• 2016.4.25
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【WD16】“GK”金沢氏が特別寄稿!噂の男“SANADA”とは何者なのか?「5.3福岡で100パーセントのSANADAが発揮されれば、観客は息をのむだろう」
4月10日両国国技館大会で、試合に突如乱入。電撃的なロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン入りをはたした“話題の男”SANADA。

真田聖也として全日本プロレスでデビュー、キャリアを積んできたSANADAの新日本マットに至るまでの数奇な運命を“GK”金沢克彦氏が徹底解説!

■レスリングどんたく2016
5月3日(火)17:00〜福岡・福岡国際センター
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※ロイヤルシートは完売しました。
※1Fアリーナ、2階指定席は残り僅か。

  
■SANADAが新日本をまたぎ、L・I・Jに合流したのは、デスティ—ノ(運命)以外のなにものでもない

 
 4.10両国国技館のメインイベント。IWGPヘビー級選手権、オカダ・カズチカvs内藤哲也戦が佳境に入った25分過ぎ、ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン(以下、L・I・J)第3のパレハ(相棒)がゆったりとリングインしてきた。
 
 レフェリー、ダウンの無法状態。背後からオカダに忍び寄ったドクロマスクの男は、RKOからラウンディング・ボディプレス(ムーンサルトプレス)を浴びせる。マスクを脱いだ男の正体は、真田聖也(以下、SANADA)だった。
 
 私は放送席で『ワールドプロレスリング』の解説についていたのだが、一瞬だれなのかわからなかった。私でもピンと来ないのだから、観客も唖然とするばかり。野上慎平アナウンサーの「サナダだー!!」の絶叫で我に返った感じである。それほど風貌が変わっていた。
 
つい、先だってまでフリ—としてさまざまな団体に上がっていたSANADAは、端正なイケ面系しょうゆ(塩)顔に加え、ヘアースタイルもいま流行りのちょっと無造作で長めのネオ七三分けだった。
 
 いわゆる、好青年の風貌。それがサイドを刈り上げたモヒカン風に髪型が変わっていた。ヘアースタイルを変えただけで、ここまでヒ—ルっぽい顔つきになるものなのか? いやいや、真田の覚悟の気持ちがその表情に宿っていたからなのかもしれない。覚悟を決めて、新日本マットを初めてまたいだわけである。
 
 まさか、こんなに事が早く動くとは思わなかった。真田聖也=SANADA——。内藤やBUSHIが口にしているように、彼が新日本をまたぎ、L・I・Jに合流したのは、デスティ—ノ(運命)以外のなにものでもない。彼は、来るべき場所にやって来たわけだし、L・I・J入りも必然だし、しかも最高に旬なシチュエ—ションで登場したのである。
 
 では、新日本ファンにはまだ馴染みの薄い存在といえるSANADAが、素質と素材を併せ持ったいかに類まれなレスラーであるのか、過去のレスラー人生においてL・I・Jの3人とどう運命が絡み合ってきたのか、そこを記してみたい。
 
■SANADAとBUSHIは同じ釜の飯を食った同期であり、その後、戦場が別れても連絡を取り合う仲となった

 
 すべての始まりは、2005年11月、後楽園ホールで行なわれた新日本プロレス公開入門テストだった。その日、ゼッケン1を胸に付けて臨んだ内藤だけが合格したテストに、ゼッケン2を付けたSANADAの姿もあった。まだ17歳のSANADAには少年の面影が残っていた。
 
 当時の公開入門テストは動画として残されているが、やはりアニマル浜口ジムで約5年間鍛え抜かれてきた23歳の内藤は、別格の身体能力の高さをアピールした。
 
「闘魂三銃士のファンだった」という当時のSANADAは次のチャンスを武藤敬司率いる全日本プロレスに求めた。翌2006年1月、『武藤塾』にて開催された第1回公開オ—デションに参加して合格。プロレスラーとしての道が開けた。ちなみに、そのテストに合格した若者はSANADAを含めて4人いた。
 
 BUSHI、KAI、大和ヒロシという今をときめくメンバー。翌2007年3月、SANADAは中嶋勝彦&T28(てつや)とのタッグマッチでプロデビュー。7月には、T28からシングル初勝利をあげた。このT28がのちにマスクマンとなるBUSHIである。SANADAとBUSHIは同じ釜の飯を食った同期であり、その後、戦場が別れても連絡を取り合う仲となった。
 
