く面白いというか。やはり中西さんも 凄く知名度があるし、自分の名前というのも人は変われどタイガーマスクという名前は大きいと思うから。ドンドン組んでプロレスを素晴らしく、激しく、楽し く、見てホントに分かりやすいプロレスをやっていきたいなと」
中西「石狩君、今日はどうよ?!」
石狩「今日は中西さん、タイガーさんと組ませてもらって、ブラック・キャットさんの追悼試合に出させて頂いて本当に光栄に思っています。ブラック・キャットさんの生前の活躍に恥じないような試合をしようと思って今日は頑張りました。これからもお願いします」
中西「ハイ、お願いします」
タイガー「今日はネコさんの追悼ですからね」
中 西「俺はネコさんから受け継いできた、感じてきた。そういうものを、新日魂を受け継いできた。それを平澤に対して、俺なりの指導をする。リングの上でして やる。2月17日(両国大会の試合後)、平澤を連れてZERO1-MAX(後楽園大会)に乗り込んでやる! 平澤、これが勉強やと思うなよ。闘いやぞ、先陣切って行け! お前、“チーム中西”の切り込み隊長や。そのくらいの気持ちで行け。遊びの気持ちで来たら困んぞ。ただでさえ、両国で試合があんのや。まぁ、そんなもんは 関係ないわ。大森のクソガキに一泡吹かせてやれ。俺がやる前にお前がやってもええんやぞ。ええか、2月17日は新日本の大事な試合や。せやけど、俺と ZERO1との試合の事も忘れんといてくれよ。以上です」
裕次郎「天国にいるネコさん、ホントにありがとう」
飯塚「今日はネコさんを偲んで、感謝の気持ちを込めて試合した。ネコさんも天国で応援してくれていると思うし、今日はこういう試合が出来て良かった」
裕次郎「また来年もネコさんのために試合をします」
平 澤「僕とネコさんは切っても切れないですよ。ちょうど2年前の1月28日、僕がデビューした日に亡くなられた。僕のプロレス人生の中では切っても切れない ですよ。こうやってメモリアルな試合に参加できて、ありがとうございましたという気持ちです。でもこれと試合は別だから。2008年は変わる!」