 入門からデビューまでの1年余、まだ育ちざかりだったSANADAは身長が182㎝まで伸びたことで、他の同期のメンバーとは一線を画しヘビー級でやっていくことを決意している。
 
■当時の永田裕志は言った「運動神経の良さでいえば棚橋より上ですよ。末恐ろしいというか、足りないものはキャリアだけ」

 

 
 出世は早かった。というより、運動神経抜群のSANADAを将来のスター候補生と武藤が見ていたのだ。デビュー1年8カ月で『世界最強タッグリーグ戦』に征矢学とのコンビで初出場の大抜擢。翌2009年4月開催の『チャンピオン・カーニバル』(以下、C・カーニバル)にも初出場(※結果は全敗)している。
 
 そして、SANADAの存在をプロレス界全体に知らしめたのが、2年後、2011年の『C・カーニバル』だった。この年の春の祭典は、まさに外敵天国だった。Aブロックに新日本を代表して永田裕志がエントリーし、BブロックにはC・カーニバル3連覇を賭けたフリ—の鈴木みのる、ノアから秋山準がエントリーした。
 
 優勝戦線は最後まで混沌とした。まず、大森隆男を破った永田がAブロック首位となりファイナル進出を決めた。つづく公式戦最終試合が鈴木vsSANADA戦。この時点でだれもが頭に描いていたことはひとつ。全日本の春の本場所で、永田vs鈴木の因縁カードが実現する。しかも、全日本本隊選手のいない日本人の外敵同士による優勝戦。過去、30年の歴史と伝統を紡いできたトーナメントで初めて起こる異常事態となるだろう。
 
 ところが、真田が大番狂わせをやってのけた。鈴木の激しすぎる張り手とサブミッションに苦悶しながら、粘りに粘り、なんと最後は投げっ放しドラゴンスープレックスを決めて、大逆転のフォール勝ち。この金星ゲットでBブロックのトップに立ち、15分後に行なわれる優勝決定戦(永田戦)へ駒を進めた。
 
 あのときのバックステージの混乱ぶりも忘れられない。優勝戦に備えていた永田が、「これ、ちょっと大変なことになったね!」と言いながら忙しなく歩き回っていた。
 
 それはそうだろう。永田の頭の中にも、鈴木戦しかなかった。ひさしぶりの鈴木にどう対していくか? それでいっぱいだったと思うのだ。優勝戦のリング。結果的に、SANADAは永田のバックドロップホールドに屈したが、全日本としての意地は死守した。
 
 優勝インタビュー終了後、永田を個人取材してみた。
「ハッキリ言ってね、運動神経の良さでいえば棚橋より上ですよ。末恐ろしいというか、足りないものはキャリアだけ。彼は内藤と一緒にウチの入門テスト受けてたらしいですね。獲っておけばよかったなあって(笑)。そこを一番に感じましたね」
 
 雑談程度なのに、慎重に言葉を連ねた永田。「運動神経は棚橋より上ですね」という重い言葉が私の耳底に今でも焼き付いている。
 
■武藤はSANADAを自分の後継者と見ていたし、棚橋は内藤こそ自分を継ぐ男だと感じていた

 

 
 このC・カーニバル準優勝によって、SANADAは一躍ブレークし、プロレス界注目の男となった。7・31愛知県体育館では当時、三冠ヘビー級王者だった諏訪魔に初挑戦し、敗れはしたものの大健闘を見せている。
 
 また、これは余談になるが、それ以前にもSANADAはファン、マスコミの度肝を抜くようなことをやってのけた。2010年2月のこと。サプリメントでお馴染みのグリコ・パワープロダクション主催の興行が後楽園ホールで行なわれた。参加したのは、新日本&全日本を中心に活動している選手たち。
 
 この大会の目玉企画として、5選手によるベンチプレスコンテストが開催され、ホールは大いに盛り上がった。エントリーしたのは、新日本から中西学、平澤光秀、全日本から近藤修司、SANADA、中之上靖文。どう考えても優勝の本命は“野人"中西か“最凶キングコング"近藤と思われていた。
 
 決勝ステージに挑んだのは、予想通り中西、近藤、そして伏兵のSANADA。まず、190㎏で中西が無念の脱落。この後、近藤vsSANADAは一歩を退かず、何とともに220㎏をクリア。優勝は、225㎏を挙げた近藤に決まったが、まだ細身だったSANADAのパワーと体幹の強さを知ることになった関係者は、驚きを隠せなかった。
 
 さて、同時期、新日本マットでもブレーク寸前の男が躍動していた。内藤哲也である。
2010年、エース棚橋弘至と4度の一騎打ち。結果は、1勝2敗1分けに終わったものの、エースと互角に渡り合う内藤に、ファン、マスコミは新日本の未来を見た。翌2011年の『G1 CLIMAX』(以下、G1)では、最終戦でIWGP王者・棚橋を破ってファイナル進出。優勝決定戦では中邑真輔に苦杯を舐めたものの、同年11月、内藤は棚橋の保持するIWGPヘビー級選手権に初挑戦している。
 
 C・カーニバル準優勝と三冠ヘビー初挑戦を果たしたSANADA。G1準優勝とIWGPヘビー初挑戦をやってのけた内藤。武藤はSANADAを自分の後継者と見ていたし、棚橋は内藤こそ自分を継ぐ男だと感じていた。
 
■マスコミは団体の枠を超えて内藤とSANADAをライバル視していたし、実際に2人はリングでからむことになった

 

 
 同時期に、似たようなカタチで成り上がってきた天才肌の2人を周囲が放っておくわけがなかった。マスコミは団体の枠を超えて両者をライバル視していたし、実際に2人はリングでからむことになった。これはもうファンのストレートな要望に応えた格好である。
 
 2011年3月に起こった東日本大震災のチャリティーイベントとして開催された同年の8・27『ALL TOGETHER』(日本武道館)で6人タッグながら2人は初タッグを結成し、翌2012年の第2回『ALLTOGETHER~もう一回、ひとつになろうぜ~』(仙台サンプラザホール)では、メインイベントの6人タッグ戦(棚橋&諏訪魔&森嶋vs内藤&SANADA&潮崎)に出場。
 
 それでも「組むより闘いたい」という2人の強い要望と、ファンの声に後おしされるカタチで、2012年7月1日に開催された新日本&全日本の40周年記念合同興行『サマーナイトフィーバーin両国 WE ARE PRO-WRESTLING LOVE!』において、タッグマッチ(内藤&タマ・トンガvsSANADA&ジョー・ド—リング)で初対決。
 
 試合前、試合後とも互いを認め合い、再戦を誓い合った。その後、内藤がどういう道程を歩んできたかは、解説不要だろう。レインメーカーショックにより、苦闘の5年だったし、ブーイングをこれでもかと浴びた。そして、4・10両国大会でIWGPヘビー初戴冠。反逆のカリスマと化した内藤は、いま確固たる地位を築きつつある。
 
 一方のSANADAにとっても苦闘の5年だったのかもしれない。ただ、彼の場合、天然というか、結果が出なくても、ブーイングを浴びてもそれほど気にする素振りがない。
 
 日本で壁に当たったなら、海外に行けばいい。そんなポジティブ志向で、カナダ遠征に出ていたころ、全日本から武藤ら大半の選手が離脱して、新たにWRESTLE—1(以下、W‐1)を設立。SANADAも当然のようにW‐1に旗揚げから参戦した。
 
■「このままW‐1に頼っていても、ムタは超えられない。ひとりでメシ食っていかないとダメですね」

 
 2004年、W‐1と米国TNAが提携することになり、その架け橋を担ったのがSANADAだった。武藤から「世界で通用するレスラーになれ」と口を開くたびに言われてきたSANADAとしても望むところ。2014年3月、両国大会で日本人初のTNA・Ⅹディビジョン王者となったSANADAは、ベルトを引っ提げてTNAに乗り込み、17回連続防衛記録を作った。
 
 ふたたびSANADA時代の足音が聞こえてきた。同年の7・6両国大会のメインイベントでⅩディビジョン王者・SANADAとして凱旋し、グレート・ムタの挑戦を受けることが決まったのだ。初のムタ(武藤)超えに向けて、すべての準備は整った。
 
 ところが、ハプニングが起こる。帰国直前のタイトルマッチに敗れベルト失い、ムタ戦はノンタイトルマッチに変更された。SANADAvsムタはどこか異様な試合となった。
SANADAをW‐1のエースにしたい武藤がいれば、まだまだ自分が健在であることを示したいムタもいる。そんな複雑な胸中が滲みでてくるような闘い模様。
 
 意地のムーンサルト合戦は自爆も含めムタが3発、SANADAが4発、計7発が乱れ飛ぶ。さらに、ムタの毒霧にしても5回も噴射された。最後は毒霧攻撃からムタがムーンサルトプレスを決めて強引に勝利を奪った。
 
「このままW‐1に頼っていても、ムタは超えられない。ひとりでメシ食っていかないとダメですね」
 
 SANADAはそう言い残して、ふたたびTNAに旅立ち、TNAとW‐1をまたにかけて活動した。そのころ、口下手なSANADAの語った言葉が私には忘れられない。
  
「プロレスって答えがないでしょう? それはどの業界にも当てはまるのかもしれないけど、見つからないですね。ただ、ベルトが懸かっていてもいなくても、ムタには及ばなかったというのが事実。そう考えると、自分の存在感なんですよ。ベルトに頼らなくても、自分のカラ—を確立して存在感を出して認められなきゃダメなんです」
 
 なんとなく、内藤発言に被ってくる。5年前、エースを獲り損ねた内藤は、「俺に必要なもの、いま欲しいものはお客さんからの信頼です。ベルト云々の前にそういうレスラーにならなきゃいけない」と訴えた。その思いをずっと忘れなかったからこそ、ファンは内藤についてきたし、必然としてIWGPベルトもついてきた。
 
 一方、SANADAのなかでは、ムタに敗れた時点で答えは出ていたのかもしれない。昨年4月、TNAを退団し、5月にW‐1退団を発表した。自分の居場所、安住の地を捨てて旅に出たのだ。7月にはジェフ・ジャレット主宰のGFWに参戦。なんと、現地で素顔時代のEVILとタッグを結成し、BULLET CLUB(カール・アンダーソン&ドク・ギャローズ)と白熱の好勝負を展開した。これによって点が線へとつながった。内藤、BUSHI、EVILと直接の接点がいつの間にか出来上がっていたのだ。
 
■それでも、まだまだSANADAは半分ほどしか自分を出していないと思う。

 
 4.10両国大会。来るべき場所へ、運命に導かれるままにSANADAはやってきた。自分が本当に光り輝けるリングを求めて、そこへやってきた。
 
 両国でドクロマスクを脱いだ瞬間、無反応だった新日ファン。ところが、4・23&24後楽園ホール2連戦でのオカダ・カズチカとのタッグ前哨戦では、オカダコ—ルに負けじとSANADAコールも沸き起こった。
 
 おそらく、SANADAの試合を初めて観る観客でも気付いたのではないか。オカダに劣ることのない身体能力の高さ。肉体、駆け引き、空中戦、グラウンドでのスキル……さらにスターに必要不可欠な立ち居振る舞い。
 
 それでもまだまだSANADAは半分ほどしか自分を出していないと思う。5・3福岡大会で、100パーセントのSANADAが発揮されれば、観客は息をのむことだろう。
 
SANANDA、オカダ、ともに28歳。新たなステージに突入した新日本マットで、新たな名勝負数え唄がスタートするかもしれない。

■レスリングどんたく2016
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●金沢克彦(かなざわ・かつひこ)

1961年12月13日、北海道帯広市生まれ。
青山学院大学経営学部経営学科卒業後、2年間のフリ—タ—生活を経て、1986年5月、新大阪新聞社に入社、『週刊ファイト』編集部・東京支社に配属。1989年11月、日本スポーツ出版社『週刊ゴング』編集部へ移籍。2年間の遊軍記者を経験した後、新日本プロレス担当となる。1999年1月、編集長に就任。2004年10月まで5年9カ月に亘り編集長を務める。同年11月、日本スポーツ出版社の経営陣交代を機に編集長を辞任し、同誌プロデューサーとなる。翌2005年11月をもって退社。
以降、フリーランスとして活動中。現在は、テレビ朝日『ワールドプロレスリング』、スカパー!『サムライTV』などの解説者を務めるかたわら、各種媒体へフリーの立場から寄稿している。
 
●金沢克彦ブログ「プロレス留年生 ときめいたら不整脈」
http://ameblo.jp/gk-kanazawa/

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